2016年3月12日土曜日

似合うとか似合わないとか


人間には二種類ある。
カヌーが似合う人と似合わない人。
完全なる主観である。佇まいで、ただ、好きなだけか、もしくは、カヌーに愛されているかどうかが分かる気でいる。
練習すれば漕げるようには誰でもなる。ぼくでもなる。しかし、似合うか似合わないかは生まれ持った資質で、これはどうやったって真似ができないし、備わるものでもない。

似合わないのに上手い人、はいない。というか、うまくなくても、似合う人だとうまく見える。
では、何を持ってうまいのかと言われると、これまた主観である。固い人より柔らかい人に目を奪われる。水と闘う人など論外である。
それって、きっと、その人ごとの人との付き合い方に通じるような…なんて思ったり。

初めてリョークン(らくだの手塩な【キャメル】な釣り吉カヌーガイド)の漕ぎ方を見たときの衝撃的感動ったら。
川のことなんて本当に何もわからず、諸先輩方のロープの嵐を一身に受けながらひたすら泳いだ空知川。思えばなんて豪華な顔ぶれだったろう。
ただただ、どこまでもその人はとことん「自由」だった。
パドルで、カヌーで誰よりも気持ち良く唄っていて、ぼくはそのメロディに川行のあいだ中ずっと聞き惚れていた。

なんてクリエイティブだろう!カヌーが芸術に、表現になり得るのだ!

カヌーに生命を吹きこめる人、魅せる漕ぎ方ができる人は、稀有。
漕げる人、うまい人はいくらでもいる。

話がソレル。

しかし、似合わない人は、いや、似合わなくなると?カヌーから自然と離れていくような気がする。

自分に似合うかどうかと言われると、ぼくの場合はデートの口実とかそんなよこしまな気持ちが多分にあったりするわけで、カヌー一筋とは言えないわけで、何が目当てって、結局すべての物事は書くためのネタとしてしか見ていないのであり、
山にも街にも心が動きそうな場所であればどこにでも行きたいと通年思う浮気者なのであり、
流れに逆らうときに目をキラキラさせ、にたりと口角を上げる性癖を持つなおきさんを追いかけた時期もあったし、その世界もわからないではないけれど、そこらへんに関しての温度差は歴舟‥歴然。

まあ、どれが正解でも間違いでもないし、偉いのでもない。
いろんな向き合い方があっていい。人の数だけ、カヌー的多様性だって守らないと、選択の余地はあるにこしたことはない。
そんなわけで、カヌー馬鹿と一般人をつなぐのが「かのあ」でのぼくの役割なのだな、なんて今までを振り返ると思う。いきなりコアには大概の日本人はいけない。
間口は広くて困らない。奥深いカヌーワールドを匂わせるイントロが、カヌーガイドとしてのぼくの仕事。
その先には、なおきさんなりリョークンがいるし、ぼくはというと、おいしいコーヒーを淹れたいし、君とおしゃべりをする時間も必要だ。



カヌーの敷居は様々な面で今だ高い、と感じる。誰もがやらない遊びだからやっている風もあるくらいで、山のように皆がこぞって押しかけたならぼくは、カヌーから離れるに決まっているが、生きている間にそのような事態となる可能性は幸か不幸かきわめて低いのも確か。

一方、カフェの敷居はというと、非常に低い。そこが、ぼくには新鮮で、難しくも好奇心をくすぐられる点でもある。
変なヤツでも変だからといって入場規制はかからない。安心してきてください、welcome 変なヤツ。
入りたいと思えば誰でもを分け隔てなく迎える、この陸の水商売はなんて水平だろう。勿論小銭は必須ではあるけれど。


仕事(ガイド)と家庭(店)を両立するための切り替えスイッチの押し方、ミスターあんばらんすにどなたか教えてください。集中力の高さには、(いや、高さ「にも」ですね)自信がありまして。
ひとつのことをひたすらやらせたらもう、無敵なのです。簡単なのです。得意なのです。「どっちも」が駄目なのです。苦手なのです。不得意なのです。でも、やれるようにならないといけないのです。ぼくにしかできないことが少なくはなくなっているのです。

切り替えスイッチがあるのか分かりません。去年は見つかりませんでした。もう三月も中。あまり時間がありませんね。please 即効性のある作戦。


カヌーだけでは満足できないぼくだけれど。カヌーがなくても多分駄目なんだろうけれど。

大事なモノ、好きなこと、好きな人、全部手放さないでもいいですか。それでこうして悩みが尽きないのだけれど。

カヌー。コーヒー。支笏。千歳川。あとは気の置けない友人が何人かいて、たまに遠くへ出かけたりして、隣に君。これさえあれば、ぼくの小さな世界はもう完璧。世界のへいわを、個人のへいわをつくることから始めている。

久々のパソコン入力はストレスフリーなのでいつまでも書いてしまいますね。愛想つかされる前に切り上げますね。え、もう遅い?ここまで読んだあなたも、相当好きですね。時間は有限ですよ、もっと大事にしないと。なんて。わはは。
いつもご愛読感謝!すべての芸事の質を高め、いつか言葉から解放される日まで書き続けます。

いつも考えているから、3.11のことは書きませんでした。
どの行動にも選択にも、3.11が関わっているし、いつまでもそれは、変わりません。
βの誕生日です。おめでとう、と、あらゆる生命に感謝。



0 件のコメント:

コメントを投稿