2016年7月13日水曜日

心の値段


本当に書きたいことなんて何一つ書けない文章を毎日書くことに何の意味があるのだろう。


(一人でヒリヒリしにいったはずが、気が付けば人に囲まれ救われた天国にて。旅は道連れ世は情け~な利尻パーティは関東勢。澄み渡る空。思うことはただひとつ。神さんに近づくほど、大切なことが何なのか、研ぎ澄まされた答えを教わる。必要なのは紙でもペンでもなかった。この素晴らしき世界を持ち帰れたなら、こぼれないように両手でやさしく包んだなら、さて、どこまで運ぼうか。)

別に嘘は書いていないけれど、真実は行間にしか、ぼくの心にしかない。心はお高い。安売りは御法度。無力な言葉。
書いていいことと、書くべきではないことと、書きたいけれど書けないこと。書きたくないこと。いろんなことを毎日選り分ける。 育てるべき芽。摘み取るべき芽。

伝えたいことが多すぎて、どこから手を付ければいいのか365日惑う。分かってほしくてたまらない。しかし、分かられたってたまんねーもん、と唄った卍lineにも頷く。傷は癒えても消えず、たまに酷く疼く。とにかく笑えれば、どうにかなる。何のためにとか禅問答はもういい。在るもの。存在より確かで信頼できるものはない。しかし、痛みは何のために与えられるのだろう。優しくなるため?寄り添うため?いや、禅問答はもう…。

フィクションとノンフィクションの狭間を意味があるのかないのか分からないなりに漂う。悲しみと喜びはよく似ている。高まると涙になる。最後に泣いたのはいつだろう。

ただの言葉遊びが誰かの息抜きになればいいのか。

どうしたら良いのか分からないことだらけの毎日に食らいつく。
とにかく、ただただ、とことん、誠実でありたい。

書けないことだらけの日々は死ぬまで続く。

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