2016年12月12日月曜日

新千歳空港パニック 一日二善

たかこ、リトライ。東京さ帰らせてだ。
飛行機、今日は飛びそう。7時空港着。既に人だかり。ロビーには昨夜空港で夜を明かすために使われたのであろう毛布がずらり。座りこんでいる人もまだいる。消耗戦だなあ。

帰れなくなるほど、人は帰りたくなる。

二時間半ANAのカウンターに辿りつくべく並ぶ。
こういうときにスマホで写真を撮っている人の気がぼくには知れない。困っている人だらけ。疲れている人だらけ。
何でシャッターを押せるのだろう。それを誰に見せびらかすのだろう。意味が分からない。苦しげな顔はする必要はないけれど。だって、誰も悪くない。
空港で勤務する方々、本当にお疲れ様です。

ぼくらの前に並んでいたAsiansが心配そう。そりゃそうだ。重要なアナウンスは全て日本語。何も分からないままに遅延や何やと変更だらけ。状況は刻一刻と変わり電光掲示板も追いつかない。自分の乗るべき便の手続きがいつ始まり終わってしまうかも知れない。
ぼくが外人だったら、味方が欲しい。
だから、味方になって、何便でどこ行きなのかを尋ね、逐一の情報を伝え、彼らが乗るべき便を案内した。


Have a nice trip!
雪、嫌いにならないでね。ほら、こんなにきれいなんだよ。
越冬一年生時、車が全損した日もよく晴れた冬であった。わはは!笑ってまえ。

違うところでは女の子らがスマホを見せ合い盛り上がっているうちに、自分たちの乗るべき便を見落としかけて突然不安に駆られていた。
「まだ大丈夫だよ。次のアナウンスがあるはずだけれど、一応あそこのカウンターにチケット持って確認してみたらいいんじゃない?」

たった一言で人は不安になり、たった一言で人は安心する。

その「たった」を出し惜しみするメリットはひとつもないとぼくは思うから、いちいち口にする。

当事者ではない余裕がぼくにはあるということもあるが、非常にいい経験をした。
生死に関わることではないにせよ、有事のときに何ができるか、どんな思考が芽生え、どう動けるか。自分のことだけで必死になるより一歩先にぼくはいきたい。
何でもない日々は、いつかのための訓練だ。

「2011」はずっと続いている。この時代に生を受けたぼくらは試され続けていく宿命にある。それを学ぶためにもカヌーなんだ。

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