2017年10月31日火曜日

とりあえず一段落 ありがとう

10月31日。低温・風が鳴る日は気を張りながら。


(写真はポロト湖で過ごした夕方)

明日からも対応できるときにはしていくのですが、

とりあえず、3月から幕を開けた湖でのツアーが一段落。
良いお客さんと店に戻ると、良い人たちがいつも通りに迎えてくれて。
湖炎祭が終わってからずっと思考的には冬のことをあれこれ考えていて、通常ツアーではないことをばかり考え動いていて、ツアーは終わったような気にもなっているところもあるのだけれど、一応だけれど、一応なりに、区切りを区切りとして、同じように大切なものとして認識してくれていて。
何を大事にしているかが別々だったら長く一緒にはいられない。誤魔化せない。
どんな人間関係でも大事なのは、根っこの共鳴。枝葉はバラバラで良い。その方がオモシロイ。
根っこに重なる部分があるかどうか、どの程度重なっているか。重なりたいと思い合えるリスペクトが互いにあるかどうか。
根っこがあるかどうか?これは低次元すぎてお話にならない。




2017年10月29日日曜日

『恵庭ものづくりフェス2017』に行ってきた

今日はカヌーガイドの顔をしまい、‥といっても滲み出てしまうわけで、やっぱりカヌーガイドが街を歩けばカヌー乗りに遭遇できたりもして。「水の上にいるだけのカヌーガイド」では近いうちに誰にも知られず絶滅してしまう。
話が逸れる。
先日告知していた恵庭の大きなイベントにマフィン屋として参戦してきた。
まずは、年中、水陸問わず、あちこちで様々な未知なる出会いや経験をさせてもらえていることに、あちこちに感謝。外の、人の刺激がぼくには必要だ。

飲食の世界は、好きなことで稼ぐ本当の意味をぼくに教えてくれた救世主。
好きなことで稼ぐことが、ぼくには当たり前になりすぎていた。振り返ると、ごめんなさいしかないわけです。

「好き」を仕事にするのは苦しい。しんどい。おっかない。ヒリヒリする。おかげで極上の手応え、喜びを味わえる。やみつき。
未知との遭遇。これがないと。

まあ、イベントというやつは、蓋が開くまでどんな展開となるか読みにくい刺激的なアウェー戦。主催の熱量、思惑次第。
参加者側は74組ほどだったらしい。経験したことのない大舞台であった。人ごみが苦手なぼくは人に酔う。


支笏湖を出て街へ乗りこみ。戦闘態勢を整える図。


選べる喜び。悩める贅沢を提供すべく、夜中から店主はマフィンを焼き続けた。
働くってのは、商売ってのは。本気でやるのがやっぱり清々しい。


ズラリ。誠実に並んだマフィンたち。


勝負の日には赤パンツ。いや、安達茉利子先生のイラスト。
いろんな店がある。表現、モラル、良識、アイデンティティがある。質を高次元で維持するために何を守り手離すか。これはカヌーツアーでも心を砕くこと。全く同じ。思考は水陸両用。
自分はどうありたいか。他と比べることで見えるものは多い。
水陸両用ハイクオリティ表現を。
主催の皆さまお疲れ様です。お世話になりました!

2017年10月27日金曜日

集中力

湖から逃れられずに帰ってきたシーズン終了間近の、どるふぃん(中央ボート)。


今年は団体カヌーツアーを何度か手伝ってもらった。
かつては、遠方のガイドさんを呼んでいた。
「遠くの親戚より近くの他人」ではないけれど、年中支笏湖と向き合う仲間が少ないながらにできてきたのは有り難いことだよなあ。

さ、途切れつつある集中力を取り戻さないと。



2017年10月26日木曜日

カオスな晩秋

違うところを漕ぎに行く度、漕ぎたくなるのは‥。


先客がいた。
外に出れば出るほど、この水の美しさにほとほと参る。
ここより美しいところを見つけられる気がしない。


今年は色鮮やか、かつ、長続きしている支笏湖の紅葉。


紅葉と雪。

秋と冬が混在する、カオスな晩秋なのだった。

2017年10月25日水曜日

美しい場所を探して


カヌーに乗らずに死ぬ人の方が、majority。
しかし、そんな人生勿体なさすぎるとminority代表として思わずにはいられない。
乗れば誰でも分かるわけでもないけれど、乗らないと見えない世界の底のなさったら。
その扉があることを何とはなしに通常ツアーにも醸し出してはいる。勿論必要としている人にだけ。cultureとしてのカヌー。


支笏湖みたいな水の色。

知らない場所を漕ぐのはおっかない。分からないことが多いから耳をすます。何かあっては困るから安全第一。静かに染み渡っていく、生きている実感。
足裏には体温を簡単に奪う水。生と死は表裏一体。生は死がそばにあればあるほど強く輝く。

街中だと手放さざるを得ない自身のコントローラー。
パドルに預けているのは自らの命。ヒリヒリヒリ。人任せにしていては得られないスリル、おっかなさをこそ味わいたくて、ここに暮らし、パドルを掴み、自己を律する。
誰でもない自分を誰より信頼できるようになりたくて。
変な気を起こしたら簡単に死ねる。起こすなよ、変な気。
生への執着を高めていく。

どこでも良い。水でも山でも何でも良い。美しさにノックアウトし続けている内に死にたい。錆びるなよ、心。

2017年10月24日火曜日

世界中の人に自慢したいよ、ぼくの友だち

新宿の田舎で育った。
東京は狭いが奥行きがあり、新宿にも田舎がある。
都市開発はしかし止まらず、もう少ししたら、「ある」は「あった」となるだろう。
まあ、千歳市内のアパート乱立ラッシュも何だか何だかつまらないと感じている。

小学校の同級生は自分含めて14人ぽっちで、親も先生も遊びたがりのクレイジーな輩が揃っていた。土地柄もあるかもしれないが、多様性に富んだ道を皆それぞれに歩んでいて、なかなかにオモシロイ。今日はそのうちの二人をご紹介。

放課後といえばキックベース。場外ホームランを記録したのは二人だけ。
そのうちの一人はカヌーに出会い、そのうちの一人は自転車に出会い、ヤツは自転車競技の世界で日本代表として戦うことになったらしい。


写真はFBより引用。

のりおブログはこちら。
No Sports No Life!!紀雄の自転車日記


写真はHPより引用。
あるとき西からやってきた転校生は出会った頃から「弁護士になる」と宣言していた。
困りごとはこちらまで。
おにざわ法律事務所


目の前の日常に戻ろう。
湖の仲間たちと、久しぶりに支笏湖脱出。たんたん。

稼ぎに走らない遊び。稼ぎ続けるためにはとても大事なこと。人は機械ではない。
思えば訳も分からず感謝もないままに、よく遊ばせてもらってきた。


だいちゃん。太陽が恵庭岳に沈み行く。

ぼくらが暮らす町の川は、やっぱり、世界一。


2017年10月23日月曜日

焼ける朝と台風21号

べちゃ雪。強風。雨。
伸びた髪の毛、迫る11月のことを考えなければならない。何をしても、せずとも、腹は減る、一日は終わる。
天気が悪くならないと一日家にいることは困難。こんな日もたまには良い。



Lake SHUMARI、初秋の早朝。
行ったことないけれど、フェアバンクスの秋はこの色だと思う。
黄金色は、なんだか郷愁を誘うのだよなあ。
故郷なんて持ち合わせていないのだけれど。

2017年10月22日日曜日

今日から晩秋、さらば、紅葉

長いこと美しい紅葉が続いている。
今朝、何だか、気配が違っていて。一夜で増した落ち葉たちにハッとする。
ああ、昨日までは気付かなかった「晩秋」臭が充満しているではないか。


カヌーを出しに行く、いつもの風景。
そろそろ見納めとなる。


台風21号が来る前最後の紅葉カヌー。
今季も「SotoCafe」を守ってくれてきたほーりーも本日、今季ラストツアー。


一ヶ月前は少し疲れた緑。一ヶ月後には茶色い世界になるなんて。そんな馬鹿な。
劇的すぎる季節の移ろい。何度見ていても、何だか信じられない嘘みたいな真実。


「体験カヌー」出場回数ぶっちぎりガイド:だいちゃん。

台風に備え、明日はお店もツアーもクローズです。

2017年10月21日土曜日

期日前投票


期日前投票に行ってきた。
選挙権。したくても投票できない人だっているから実は当たり前でもないんだよね。意思は示さないと。
通る通らないはその後のこと。

安倍さんサイナラ。最初からサイナラ。
選挙結果に、日本やるじゃんと思わされたい。

2017年10月19日木曜日

来年会議


どんどん変わる。
当たり前だ。
ぼくらが変わる。
ぼくらのできることが増えていく。
やりたいことが深まっていく。
さらにさらに、その先へ。
まだまだ、何にでもなれる。できないことはできるようになる。
質を高次元で保ちながら、味わい深い空間を。

2017年10月17日火曜日

コーヒーとヤーマンと湖炎祭2017



photo by DAISUKE.K

初めて飲んだ時の衝撃は冬のモチベーションに今もつながっていて。
羽田空港そばの多摩川。初めて水の上に浮かんだときの衝撃が夏のモチベーションに今もつながっているように。
始まりは一目惚れ。たったひとつずつの恋は冷めることを知らず、知れば知るほどどこまでも深まっていく。

通りすがりの縁もゆかりも持たない人間には、通うお店ができたことが素直にただただ嬉しかった。暮らしている感じが、暮らせている気になれる気がして。

そこでは良い音楽が流れていて。何だろうと聞いたらシンゴさんで。
初めて行った由仁?ライブで座って聞いているのがしんどくて、この人、外で唄うべき人だと思いながら、踊り手と再会して音楽に委ねて。

去年、初めて湖炎祭が開催されて。
支笏湖。風、寒さ。焚火。炎。
ああ、この状況で唄ってほしいのはシンゴさん、間違いない、と残念な思いと共に確信。

自分が好きなことが何なのか、どういう意味を、解釈ができるのか。
もっともっと突き詰めていきたい。心はいくつになってもぐわんぐわんと振れ続ける。
振れる心を仕事に活かせるようにもっともっとなっていくのが年を重ねるメリットだろう。

2014年8月30日:【世界一のコーヒーと音楽
たった三年前。全てが不確かだった。

2017年10月16日月曜日

湖炎祭2017

2シーズン目の湖炎祭。


photo by NAOKI.M

笑いあり、涙はないが、ハプニングもなんでやねんも多々あり、毎度おおきに、ココアはやっぱりモリナ○なのであった。



2017年10月13日金曜日

時空を超える定山渓のカレー


四年前、兄のように慕った人に教わった定山渓のカレー。

‥ああ、あれから思えば様々、随分と変わった。
まっとうにやれているだろうか。いつかの自分に怒られそうな気もするようなされるわけがないような。


知る人ぞ知る。「カラバトカリー」。

ああ、ぐるりと、回った。時が満ちた。スパイスハイ。脈打つ鼓動。めぐる血液。高まる体温。
ぼくは鎌倉に行くのだろう。いや、行くことになるのだ。なんせ、世界はまあるいのだから。

導かれるままに流れることを忘れてはならないようだ。かつて、スーホーは友だちだったのか。
ぼくらは何度でも生まれ変わる。たった一食のカレーが大きく何かを変えることもある。
憑き物がとれたというか、身が軽くなったというか、必要なのは、執着すべきは今だけ。

2017年10月11日水曜日

言葉より速く



続く北通い。
雨竜のアンティークショップ「豆電球」のイケてる外観。

コーヒーとカヌーの相性の良さを認識させてくれたその人のことをここ数日考えていたら、たまの店番日、突然その人が目の前に現れた。
あれ?何で?

ふらりと立ち寄っただけとのこと。

贈った言葉たちを見たわけでもなく、というか、言葉を贈るぞという心だけが届くことがあるのだなあと、言霊の不思議を思わずにはいられない嬉しい出来事なのだった。

手紙を書くこと。
忙しいとできないしする気にもならないし忘れた気になるけれど、手紙を書く時間、誰かを思い、誰かのために費やす時間がぼくにはやっぱり必要なのだ。
ラインでは埋められないコミュニケーション欲を満たすのはスロウすぎる手紙だけ。

2017年10月9日月曜日

10/29(日)『恵庭ものづくりフェス2017』

千歳の変人・こにたん(小西木材)主催、かなり熱量の高そうなイベントが今月末に開催予定!
支笏湖からはマフィン屋さんも出店するらしいよ。


恵庭ものづくりフェス2017」?
「北海道のものづくりを盛り上げようというイベントです。

普段恵庭では見ることのできないような出展者や体験ができます。出展者と地域の方の交流、学生と出展者の交流、出展者同士の交流を目的としています。」

2017年10月8日日曜日

空飛ぶムササビタープ@シュマリ

本日、支笏湖は好天、あたたかな「紅葉まつり」で大賑わい。
人波にもまれるのはやはり得意ではない。
夏の疲れから逃げる術はないのだろうか。まあ、ないよなあ。


美しきフォルム。背景がまた素晴らしい。完璧。素敵だなああ。
久々、ムササビタープが気持ち良さげに宙を舞う、の図。

2017年10月6日金曜日

秋は赤いよ、そば畑@幌加内

会いに行くこと以外、好きだと伝える術を知らない。
何だろう。東も好きだけれど、気づけばいつも北に惹かれる。


今秋最大の学び。夏は白い花を咲かせることは知られているけれど。
まさかまさか。実は秋も負けていない。

おいしいだけではない、眺めても良し、そば畑。
秋、赤く染まるよ、そば畑。@幌加内(ほろかない)。

2017年10月5日木曜日

月とカヌー2018入荷

中秋の名月といえば、これ。【月とカヌー】の、はからめ月のカレンダー2018。


画像拝借。

かのあでは
・A4サイズのカレンダー
・ムーンサークルカレンダー(コットン100%)
取扱中。

気になる方はお早めに。
取り置きも可能でっせ。

今年ようやく出会えた匠さん、よし子さん。

カヌーを通してつながる人は皆、素敵。

こうあるべき。アホ臭いなりにとらわれているくだらないセオリーを明日中にはゴミ箱に捨ててしまうつもりで眠ろう。

そうそう、秋のオコタンペ湖、最高です。

2017年10月4日水曜日

「二十九、三十」秋と冬の狭間に揺れる銀杏ボーイズ

シュマリ、家外屋倶楽部、迫る湖炎祭、テンポを上げた秋足。
クレイジー極まりない刺激的な秋。
なんだか、泣きたくなるほど美しい景色だったり、手応えだったり、落ち込むくらい情けない自分に出会ったりして、容量オーバーなまま回り続けるハムスターみたいです。

おかげで、どうでもいいことは本当にどうでもよくなるから、そこは幸せ。どうでもいいことばかり考えるのがぼくの仕事のひとつではある。でも、足元より、やっぱり、空に手を伸ばす方が幸せ尚且つ健やか。


パンクしないために、ギリギリ待ってくれていた紅葉散歩。
photo by さ。

どうしたら良いのか、何にも咀嚼できないまま、しかし、誰に分かられなくても自分の内に刻み付けておきたい、「これから」のための新たな世界の扉がうっすらと見えたような。
太陽が昇ったと思いきや沈む短き一日。手の隙間からこぼれる。まるで器用ではないので、様々なタスクを同時に進めることができない。一つずつしかできない、何事にも意味が必要で、仕方がない。
自分の乗りこなし方を分かっておくことは自分のため、まわりのため。

感謝を伝えるには、何ができるだろう。
思い浮かぶのも、やりたいことも、できることも、いつも同じ。

どうでもよくないあの人に、なかなか会えなくなったあの人に。
会わない間に色々それぞれに起こるわけだけれど、それらをいちいち共有する時間も労力もなかなかかけられなくなっていくわけだけれど、
物理的距離を越えられるのは、ぼくには、いつも、たった一つの行為だけ。
すれ違っていく人と人。たまたま出会ったこと、たまたまよく顔を合わせたこと、それがいつまでも続くことは非常に稀、ほぼ皆無であることも分かるようになってきて、
それは決して悲しいことではなくて、人間だもの、とどまってはいられない。
そのとき、お互いに必要とし合った事実があるだけで満足しろって贅沢な話なんだろう。

久しぶりに手紙を書いています。
どうでもよくないあの人に。なかなか会えなくなったあの人に。
電話でもラインでもフェイスブックでもメールでもなく。とにかく、時間をかけたいのです。手間を惜しみたくないのです。手間こそ、無駄にこそ、人間らしさがこもると信じているのです。
何を書こうかななんてことは何にも考えずに、いつも、ただ、机に向かうだけ。
書き終わったらポストに投函して、投函してから少し後悔をして、相手に届くころには自分が何を書いたかなんてことはすっかり忘れていて、忘れた頃に向こうから手紙が届いて。
ぼくにはこのテンポがちょうど良い。知りたい人の本音だけがぼくは知りたい。情報は多くなくていい。欲しいのは、本音だけ。

書いていると、思います。思い出します。溢れます。困ります。声が聞きたくて仕方がなくなります。酔っぱらって気が大きくなったときくらいしか、電話もかけられなくなりました。

秋のせいだろうか。

話なんかしないでいいから、とにかく、アテもなくぶらりと街をふらつきながら、笑い合いたいと切に願わずにはおれません。
返事なんかなくてもいいのです。見返りが欲しくて手紙を書くわけではありません。ただ、好きだって言いたがりなだけです。言えないから書くしかないのです。会えないから書くしかないのです。
それでも酔狂な友人たちは、この時代にわざわざ目には目を、手紙には手紙を返してくれます。
銀杏ボーイズのCDが手紙と一緒に届きました。
なんだか、いつもより沁みるのはきっと、

秋のせいだろうか。

おしゃ!センチメンタル全開でいきまっしょい。

2017年10月2日月曜日

ソトカフェで学ぶ人生哲学


夢のような、泣きたくなるような異次元adventureを咀嚼しきれぬまま日常へ。

一夜限りだから許される関係があるように、
水の上だから許される関係だってある。
きっとまた会うことはないだろうから、取り繕う必要がないのかもしれない。
水の上で、これまで様々な人生をカミングアウトされてきた。

話したそうなら話を聞きたい。話したくなさそうなら何も聞かずにぼくが話すか水が話す、森が話す。楽しみたいなら、楽しませたい。
欲しいものを欲しい人に。イメージを壊しつつ、塗り替えること。

水の上では、どんな人ともお近づきになれる。


2017年10月1日日曜日

ホームに自分を壊される喜び

※【コメントについて】
コメント、見れるようになりましたのでご安心くださいまし!

9月の終わりと10月のはじまりの二日間。どっぷり支笏湖にいた。

明るくなっていくお月さん。けあらし立ち上る早朝。
カメラを持たないおかげで、途切れずに淡々と観察することができた。

色んなところに行く。
毎日見れないからこそ、一瞬一瞬が貴重。美しく、素晴らしい。

しばらくはそれで良かった。満足していた。だんだん、飽き足らなくなっていって。

ここでは満足できなくなっていって。
山へ、川へ、他の湖へ浮気をするようになっていった。

それはただの勘違いだった。
見ているようで、何も見ていない。周囲40キロ。最大深度363m。
一部に居続けているだけ。全体が見えるはずがないこと。
分かった気にならないで?
支笏湖が心の扉を開けてくれた、ような。信頼してくれたから、見せてくれようと、今、思ったに違いない。
本当の支笏湖。飾らない、取り繕わない、ありのまま。
「支笏culture」が香り立っていた。

フツーには見ることのできない別の顔。
それはやはり、とってもおっかなく、しかし、やはり、とことんまで美しく、素晴らしく、何より誰より、ぼくらはみんな自由だった。

ここは、なんて素晴らしいところだろう。

「本格」になりたい。