2016年5月15日日曜日

SotoCafeが好きだ


水の上にだいごろーと出ることが多かったので、単独でツアーに出るのは久しぶり。


昨日から始まったソトカフェを一人で回す。
ああそうだ。これこれ。丁寧にできるこの感じ。しっくり、ジャストフィット。ツアーとの相性の良さ。どうしたらいいのか、悩む隙がない。
今までの体験ツーリングの不調っぷりたるや。しゃべり方もようやく思い出せた。
向き不向きだったり、需要と供給であったり、感性なんだろうな。

ぼくはとことん燃えるゴミでいたいようだ。全力を出し尽くしたい症候群なのだろう。

カヌーとコーヒー。好きなものを同時に提供できる幸せ。冬のおかげで気づけた事実。
しかも今年からは冬カフェの延長でぼくの惚れたコーヒーを出せるようになった。お店の味を湖畔でも飲めるわけで。
惚れた人には指一本触れさせられないので、このコーヒーを使う限り、淹れ終わるまで関わるのはぼくだけである。
こだわりといえば聞こえが良いが、エゴイズムたるや、病的。しかし、そこで楽をしたり妥協をしたら、一切のやりがいをぼくは失ってしまう。好きな人のとびきりの笑顔を引き出せるのは自分以外にいるはずがない。いてはならない。好きなこと、好きな人に関しては自信満々でありたい。
ここにしがみつく理由がぼくには必要であり、どこかに飛んでいってしまわないように、鎖の役割を果たす「コーヒー」なのだ。

はじめての冬を越そうと思えたのはこのコーヒーのおかげであり、このコーヒーにもぼくは頭が上がらない。

カヌーとコーヒー、季節によって、日によって、優位性が変わり、その都度どちらかへの自信を喪失する精神に堪える両立の春だったけれど、どちらもソトカフェでは対等。バランスがとれる。
どちらかなくては成り立たない。それぞれがお互いを引き立たせてくれる。
「カヌー=コーヒー」
ジョン・レノンじゃないけれど、こんな、水平極まりない関係にぼくは憧れている。

去年、店番やらお菓子作りやら中作業系に気をとられてやむを得ず気持ちとしては一旦手離したソトカフェ。
このツアーがなければ、ぼくはここに今もいないだろうなあ、と。

特別なことや、それっぽいことは何にもしない。それが特別。

気持ち良い、美味しい、楽しい。美しい。

好きなこと、大事にしているものを分け合う。

一緒に過ごす時間をとことん楽しもう。

今日も引き出すはずが仮面を引っ剥がされてしまい、シナリオ通りにはならなかったけれど、思い通りにならないツアーの方が終わってみたら物語性に富み、記憶に残るというケースは多く、
予定調和をぶっ壊されるのはなんとも言えず快感であり、それに必死に食らいつく己の姿は滑稽であるが故に面白おかしく、
まだまだ未熟で感情をオブラートに包みきれない人間性に乾杯…いやはや完敗。
このツアーのlive感、現場感がたまらなく好きなのです。





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