2017年12月3日日曜日

みぞれ雪、静寂、常連さん


支笏湖、未だ雪なし。


ぬくいとお化けモード。氷濤まつり後半戦的な。

気温が高い。どうにか雨(寒ーい雨ほど最悪なものもない)ではないみぞれ雪の中、「ウィインターカヌークルージング」へ出動。

「冬に来る人なんているんですか?」

『いやあ、夏に比べると少ないですよ。でも、たまに変わった人がきてくれますよ。‥ね。』

わはは。パドルクエスト語的に「ウィットに富んでいる」かは分からないけれど、冗談交わしながら他愛もない会話。
行間を読み合う。これこそがコミュニケーションの醍醐味よなあ。駆け引きと探り合い。生のコミュニケーション以外はしたくない。と言いながら毎日ブログを書く矛盾。ぼくは何だろう。思考整理術兼誰かの暇つぶしになれば一石二鳥ということで。

「本当に静かですね。いいなあ。現実に帰りたくないなあ。」

雪もない、葉っぱもない。ないない尽くしに見える今の支笏でも、お客さんが持ち帰ってくれたものは少なくないように感じる。
「何にもない」って意外と手に入らない贅沢なんだよなあ。「寂しい」って片付けるのは誰でもできるし、勿体ない。
自分なりの宝物を見つけられるかどうかは、心持次第。見つけたいと願う人だけ。

寒くても手袋は履きたくないのだが、さすがに限界だなあ。手、赤。

店に戻ると程なく、昨日来てくれたカフェのお客さまがお待ちかね。
人気者は辛いぜ。求められる内が華よね。貧乏性。

カヌーもカフェもぼくはとても楽しい。自分を殺す必要がない。今の自分にできることで稼ぐ。簡素で良い。
苦しいときもそりゃあるけれど、楽しみたくて生きている。

勿論、売上うんたらってのも無視はできないことだけれど、お金のことを考えすぎると「しなければ」という義務になる。義務を負うほどエネルギーみなぎる人もいるがぼくは逆だ。
金に思考を占領されないように。強大な宗教でそれを無視することはそうできないわけだけれど。
やらされる、やらなければならないことほど退屈なことはない。純粋に楽しむことを忘れたら遊びを仕事にする人間の先はない。発端も狙いも金じゃないのだ。金であったらそもそもカヌーを選んでいない。金が欲しいなら最も実はお高い自分の時間を街に差し出せばいい。金はあくまで社会システムに乗っ取る上での手段。金よりお高い人生なのだ。
「稼がねば」、より、「楽しまねば」という情熱こそが人を巻きこんでいくはずなんだよね。

好きなことで暮らす本当の意味を考えるには夏より断然冬なのだ。

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