2016年6月30日木曜日

山に登るのは告白したいがためなんだ

朝、神々しい光。どんど抜けていく雲。恋焦がれ続けた山とお近づきになるためには、ただ、ひたすら一歩ずつ歩を進めるより他に手段はない。

「好きな人には好きと言いたい」と唄っているのはウルフルズ。
仲良くなりたい山、川、湖がある。
仲良くなりたい人にはさてどうしたらいいのかさっぱりよく分からない。山なら歩けばいい。川や湖なら漕げばいい。自然の中は、至極シンプルなのが良い。


6月28日。
4時 利尻北麓野営場発。
8時 利尻富士山頂着。
12時 利尻北麓野営場着。

休憩や山頂フィーバーしつつ、トータル8時間ほど歩き続けた。

海抜0mから1721mへ。

今までよりもっとずっと、この山が好きだ。

2016年6月29日水曜日

become「旅する木」


すまん支笏。すまん千歳川。ほんの少し、ゆっくり寝かせていた本気の浮気心を許してくれよ。


何でも、誰でもない自分に帰る。久しぶり!解放、開放!何でもあり!

ここでは六月一番のお天気とのこと。
わはは、最高!
荷物重すぎて修行。だけど、初心忘れべからず。
はじまりはいつも身体ひとつの旅。どこまでも歩けた。



2016年6月28日火曜日

苦しすぎて、でも喜びをしかと噛み締めて


2013年に蒔かれた種。期は熟した。


素晴らしきかな、この世界。
他には何もいらない。眼前に広がるこの色をお土産に持ち帰れたなら。

この国はやはり凄まじい。ぼくは北国が好きだ。

人が遊びまくりに来るのを優しい気持ちで迎えるためには、ぼく自身が人並み以上に遊べていないといけない。鵡川貯金は既に尽きた。
ホストとしての質を高めるためにはビジターとしての感動を浴びないといけない。だから、これもぼくには仕事の一環。楽しむということをさらに突き詰めないといけない。
山に抱かれ既に大満足。かのあに行きたい。
しかし、勧められた場所へさらに向かうことにする。

美しさこそ、正義。


2016年6月27日月曜日

ありえってぃ


久しぶりに車やカヌーを手離してみると、残ったのは…ありのままの~
かつて意味嫌っていた車。かつて重さにつぶされたカヌー。
どちらも暮らしのために掴んだけれど。本当なら。本来、。

ヒリヒリ。ガソリンバーナーよりけたたましく生きている音が苦しげにする。
ひとりぼっちは大事だ。ひとりになれば、誰の声が聞きたいか、すぐに分かる。

チームかのあ、というか、ふっくん。野郎共をたのんます。

2016年6月25日土曜日

大雨の湖水まつり2016


夜、花火をふっくんと眺めていたら、氷濤を思い出した。
記憶は遠く、あの激闘の日々が非常に懐かしい気がした。たった、四ヶ月前のことなのに。 季節はめぐれど変わらない顔ぶれ。        
夏に冬のことを思っても、寒くないから実感が持てない。

長いこと、支笏にいたような気がした。

2016年6月24日金曜日

昭和物産の豚丼


いつも匂いに食欲を刺激され撮影ができない、幻の豚丼が支笏湖温泉街の一角にある。炭火で焼いた豚肉。う、うんまい。たまの贅沢。
水の謌さんの隣。ご賞味あれ。

15℃。水温が気温にようやっと追いついて魚が群れだす。ぼくらは素足になる。なんでもない一瞬に高揚。夏の予感。

2016年6月23日木曜日

絶滅危惧種、カヌーガイド


夏の店を回すために必要なスキルは、効率、テンポ、スピード、エネルギーの節約、時短であり、日々のツアーでカヌーガイドに必要なスキルとは真逆なものだらけである。

ふっちゃんは右耳でぼくの話を聞き、左耳でだいごろうの話を聞く。なんだかもう聖徳太子に見えてきた。

久しぶりにツアーに出れると、素直に嬉しく、仕事終わりに漕がなくても大丈夫だから時間節約になるし、苦しい顔もしないで済む。いいことづくめだ。結果、いつもより少しやり過ぎる。

ぼくらは、カヌーを身体の一部とし、お客さんがカヌーを操れるようにサポートをしながら、自然の中でのリスクマネージメントを脳内で構築しつつ、その時々、一度限りの空間をプロデュースする。不思議な仕事だ。必要な能力は多岐にわたる。しかし、担当ガイドによってツアーの色は全く異なる。
「喋り」に資格や認定試験はないし、見えないし形にも残らない。
言葉の操り方にも正解はない。ただ、それぞれの思考や作法や癖なり技がある。

ぼくはこの仕事で夏の間、暮らしてきた。生かされてきた。存在自体は恥だが、自分の暮らしには一ミリだって恥の欠片もない。悩み苦しみ笑い泣きながら積み重ねてきた自負がある。自惚れない程度のつもりの自信だってある。遊びだと誤解を受けることが多いが、れっきとした仕事であると、今なら怯むことなく言える。

安売りはしない。ぼくらはお高い。
さらにお高くなるために、思いっきり楽しいことをまずは自分が享受しないといけない。楽しむことを追求することが楽しみを提供する側には常について回る課題。もっとぶっ飛んだ空間をつくってやりたい。まだまだ、つくりたい世界はどこまでも拡がり、深まりそうだ。

正解はない。
ただ、ひたすら、毎日毎日共有して、どんなコンディションだろうとぶれないかのあツアーの足並みを揃え、質を整えていく。

どこまでがかのあイズムで、どこからが個人的見解か。
今まではなおきさんのツアーがかのあのツアーで、ぼくのツアーがかのあのツアーという感があり、実際そうだった。
いちいち言葉にして話し合わなくても、一番大事なとこ、共通見解が無意識下で一緒な気がしていたことを、あえて言葉にしてみていくとその情報量がいかに膨大であったことにようやっと気付かされている六年目。まっさらなはずもないわな。それなりに積み重ねたものもなくはない。よりよくなるために捨て去るものもある。
まあ、なんつーか、ぼくが一番【かのあ】好きなのかもしれない。
オタクがアイドルに求める理想は常に高い。




2016年6月22日水曜日

すさむ主婦・夫たちの気持ちが痛いほどに分かる


※いつもよりさらにやさしいまなざしでよろしくどーぞ。


ウサギ年ーズ。右から、山男がっち、ぱっぱらーだいごろう、べんべん。

やっぱり、外が好き。

どんな人をも受け入れ、見送る、海のような包容力は今のところ発現しそうにない。そこらへん、ぼくはたかこを尊敬してやまない。
母なる大河、天塩川。ぼくはまだまだあなたの足元にも及びません。忍耐力のかたまりはどこで拾えばいいのでしょう。分かりやすいといえば聞こえが良いのですが、口ほどにもない自分にビビります。

すがすがしい夏の太陽を思いっきり浴びなかったら即廃人になれることを学んだ夏至。生きてる意味を簡単に見失う。二日ありゃ廃人。オフィスワークも電車通勤もぼくにはできないし、したいと思わなかったし、したらオマエは既に死んでいる…だろうから、思えば生き延びるための仕事が天から降った「カヌーガイド」だったのだなあ。おっきな声で笑うため。

何が無理って、これは今日気づいたけれどすべては「窮屈」感にあったみたいだ。こうあるべき、こうすべき、そんな型や儀式、あほ臭くてかなわない。世間体より自分の目や心を信頼するよ。したいようにするよ。
振り返れば、重度の窮屈アレルギー患者だったのだ。
自然治癒力だけが、支笏治癒力だけが、救いだったのだ。
あらゆる窮屈感からの解放運動を力の限り続けることをぼくはマニフェストとして掲げる。誰かの酸素に一時でもなれたら幸い。
そう、これは選挙の話!投票にいかねば。






2016年6月21日火曜日

夏至の夕凪


お店。
なおごろー、取材。
朝から声以外はきれいなおねーさんにやけに見つめられる。不自然な声についてツッコみたい気持ちをどうにかなだめる。待て待て、今日のぼくはGKなんだぞと言い聞かせる。
自意識過剰かしらと思いきやどうやら知り合いのお笑い芸人さんに似ていたようで、あ、ヤットじゃない人だったか、と新鮮な感動の中にいると、あまりに似ているからもしかして兄弟?と尋問され、いや、まさか、…確かに一番上のはゲイ人で俳優で今年は舞台に出たり演出もするのかなんなのか忙しくしているけれど、まさか…?

とたまたまの偶然に身構えたら、…別人でした。
頑張れ、β。スポットライト、人目が酸素。
関東近郊にお住まいの方は舞台やらなんやら、ぼくの代わりに観に行ってあげてね。


そんなこんなで一日カヌーに乗らずに終わる夕方。必要なことをちまちまと忙しく動いてはいるのだがやったったぜ感が希薄。
夕方、ぷしゅっといく爽快感が外仕事の特権。

まだ凪いでる。まだまだ明るい。美しきladyの誘惑を断ち切れるはずもなく。寂しかった?いや、寂しいのはオレか?しゃーない、スキップ気分で水際へ。


おーい、たんたん、今日夏至だってね。折り返しだよ。夏が終わるよー。ほら早く、カヌーカヌー。



おう、ラジオで言ってた。キュンちゃん漕ぐのか?って夏の終わり?まだまだこれからやないかーい。よしゃ、片付け終わり!2ケツすっか。

やっぱり、ここがぼくのホーム。
遠回りをしてきたおかげで、ここより美しいところはないって断言できる。
外からの風に逆に教えてもらえたみたいだ。これぞ、旅人の効用。わはは、ありがとーう!

明日もGKぎゃんばろ。



2016年6月20日月曜日

宴の結論 今日も友だちがやってきた


好きなことをするための時間や金を稼ぐ手だてとして、面白そうなところへ場所、人、仕事をあちらにこちらに渡り歩く山男がやってきた。

最後の北海道日も雨の中。初めて見送るためだけにここにきた。

数年前のJMT(ジョンミューアトレイル)で、彼は『俺、結構何でもできるじゃん』との自信を深めたらしい。
それ以前の彼について、ぼくはあまり知らないし、ぼくの「この人面白い!」アンテナは彼に反応することもなかった。
しかし、ここ一、二年彼に遭遇する機会が増えつつあり、ぼくが密かに行きたいところは大抵、彼に先を越されている場合が多々あるようである。世の中は狭い。いやはや、良いことだ。

20日間程の北海道山行でも羊蹄から利尻富士から、あちこちの山を歩き、札幌の常宿は中島公園だったという。


好きなことを日々換金化しながら、暮らす。
これ、実は非常に稀なことかもしれない。

カヌー、コーヒー。
いつも、今までもこれからも、ありがとう。



2016年6月18日土曜日

せっかち千歳川とパドルの根気

木のパドルに糸を巻く。地道すぎる作業。


身長167センチ。
オールドタウン(左)&ウィルダネスヴィレッジのビーバーテールパドル(右)。
どちらもこれは60インチの一本もの。
同じような形だが、漕ぎ味はやはり、異なる。

湖では【グレイアウル】のガイドを使う。貼り合わせ。
初めて買った、財布に優しいシングルパドル。しっかし、これが壊れない。風は吹けど、岩や浅瀬や流れのない湖だから壊れないのか。

千歳川は流速凄まじく、先日とはまるで別人。連日の雨効果だなあ。

人生の先輩の話を聞いていると、いい時代に若いって羨ましいなあと思う。
千歳の町を知る人にこそ、やはり、漕いでもらいたい。知ってもらいたい景色がある。

2016年6月17日金曜日

水商売journey

今日も雨。
水に笑い、水に泣く、これがお水の花道。


まあ、何が何だろうと、誰が何を選ぼうと、
let's just do the best of our abilities

「prayer」KEMURI

最善を尽くそう、最善を。手を抜いたらそこでthe end。
すべて、楽しむため、楽しませるため。多分、そのためだけに生まれた。
ただその一点にのみ向かい、さらなる高みからの展望を見たい、見せたい。
日々を丁寧にひたすらに積み重ねることでしかたどり着けない果てにぼくはたどり着いてやりたい。
物理的国境を越えずとも、ただ、この極東Asiaのちっぽけな島国の中では最も大きな大陸への起点、とある美しい水を称える支笏湖から、清流千歳川のほとりから、その流れに分子を委ね、世界中どこへでも行ける気しかしない。
旅立たない暮らしの中にしか、どこでもドアはなかったんだよドラえもん。







2016年6月15日水曜日

寄り添う夫婦の日


今日もミスティな空模様。腐りそう。結構腐っている。山で充電できて良かった。行かなければ既に全部が腐った。しかし、そんなときも、秘かな楽しみはある。

ふっちゃん、店。ぼくガイドモード。
店モードを封印できるかが鍵。去年より切り替えがうまくなってきたが、陸地ではどうも店モードが抜け切らず、まだまだ器用とは程遠い。

photo by くまごろー。いつかの千歳川の赤すぎる人々。

団体さんはフォーメーションやメリハリ、わかりやさ。
日々、一人で行うツアーは心が大事。
感情移入しすぎてしまうのは、意識していてもやはり治りようがなく、毎回、サヨナラが狂おしいほど切なく、どんだけ好きになってんねん、と心の内で独り言。

寄り添い、いたわりあう二人を見ていると、妙に胸が締め付けられるのはエゾツユのせいだろうか。年を重ねるっていいよなあと、羨望のまなざしを向けてしまった。この世は愛に満ち満ちている。
BABY&PEACE.

早く年を取りたい。若さは恥だ。三十代に早くなりたい。十代なんか死んでも戻りたくない。

少しずつ、少しずつ、しかし、ここぞというこれ以上ないタイミングでぐわわわんと昔からいたかのように懐に入る。
そのへんの距離感にたいする嗅覚は修行の成果も往々にしてあるが、やはり与えられた才能だと思う。
しかし、プライベートでは、それ故に悲しい結末によく出くわす。
仕事では活かされるから救われる。
仕事は裏切らないし、自分のためにも、職場のためにもなるから素晴らしい。そんなことを思うようになるとは、世も末だ。

はまだくん、ちかちゃん。気の置けない友人がこの国にいる。えらいこっちゃ、ありがたいこっちゃ。
死ぬまで楽しもう。友人たちに面白がってもらうことがぼくの生き甲斐。血の通った最も身近な娯楽であれ。

2016年6月14日火曜日

雨をなすりつけて

all day long、雨。

CARAVAN、SPACE土CHANT、BEGIN‥
‥セットリストの流れを確かめながら一日店。
たまに懐かしのあんな唄も流してみたりしながら、むっつりDJごっこを楽しんでいる。

外で遊ぶときに音楽はいらないが、一人の店では唯一の味方。

二日雨が降れば、太陽を忘れる。忘れないように、晴れの日の写真であたたかさを思い出す。


緑が生き生きとする雨も大事。しかし、寒いのは困る。

今日の雨のお客さまはなおきさんとなおさんのお知り合い。

「緑」と「縁」は似ている。
一度しか出会わない人、一度も交わらない人。気になる人。どうでもいい人。何度も出会う人。いつもそばにいる人。遠くにいる、幸せであってほしい人。
出会う人にしか、ぼくらは出会えない。出会ったとしても、相容れずにすれ違うこともある。出会いたい人に本当に出会えているのか。それでいいのか?目を逸らす人も多い。幸せは様々だ。人はどうでも、ぼくはごまかさないと言いながら、あるところでは一番ごまかしているのかもしれない。

出会う奇跡にも、こうして一日雨でも降って少しゆとりが生まれなければ思い至ることもなく通り過ぎる。
個人の感情なんてのに、たいして意味もない。
それもそのはず。何がどうしてこうなっていて、今いるここにどうやってたどり着いたのか、さっぱり覚えていない。

ただ、いる。ただ、在る。

向かうべきところへ、収まるべきところへ、ただ、向かうだけ。

行動で、存在で応えるのがいちばん、十分じゃないか。

理屈からも、言葉からも、堅苦しい定規や既成概念、普通、世間・常識‥そういうので測られるために生まれたわけじゃない。むしろ、ぶち壊してやれといつも思っている。
残念ながら分かってしまう。手に取るように。人の気持ち。痛いくらいに。分からないふりだってしてしまう。
なれもしないただの人間というやつを馬鹿にしながら、同時に焦がれる。最大なる矛盾。


二日太陽を浴びないとくだらない言葉遊びで発散せざるを得ない。‥うふふふふー!

2016年6月13日月曜日

チャーシューラーメンと貴重な1ツアーと

一日、雨。

ツアー以外にも仕事は多い。
カヌーガイドがツアーだけに専念できるように。「俺、何してんだろ?」って自問自答しないで済むように。
いらん雑務はなるだけ引き受けて、集中できる環境を整えてあげたい。ずっと一人占めしてきた世界を満喫しきったら、執着することなく手離せたなら、さらなる高みへと歩いていけるはずだから。
ひとところにぼくらはいられない、いる必要もない。変わり続けること。生きること。
惰性で回ってはいないか?いつも自分に問う。

自分の背負える荷物が増えれば増えるほど、周りが楽になる。苦しめば苦しむほど、やりきったときの達成感に身震いしてる。限界まで追い込まれたい。いつの日か泣けてくるほどの苦しみが途方もない喜びに転じる。



真冬に新調した季節外れの夏靴。
どこまでも歩いていけそうだ。よろしく、相棒。

2016年6月12日日曜日

LIVE SIMPLY


楽しいか?気持ち良いか?美しいか?おいしいか?



めちゃくちゃに感じまくりたい。それ以上、夢見心地で感じさせてやりたい。
仕事だろうと仕事でなかろうと。

世界一の湖、山、花、初夏ならではの新鮮な風の匂い、理想通りの味に決まった最強のコーヒー。Anything else?

文句のつけどころのない素晴らしき世界の中で息絶えるなら本望だ。


くっちゃべる野郎共の顔を見ると、‥声を聞いていると、ああ、これこれ、この面倒臭い感じ。ホーム、日常に帰ったな、とつくづく思う。
まあ、ぼくも口数の減らない野郎共の一員である。




2016年6月11日土曜日

俺の中の小さな山男 樽前~フップシ

 樽前~フップシへ、オジサンズイレブンズとの約束を破ってフライングゲットしてしまった。
ま、下見ということで。

樽前山7合目からフップシ頂上まで今日は2時間ほど。今度は下から行くのもいいかもなあ。


少しずつ雲が抜けていく。早起きの特権。
風なし、太陽あり、でも六月だからひんやりと涼しい。
最高の山コンディ。


名前とは打って変わって、なんだ、恵庭よりずっと開けた山でないの。ま、樽前から行っているからだろうが。



ワイドなお花畑。
しばし大雪を思い出す。このお散歩街道、たまらん。


お花畑の正体は、エゾイソツツジでした。


ちなみに参考までに今日のレイヤリング。重ねてないが。(日中気温20℃)

(上)
・モンベル/ウィックロン長袖
(下)
・ファイントラック/ストームゴージュアルパインパンツ
・ダンタフの靴下
・スキンズ(ふくらはぎ用)


うっすら黄色い「ウコンウツギ」もあちこちに。



途中には二、三箇所クサリ場。



やれば誰でも納得するだろうけれど、やらない人には全く訳の分からない素晴らしき展望が、山の上にも水の上にも無限に拡がっている。

「この世界は素晴らしい」と、水も山も素直にそう、感じさせてくれる。そばを離れられないのはそのせいだし、そのおかげなんだろう。

支笏は、浮かんでみても、上から見下ろしてみても、やっぱり、変わらず、いいところ。

今日も感謝。天気、空気。かのあの皆さま、ありがとう。
今年二本目の山行、最高っした。

2016年6月9日木曜日

難しいことはもう考えなくなった


うん、疲れるけれど、雨の日はすごく良い。
仲間意識が芽生えて、お客さんとの距離がグッと縮まる。水もきれい。言葉を越える美があった。緑も艶やかで元気。真夏はうっとおしい緑色になってしまう。


若者と話すと、ああ、確実に年を重ねてきたのだなと痛感する。かつて先輩方が言っていた言葉をそっくりそのまま返す自分に笑うしかない。
「若いから」と、若さのせいにされるのがいつかのぼくも心の内では納得いかなかったけれど、今となれば、やはり、それは否定のしようもない事実であった。言葉はタイムマシン。先人の言葉は正しい。疑い深いうなずきをしてすいませんでした。

27歳まで、生きるとは何ぞやと、人のいるところから背を向けてひたすら問い続けてきた。自分の気持ちを主張することだけが生きる術。何もかもに一生懸命にのめりこんだ。怯え。防御の仕方を習わずにいたので、いつもズタボロ雑巾。信頼しすぎていつもあほを見た。それでもすべてを晒し、ぶつかり合うのが至上だと信じていた。幸運なことに打てば響く人にばかり出会ってきた。

しかし、28歳。
世の中には色んな人がいる。諦めも肝心であるらしいことにもうっすらと、認めたくなかった事に気づかされていく。何にも生まないもののために落ち込むエネルギーがアホ臭くなったので、やめることにした。
視野が突如として開けた。あらゆる距離感を測り直す時期。何が要らなくて誰は大切か。どうしようもない突発的衝動すらも少しなだめられるようになってきた。
悩みはするけれどそれは生産的で実際的な悩みであり、無駄なことにいちいちつまづかなくなってきて、自分との信頼関係がようやっと結べてきたような。

結局、支笏湖には到底及ばないような浅いい結論にたどり着いた。遠回りばかりしてこれかーい、である。
楽しければ幸せ。楽しくなければ不幸せ。ぼくらは皆幸せになるために生まれた。
幸せであるために、楽しいことを。
ひとりでいるときも、二人のときも、誰といようと、何をしようと、楽しくなかったらいる意味もやる意味もない。ぼくは素晴らしいし、あなたは勿論素晴らしいと、ぼくは伝えたい。自信を持ちたい、持たせたい。そのために、とことんまで楽しませたい。腕を磨くため日々のツアーで試す。一瞬でもいい、世界一の笑顔を引き出してやりたい。愛し切りたい。

悶えすぎた反動は凄まじい。

太陽の位置が夏至を予感させる。もうすぐ折り返しか。
夏を前にカウントダウンが始まる。遊ばなきゃ。焦る。よりよく生きるため、本気で遊ばなければ。命は燃やさなければ。

まだ見ぬ山、川、湖、街、店、人、夜がいくらでも転がるこの世界はなんて素晴らしいことか。

そうして、
いつかのおいしいはやはり、いくつになってもとんでもなくおいしい、のだった。

2016年6月8日水曜日

千歳高崎ライン

朝は団体さん。早起き。毎日ツアー。しかし、みんな、調子良し。

おーい、山さ、おらを呼んでくれ。



激動の春疲れを回復すべく、先日仕込んだ初夏の紀州梅。

数日後、それは梅ジュースとなり、一年後、それは梅酒となる。

数日後、ぼくはぼくであり、一年後、ぼくはぼくである。



2016年6月7日火曜日

LAKE&RIVER

ホームゲレンデが最強モードに突入してます。


しっかり働いたあとは、ご褒美。いや、トレーニングトレーニング。


珍しすぎる、フルメンバーで千歳川。
バイカモの緑が色っぽい。


なおき塾長の手ほどきを受けるキャンドルふっちゃん。


ここが、ぼくらの遊び場で仕事場。



豪快に漕ぎ下る、チーム:オジサンズイレブン。ライバルはセブンイレブン。


切り込み隊長、今日も絶好調。

2016年6月6日月曜日

ダミアンの日


よかれと思い、皆動く。
そのよかれに意味や意義や狙いはあるのか。たったひとつの行動に、あらゆるリスクが潜んでいる。
意味のないことをするのは仕事においては不必要。
最終的な終着点を設定したら、そこへ向かうための逆算が始まる。
ぼくはツアーが始まるまでと終わってからのことにだけは、とことん効率性を求めたい。ルーティンワークで消耗してたら本末転倒だ。そこにイントロを流すことがあってもサビはいらない。
楽ができれば良いツアーができる確率は上がる。物語は水の上で思う存分書く。

今までの当たり前が暗黙の了解とならないのは当たり前。つい最近までぼくらは別々の場所にいた。
何がよかれ、何処に意識を向けるべきか。
個人差を埋めていく。個としてではなく、かのあとして一定の水準を常に保つため。
マニュアルなんてないし追いつきもしないかのあとしての水準?
今まであまり考えずにいたことを今年は人が増えたのをきっかけに非常に強く考えさせられている。
かのあらしさ?ぼくはというと、ただただ、好き勝手にエゴを貫いてきただけやないかーい。


夏の陣までにあらゆるストレスの芽を摘み取るべく、日々、顔を付き合わせ擦り合わせている大事な時期。

2016年6月5日日曜日

ヤットとヤット


午前、久々の快晴の中、野郎SotoCafe出陣。


お客さん「あべさん、めちゃくちゃ絵になってます。カッコ良いす。」

ぼく『何言ってるんすか。お二人には敵いませんよ。』

ベタ誉めし合うヤット似同士Sotocafe。



午後、「本気のコーヒー」や「積年の夢(仮名)水出しアイスコーヒー」の反応に手ごたえを感じつつチームインドアーズへ華麗に転身。

夕方、うるさいだいごろーくんをなおきさんにお任せし、ふっちゃんとしっとりカヌーデート。

なおきさんがカヌーに乗るふっくんに声を掛ける。
「ふっくん、カヌー似合わないね!」

日が長い。得した気分。冬二日分たっぷり遊べる素晴らしく爽やかなこの季節。心も健やか。
夏が短くてもこれだけの美しさがあるなら、許してしまえる。

六月が好きだっ!
凪いだ夕方が最強。

2016年6月4日土曜日

一ヶ月前が三年前の懐かしさ

土日に、ぼくがカヌーに指一本触れない日が来るなんて。

去年の今ごろは二人で必死だったよね、なんてほーりーと昔話。
ツアーの度に店を閉めていた。雑務が馬鹿みたいに増えて、人数は変わらず、とにかく、店が嫌いで、重たくて、憎たらしいだけだった。

まあ、おかげさまで、それまでいかに現場だけに集中させてもらえていたかに気付かされまして。場を整えてくれていたのは、他でもない、なおきさんであり、なおさんでした。

役割はめぐる。
カヌーガイドには現場だけに集中させてあげたい。
ぼくがずっとそうしてもらってきたように。良いツアーができたのは、自分だけの能力ではないことにそのときは気付かないんだよなあ。

これまでの人生の中で、この一年ほど触れ幅の大きい年もないように思う。


一年後には、大嫌いな店を好きになるのだから、人生はわからない。

一ヶ月前に偶然出くわした唄い手・風見穏香。
伊勢で唐揚げ丼を食べながら店主と盛り上がっているときにナンパされたのは数年前。日本は狭い。再会は夕方のカヌー。

当時のてやんday
伊勢、3.11前の僕にサヨナラ
(【三重、名古屋、奈良に大阪ヒガシヘニシヘ】)

唄が好きだから、唄う。
シンプルがいちばん。




2016年6月3日金曜日

街へ


天気が冴えない。山が呼んでくれない。山は逃げない。慌てない。しかし、北の夏は短い。少し、焦る。

そういえば先日、モンベルキャニオンサンダルで紋別岳に登った後遺症か、左足の甲にちょっとした違和感。紋別岳といえどめちゃくちゃ合ってはいないサンダルで登ってはいけないのだなあ。富士山にビーサンでいる欧米勢の足の構造はどうなっているのだろう。遺伝子だろうか。
知った気になることが簡単になってしまった今の世の中ではあるけれど、やらないと本当のところは分からない。
分からないことは確かめる価値がある。ぼくは経験しか信じない。

ついでに言うと、長年の探究の結果、チャコのサンダルが一番ぼくの足には合う。ウェービングのデザインも豊富。

‥ということで。

そういえば‥。街へ出た。「札幌=秀岳荘」という絶対的方程式に背く。


デザインが気に入って自宅に貼っている去年の美術展のお知らせ。会期中に行けずじまいだったのだけれど。今日行った店にもこれがあって、会期が過ぎたにもかかわらず貼りっぱなしということはきっと店主の好きな人なのだろうなと名探偵コナンごっこを脳内で繰り広げる。

【かのあ】でお店が始まってから、店側の気持ちが痛いほどに分かりすぎてしまい、ああ、なんてぼくはうざったい「客」をやっていたのだろうと落胆した。
あれこれをやけに意識してしまい、なかなか気軽にビジターとして単純に店を味わえなくなってしまったのは、好きを仕事にした唯一の弊害。

しかし、やはり、「店」というものは良い。とっても良い。「これぞ!」な店に出くわしたときの宝探し感たるや。
素敵な店を見つけると、素敵な人にだけこっそり教えたくなる。
そんな、誰かにとって、とっておきの店に【かのあ】もなれたらいいなあ、と、気付けばやっぱり、思考はいつでもどこでも、仕事に向かう。

うむ、「店」というか「店」にいる「人」が好きだ。雰囲気だったり、人柄だったり、暮らしだったり。
その人の表現する世界にお邪魔できる特権。

色々楽しくお付き合いいただき、予定外の散財をいつも通りにして。‥なんと、やっぱり、いつも、コーヒーにぶつかる。

はぜや珈琲といえば、屈斜路のカヌーガイド【SOMOKUYA】:つっちーのツアーで使われているコーヒーではありませんか。


ああ、そういえば、ずっと行きたくて行かずにいる場所があることを思い出させてもらえたし、コーヒーもだし、今年は道東に行けそうな気がしてきた。ほとほと、単純である。

2016年6月2日木曜日

水の上での安定感は陸(おか)への感謝


コンディションが良いときに、良いツアーができるのは当たり前。
トップスター・支笏に対抗して出しゃばりさえしなければ。ガイドは脇役。エゴの塊だけで勝負できた若かりし日は既に遥か彼方。お客さんに転がしてもらう側から、しれっと転がす側へ。
言葉に頼るのでなく、テンションに任せるのでもなく、行間を味わってもらうべく。語らずして語る。しかし、人によって受け取るメッセージはさまざま。あるようでないような答え。白と黒の単純的二元論ではなく、その中間の幅広さを。こうかもしれないし、でもそうではないかもしれないという、想像力をかきたてる「ゆらぎ」。そんなようなところへ今年は向かっている。
なんぜ、ぼくは人様に感性の強要や強制を押し付けがましくされるのが大嫌いだから。
「心」くらい自由でなかったら。

自我のコントロールの仕方をこの仕事は学ばせてくれる。素晴らしいコンディションの日はそれこそ「透明人間」が理想。

ぼくは誰でもができないことをできるようになりたいといつも考えている。自分を乗りこなせる可能性がある人間はぼく以外にいない。この頃ようやく、乗りこなし方が分かってきたような。

ベストではないコンディションのとき、試される腕。


(最近のお気に入りショット)

どんなコンディションだろうと関係なく、質の高いツアーを行えているか。
どんなコンディションだろうと、許容ラインを踏み抜いてはいないか。

あくまで、自分の中の定規。感覚。
全くタイプは異なるはずだのに、何でかなおきさんとはやはり、このへんが一致するから不思議でならない。

好きなことに囲まれていたい。好きなものを好きだと唄っていられれば幸せ。

ぼくには仕事がすべてであり、これが守れないと、つまり、仕事から暮らしから心から人との間のことから、すべてが荒んでしまう。スイッチはない。全部、一緒。

どんなコンディションだろうと、美しさはどこかに潜んでいるはずで。
どんな人だろうと、美しさをどこかに持っているはずで。

その時々で移り変わる捉えどころのない、形に残らない一瞬の美しさを即座に発見できる状態を維持することが、仕事の一環。

些細な変化にどれだけ早く気付けるか。

気付けさえすれば、どんな場所も、どんな人も、好きになれないはずがない。

いくつになっても恋心は意気盛ん。人より先に人を好きになる才能をぼくは持ち合わせた。


去年の不調、グッドバイ。
やはり、目の前の人たちだけに、一点最大集中できるソロライブでこそ自分の真価は発揮される。全くもって武道館向きではない。
いつでもではないけれど、自分のツアーがやっぱり最高で最強。わはは。自信満々。自己満の領域。過剰でない自信は大事だと思っている。

ツアーに出るときに一ガイドとしてツアーだけに集中し、ナイスな空間をつくり出せるようになってきたのも、冬から一緒にいるお店番長・冬樹くんがぼくの店への思いや暑苦しいこだわりまでを理解し、守ってくれている信頼・安心感があってこそ。
サラリーマンにとって、夜中、遠くに見える自宅の灯りがいかに大切であることか。
感謝。


2016年6月1日水曜日

ヤマメ解禁千歳川(ヒメマス解禁支笏湖)

釣り人が多いなあと思ったら、そうか、今日はヤマメ解禁日。

今日も川にいられる幸せ。
常連さんとのんびり千歳川。
あちこち漕ぎに行けば行くほど、やっぱり、ぼくにはこの川の水が一番合うことに気付かされる。

人、川、湖、‥何においてもきれいなものに目を奪われる。


未だかつてないほどの低水量のおかげで、ハイテンポでリズミカルな千歳川は鳴りをひそめ、釧路川源流部さながらの流速。しばし、道東に思いを馳せつつ、river walking.

すると、今日も修行に励む、【チーム熊五郎ズ】登場。

「【かのあ】にハメられて、カヌーの虜なんです」と、常連さんとカヌー乗りとが頷き合う。わはは。


緑の主張が激しくなった夏モードの千歳川で遊びましょ。