2016年2月28日日曜日

「食の職」新宿ベルク 迫川尚子著


・料理はあらゆる「表現」のなかでいちばん複製がむずかしく、しかもあとに残らない、その場限りのもの



・わたしたちはひとりひとり世界がちがって見える。それは不思議なことだ。にもかかわらず、わたしたちはおたがいに話をし、理解し合う。それはもっと不思議なことだ、と。

by 迫川副店長。

新宿ベルク本第二弾。口語訳風で、直接目の前で語られているよう。

「ある程度の勢いとゆらぎがないと。」等等、副店長の言葉使いのセンスたるや!
固定化しつつあった言葉使い。もっと遊ばないと勿体ない。
書くことに負けじと食べること、意識していこ。
まだまだ、料理については書けないから、つまり、書けるようになるわけだ。できないことは、やったことがないだけのこと。やりなさいということだろう。できないうちが華、四苦八苦するのが面白い。最初はカヌーすら担げず、お客さんについていくのがやっとだった。
しかし、今や通常ツアーでガムシャラになることは稀。予想を超える事態はそう起きなくなった。起きる前に防げるようになったともいうが、振り回され足りなくて、違うものに振り回されることで誤魔化しつつ、はて一体どうしたものかというときに、新たなフィールド、店を任せてもらいまして。

・それにしても人間って、勝手で矛盾した生き物です。
自分のイメージに反したことが起これば戸惑い、パニクります。一方で、イメージ通りにことが進むと退屈で死にそうになる。食に対してもそうです。


味な世界を信頼すべき舌で遊ぶ迫川副店長の世界に近づいてみたいもんだ。

料理って、超文化的でありながら最もクリエイティブな世界なんだね。飽きないはずだ。商い商い。
大量生産、効率重視。どの世界もあたたかみがなくなり、それが今や当たり前。安心して食べられる店は絶滅危惧種。

なんとなく、一冬やりがてら、レシピとか数字ってアテにならないやんけと一人でツッコんでいたのだけれど、その感覚はやっぱり信じていいみたいで。
料理は実際的なだけでなくオノマトペな抽象世界も絡んでいる。
だから面白いのだな、と。
一番それを教えてくれているのが、コーヒー。

すっかりベルク熱にやられている。
絶品ハムやらベーコンやらパンやらが脳内にこびりついて離れず、昨日は自家製ベーコンと大魔人手製ジャガイモとやさしいタマネギをロッジのスキレットでジャーマンポテトに変身させた。

行ったことないのに。表紙の店構え写真には見覚えがあってね。
都内は自転車でばかり移動していたから駅ナカには疎いおかげで、今まで立ち寄らなかったお店。
行ったことのないお店、行くまで死んでたまるかと思えるお店があるって幸せ。味を想像するだけで楽しくなってしまう。

出会うきっかけが本だった、生まれた街にある店だったというのも、たまたまだとは思えないのでした。

いつもありがとう、言葉。カヌーに導いてくれたのも言葉、はじまりはいつも一冊の本から。


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