2016年6月9日木曜日

難しいことはもう考えなくなった


うん、疲れるけれど、雨の日はすごく良い。
仲間意識が芽生えて、お客さんとの距離がグッと縮まる。水もきれい。言葉を越える美があった。緑も艶やかで元気。真夏はうっとおしい緑色になってしまう。


若者と話すと、ああ、確実に年を重ねてきたのだなと痛感する。かつて先輩方が言っていた言葉をそっくりそのまま返す自分に笑うしかない。
「若いから」と、若さのせいにされるのがいつかのぼくも心の内では納得いかなかったけれど、今となれば、やはり、それは否定のしようもない事実であった。言葉はタイムマシン。先人の言葉は正しい。疑い深いうなずきをしてすいませんでした。

27歳まで、生きるとは何ぞやと、人のいるところから背を向けてひたすら問い続けてきた。自分の気持ちを主張することだけが生きる術。何もかもに一生懸命にのめりこんだ。怯え。防御の仕方を習わずにいたので、いつもズタボロ雑巾。信頼しすぎていつもあほを見た。それでもすべてを晒し、ぶつかり合うのが至上だと信じていた。幸運なことに打てば響く人にばかり出会ってきた。

しかし、28歳。
世の中には色んな人がいる。諦めも肝心であるらしいことにもうっすらと、認めたくなかった事に気づかされていく。何にも生まないもののために落ち込むエネルギーがアホ臭くなったので、やめることにした。
視野が突如として開けた。あらゆる距離感を測り直す時期。何が要らなくて誰は大切か。どうしようもない突発的衝動すらも少しなだめられるようになってきた。
悩みはするけれどそれは生産的で実際的な悩みであり、無駄なことにいちいちつまづかなくなってきて、自分との信頼関係がようやっと結べてきたような。

結局、支笏湖には到底及ばないような浅いい結論にたどり着いた。遠回りばかりしてこれかーい、である。
楽しければ幸せ。楽しくなければ不幸せ。ぼくらは皆幸せになるために生まれた。
幸せであるために、楽しいことを。
ひとりでいるときも、二人のときも、誰といようと、何をしようと、楽しくなかったらいる意味もやる意味もない。ぼくは素晴らしいし、あなたは勿論素晴らしいと、ぼくは伝えたい。自信を持ちたい、持たせたい。そのために、とことんまで楽しませたい。腕を磨くため日々のツアーで試す。一瞬でもいい、世界一の笑顔を引き出してやりたい。愛し切りたい。

悶えすぎた反動は凄まじい。

太陽の位置が夏至を予感させる。もうすぐ折り返しか。
夏を前にカウントダウンが始まる。遊ばなきゃ。焦る。よりよく生きるため、本気で遊ばなければ。命は燃やさなければ。

まだ見ぬ山、川、湖、街、店、人、夜がいくらでも転がるこの世界はなんて素晴らしいことか。

そうして、
いつかのおいしいはやはり、いくつになってもとんでもなくおいしい、のだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿