2016年9月15日木曜日

「雨」の姿を目撃した日

朝夕は肌寒く、日中は日が照れば暑い。
なんちゅーか、難しい年頃‥いや、季節。


一夏を越し、川と仲良くなったごろごろ。



木々のミドリ感も勢いが衰えてきた。
気付かぬうち、気付いたふりをして、見ているようで見ていない。ぼくらは一体毎日何を眺めているのだろう。
多分、それは、幻。
人それぞれの脳内イメージであることが大半。自分の都合の良い解釈をした絵をぼくらはついぞ現実と勘違い‥いや、思い込みたがるのだろう。
イメージを助く「経験」はイメージを、しかし、時に殺す。

昨日と今日の間に微かにしかし、確かに横たわる言葉にできない微細な声色の変化。
ちょっと引いてみないと分からないこともある。集中力の高さだけで勝負していた頃には気付けなかった感覚。

景色は日々移り変わり、その最中にありながら、小さな変化に気付き驚き続けること、は意識をしていても案外に難しい。

レイチェル・カーソンさん語で「Sence of wonder」ってやつのこと。




午後はそれぞれにソロツアーとなり、ツアー終了時にぼくは、「雨」の姿をしかと目撃した。
世界の終わりってこんな感じだろう。
湖際には雨を察知したボート小屋のたんたんが急いでマットを小屋に避難させていた。黒い闇がラストスパートをかけて襲いかかる。雨粒から逃れようと人々は屋根のある場所まで全力疾走。ぼくは何事もなかったかのようにお店を目指す坂の途中、声なき混乱喜劇の面白さに思わず声を出して笑った。
すべてがその瞬間、スローモーションであった。
空は、神さんはなんてイカしたイリュージョニストだろうか。
今夜は中秋の名月。恥も明日も未熟な人間力も、何もかんも遠慮せずに照らしてくれ夜。

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