2016年7月21日木曜日

クリエイティブとルーティン


同じことを繰り返す。
何事なきように、滞りなくかのあが毎日を回していけるように細心の注意を払う。あるんだかないんだか分からないかのあイズムを守るために、いちいちの過程にこだわる、なんとも口うるさい姑のような役回りを勝手に引き受ける。友達はいらない。仲間がいればいい。言いたいことは言い合える関係でないと。馴れ合わずに高め合いたい。いいところは誉め合い、どうかなというところは話し合い、好きなことで稼ぐ喜びをとことんまで共有し、
いつでも質の高いパフォーマンスを提供したい。誰のツアーだろうと一定の水準は保たねばならない。

かのあにぼくは育てられた。親みたいなもんだ。
好きな人をたいしたことないと自ら思いたくないし誰かに思わせてはならない。

苦しいときほど笑うのだ。

夜にたまったメールを片付ける誰もいない早朝の店にいると冬を思い出す。寂しいけれど、喋れないのは辛いけれど、惑わされずに仕事がはかどる。快感。ひとりも嫌いじゃない。寂しいけれど。今日はどれくらいコーヒーが出るかなと考えながら毎日追われるようにコーヒーを淹れ続ける。全くもって悪くない。

nackyの荷物を軽くできれば、かのあは、どんどん新しい世界へ突入できる。一人では思いもしない、たどり着けないであろう世界に足を踏み入れられる。これから何がどうなるんだろうと、ワクワクさせられっぱなし。
日々のルーティンワークを背負うのは、自分が誰より楽しみたい、楽しませてよと欲しているから。ニンジンがあれば、どこまでも走るよ、オレ。
マラソンや山と似ている。ゴールするにはゆっくり、はやる気持ちを押さえられるかが大事。

今日もよりよく生きるのだ。
顔を付き合わせる人は一握り。だったら、互い、笑顔が理想。泣きたいときは泣くし泣けばいいけども。今夏はまだ通勤中に泣いてない。負荷をかけないと、だな。わはは。マゾか。






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