2018年4月22日日曜日

日常と旅のトンネル


一組ずつ丁寧に行っていた3月のツアーから一転。
南国の熱にやられつつ、早くも夏に突入した支笏湖。
この何とも形容しがたい外界とのギャップを毎春松澤先生は一人で味わっていたのだな、と。


day 8。
木名瀬がってん氏×「月とカヌー」の匠&よしこさん。
ぼくにはどこかの芸能人より大スター。

仁淀川で働く!という設定以外は完全ノープランで乗りこんだおかげで今回乗りこんだのはカヌーではなくシーカヤック。
水の上に最初にぼくを誘った乗物での島旅。点と点をつむぐ線。瀬戸内の潮流は超激情的であり、カヌーでは実現不可能なプラン。
カヌーには縛りが多く、だからこそ面白いのだが、縛りから解き放たれるカヤックであれば行ける場所がぐぐんと増える(だってここは島国なのだから。淡水を探すより海水が早いわけだ)という事実。当たり前のようで忘れていた。
「障害は不便だけれど不幸ではない。」と言ったのは乙武さんだっけか。

やれるようになりたいこと、やりたいこと、やってみたいこと、夢と現実。暮らし。憧れや理想、確認とすり合わせ、出会いと再会。現実と、旅の空の色の狭間。
カヌーガイドという新しい生き方。なぞるものなんてなく、なぞる気なんてなく、むしろつくる、生み出そうとしているクリエイティブな人がこの世界には非常に稀であるけれど確実にいて、その人たちと揺れる火を見るでもなくぼんやり眺めながら過ごす。
これぞ「とっておき」、である。

ぽつりぽつりとこぼれる言葉・思いたちをぼくはあれからずっと反芻している。
カヌーを漕いでいく中で出会うそういう人たちは誰もかれも素敵で。
そう、やっぱり、最高に素敵。
そんなこととっくの昔に分かっていたはずだけれど、本当の意味を、凄みを知ったような。

「この人、すげー!!!」
素直な感情を抱かせてもらうのも随分久しぶりな気がして。上を見るってこんなに嬉しいことだったっけ。


今現在の自分にできること、足りないもの。
素直に、シンプルに、どう生きたいか。何のためにカヌーなのか。
この春、visionについてよく話を交わしていた。ぼくらはどうなっていきたいのか、どうなりたいのか。
質問したわけでもないのに、answerを幾度ももらって。

眠らせていた、死んだかもしれないと少しおっかなくもあった「個」として、「ガイド」としてのぼくは、ぼくの中でこっそり息をひそめて待ってくれていた。

身体一つでぶつかること、動きながら考えること。水の上の学びに忠実に生きたい。

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