2016年10月22日土曜日

湖に抱かれて

(photo by Chika.O)
いつも、ありがとう。もう、一言で言うなら、これしかない。誕生日、おめでとうというか、出会えて嬉しいからやっぱり、ありがとう。

BGMは、ウルフルズ「39」で4649。


心離れや波立ち、ありとあらゆる心の揺れに、いつも誰よりも寄り添って見守り、時に叱り、嫉妬され。
あなたのそばを離れないといけないのではないかと本気で考えたことがないわけではない。しかし、それでも、今、こうしてぼくは変わらずあなたに抱かれ続け、積み重ねてきた事実に満足している。

自分の心を偽り、犠牲にし、くだらない常識やマジョリティの意見を聞き入れて「普通」に馴染もうとしたなら、ぼくは自分を大嫌いになるところだった。
誰だって肯定したい、されたい。してあげたい。
好きなことを否定されることは自尊心や自負心を簡単に奪い去る。それは他のどんな行為よりも罪深いことであり、アイデンティティの侵害はどんなに近しい人、たとえ恋人や家族であっても許されるべき行為ではないはずだ。好きな人の思考・人生を囲いこむことは、大罪だと声を大にして主張したい。本当に好きならば、「解放」っていうか、「開放」に向かえる。誰も誰の所有物ではない、なり得ないということを、愛はそれっぽい言葉でしれっと捻じ曲げる場合が多々あるから厄介だ。それは愛ではない。人は物ではない。対等でなかったら、何様よって話。

誰に何を言われようとも、思われようとも、パドルを手離す気等ぼくには本当のところ、全くなかったのだろう。
好きなものをこの手で掴むことを放棄したなら、他に何を掴めというのか。お金?常識?成功?名誉?肩書?そんなものはどうでもいい。手持無沙汰では手がみじめ、空虚。
物事には二つだけ。気持ち良いか、気持ち良くないか。気持ち良いことだけぼくはしてきた、していってやる。

生きている実感をありありと与えてくれるのは、「好き」だけ。


ぼくも少しは大人になった。夢中でなくとも、許し合える関係になれたと思っている。心離れとはまた違う。もっと良いもの。ぼくは人であり、あなたは湖であり、それはどうしたって変わらない。
あなただけだったぼくの暮らし。それもひとつの幸せ。
好きな湖で悩み、悶えながらも、ただただ浮かび、感じ続けていく日々の中で、ぼくはどんど、大切なことを陸の上でも見つけていけた。探し方を教えてくれたのは、誰でもない湖。

すべては、湖が美しかったおかげ。
ずっと寄り添ってくれた湖のように、守りたい笑顔がすぐそばにある。

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