2016年10月28日金曜日

愛する花にしか水はあげられない

愛する花に水を
枯れないようにやさしさを
太陽の下で笑い
正直な心 素直な言葉


モンゴル800「愛する花」より。

ぼくらは神さまではない。愛するときには大なり小なり期待する。愛する花の成長を。逆に期待をかけない愛はない。
それが花のためであり、それがぼくらのためでもあるはずだと信じられないもののために、わざわざ水を汲みに行くことはしない。
育たないものに、価値を分からぬ者に水を無償で提供し続けられるほど、ぼくらはできた人間ではない。
何がというか、真実がどこにどう転がっているのかはどうでもいいとして、ただ、とことん、虚しい。悲しい。
水をくれと花に請われたわけではないけれど。
信頼関係は一日では築けない。地道に積み重ねていくしかない。しかし、壊れるときはいつだって一瞬。壊れるほどのものは成立してもいない、か。
頭を捻り悩み考え続けた日々は何だったのだろうか。徒労。
1000歩退いて、ぼくの心はこの際だから別に良い。
ただ、ぼくの大切な人の心、好意だったり厚意を踏みにじるような行為を見過ごしてはいけないのは確か。

気をつけてはいる。ぼくは過度に人に期待する傾向がある。距離を詰め過ぎる。人を好きになりすぎる。おかげで、反動も大きい。期待しすぎて結果、よく失望している。期待するのも失望するのも、ぼくの勝手。

ぼくら野郎共は愚鈍な分をカバーすべく、ありったけ誠実でないといけない。

何があっても受け入れ、生きねばならぬのだという静かだけれど、圧倒的な母性を持つたぐいまれなる背中をこうして眺めたのは何年ぶりだろう。相変わらずここで会えるのが嬉しい。



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