2016年1月31日日曜日

キャンドルでナイト


ゆらゆらと揺れる炎をじっと見つめてしまうのはなんだ。人の性?


言葉で語り尽くせない心をずっと灯してきたの、灯火。共に。
本当はぼくも解き放たれたい、言葉から。最終的には、言葉を使わず、ぼくが言葉になりたい。

今やスマホ。一緒にいても画面を見つめ合う光景は東京もここも電車もカフェも同じ。
ほわい、なんでやねん。ここにいるはずのリアルも、アメリカーノ。

見つめていたいのは君の笑った顔だけ。

ぼくといれば、Googleより楽しませてやる、なんて、あほみたいなことを考えつつ、
三日前とは比べ物にならないほど厨房での動きに無駄や迷いがなくなってきた。
今が伸び盛り、かなあ。頼もしきキャンドルアーティストの華麗なホールさばきのおかげ、ということで。

初土日、無事越えました!

2016年1月30日土曜日

No woman No cry


渋滞、すごかったみたいね。
午前中は空いているよ!

たまに気分転換ボブ・マーリーだよ。好みが分かれるよね。

まつり。どこもてんやわんややー!

キャンドルアーティストと氷濤キャンドル片手に頑張ってまーす。

2016年1月29日金曜日

開幕、南からの手紙


懐かしい音楽が流れるのは、温泉街もなんだね。わはは、ここまで聞こえるのか。朝、ひとりでにやけてしまった。
不思議な気持ちになる音楽。

昨日までとは明らかに何かが違う。

みんな、楽しげ。六色の色鉛筆が24色になった感じ。

楽しげな雰囲気。ウキウキしちゃうね。

まつりだもんね、そうでなきゃ。氷濤マン、やっぱ、すげー。中にいても外から見ても、やっぱ、すげー。みんなを笑顔にするヒーロー。ラッキーマン読みたいなあ。

負けてはいられない、ぼくの中の商人の血が騒ぐ。

…あるのかな商人の血。わはは。適当。


無事に冬の助っ人とのコラボも終え、帰ったら、南からの手紙が「おかえり」って。

あ、良かった、生きてたか。って。本当に。

乱れた字体。心がみえる。

ぼくらは、幸せになるためだけに生まれた。

誰もが誰をも傷つけたくて傷つけ合うのではない。
なんでか、泣かせてしまうのだ。笑わせたい人ほど、なんでか、苦しめてしまうのだ。笑った顔が最高なのに、笑った顔を、そばで見守りたいだけなのに。なんでか、簡単なことが難しい。困らせたいわけではないのに。見ていられなくて、離れたりくっついたり、悩ませたり悩んだり、好きなのに、好きなだけなのに。

ぼくの友だちは皆、やさしい。
やさしいから、苦しむ。

でも、やさしいから、また笑える。

大丈夫大丈夫。なんもなんも。なんくるないさ。












2016年1月28日木曜日

まつりの本番前


明日から、何がどうなるのだろう。


写真は東京は目黒のグラノーラとミューズリー専門店「GMT」(グッドモーニングトウキョウ)のもの。ミューズリーは味噌で食すのがベストという個人的結論に至っていると店頭で述べたら店長さんと意気投合。忘れもしない、2011年春の再訪。
久しぶりに食べてもやっぱりおいしい。

でも、あれ?自分好みにつくれるじゃん。


イメージはしている。しすぎて頭が痛い。
想像力が逞しいのか、いつも、本番よりイメー時(ジ)しているときの方がしんどかったりこわかったり痛かったりする。

多分、でも、イメージを越える事態にいくらでも遭遇するのだろう。
そうなったとき、ぼくには何ができるかな。

2015年12月14日、カフェオープン。
約一ヶ月半の実践を積み、冬の嵐へ。

前例がない。引き出しがない。

「前例がないならつくればイイ。君が前例になればイイ。」

これは高校卒業を控えた頃に出会った救世主がくれた言葉。

出会いたいときに出会うべくして人と人が出会うことの不思議。

必死な自分に出会いたい。まだ見ぬ自分に自惚れたい。

ボランティア精神豊富な方、どしどし手伝いにきてくれていいからね。
皿一枚洗ってくれるだけで、泣きます。嘘、NZ風ハグで勘弁したってー。



2016年1月27日水曜日

全員野球


連日、遅くまでの作業が続いている氷濤会場。


色入れ中の氷濤農家マン。

遅ればせながら、やっと出勤できました。

やっぱ、好きやねん。


遠方から駆け付けた助っ人氷濤マン。さすが。
お金だけれど、お金だけではない、まつり。



一日おき「ひとり夜勤」を買って出ているなおきさん。消耗は勿論しているけれど、充実感に誰よりも溢れて見えた。

ん?あれ?なんつーか、もしかして、この人、めちゃくちゃ気概あるイケてる男やないかーい。

離れて初めて分かることが実に多い。



期待の新鋭、たっく氏。


現場の空気感。これこれ。これが氷濤だよ。これをぼくは知ってほしい。


あさってから、ここに何万もの人が訪れる。
これからは外向きな仕事へ切り替わり、人波に翻弄されていく。


氷濤ブレーンズ。

2016年1月26日火曜日

さらば、昼間の千歳city

おまつり前、最後の脱力日。

店もぼくも戦闘モードを万全にするための一日。


写真は、ミル購入時におまけでついてきた鎌倉のカフェ豆。
時間が経過してしまったので、本来の味を確かめられなかったのが残念。

どれだけなくなるのか読めないなりに、今までの消費ペースを参考に予想をたて個人的に飲むなら一年分の豆を恵庭の「きゃろっと」にて入手&コーヒー談義。
ぼくの中のコーヒー熱を定期的に高めてもらう貴重な機会。
なるだけ直接お店に通う、通いたい。
コーヒーの話をずっとぼくはここでしたかった。念ずれば花開く。
イメージは必ず現実になる。不思議だ。

これからのキーワード、対等。
誰も偉くない、誰もすごくない。
みんな、偉い、誰も彼もすごい。
あなたもぼくも素晴らしいから安心しよう。卑下するの、やめよう。ふてくされるのも勿体ないから一緒にやめよう。顔が悪くなる。
面白かったり、楽しくなるために邪魔なものは全部手離そう。
誰といたら、心から笑えるか。居心地が良いか。簡単なことを聞き漏らさないで。気づいたらいつも、そばにいるのは誰。見てくれているのは?困ったときに、ざわつく夜に、誰の声が聞きたい?

一緒にいることで殺すものが大きすぎるなら離れたらいい。無理しないで。我慢なんかしないでいいことかもしれないよ。
慣れたらいけない慣れが、麻痺させてはいけない心が、ぼくらヒトにはあるんだよ。

がんじがらめになっていく心を数え出したらキリがない。

下でも上でもなく斜めから見るのでなく、誰とでもまっすぐに向き合えるようにぼくはなりたいから、誤魔化したり見ないふりはやめて、なりたい自分になろうと思う。
何が言いたいのかよくわからない風になりましたが、まあ気にせずに。


2016年1月25日月曜日

「祭りの準備」ガカガSP


今日も朝から19時まで氷濤マンたちは働いた。
制作部長となおきさんは、ひとり夜勤を続けている。


秋凪。photo by ぶっちー&かおりん。

夜。誰も歩いていない温泉街。スノーウォールを前にしていたら、why?と訛りのキツイ英語でチャイニーズに絡まれた。

No reason.と返す。

生きている間に生まれる全ての問いに答えてしまったなあ。


引きずり太郎代弁者ガガガSPの唄が響く女の人はこの世にいるのだろうか。

「学園祭の準備という理由で
毎日君に会えるこの日々は
僕の人生で一体何番目くらいの幸せに入ってくるのだろうか」

まつりが終わったら、支笏荘の、味噌らーめん食べたい。

始まるぞ、冬の陣。








2016年1月24日日曜日

【動画あり】カフェとカヌーツアーの共通点


初めて来る方が大半。
しかし、ホストとしてぼくがいちばん嬉しいのは、数ではかなわないけれど確実にいる常連さんの存在。


教えなくても、問題なくカヌーは漕げる。何なら持っている人もいる。でも、それでも、あえてツアーに参加する。してくれる人がいる。再会の楽しみだけでなく、期待に応えなければ、と身が引き締まる。
場所は同じ。人も同じ。ツアーも同じ。
でも、いつも、ちがう。
通ってくれる人がいる。

フィールドの美しさはもちろんだけれど、ぼくらに粗相があったら「また」はない。

また漕ぎたい。また飲みたい。また会いたい。
そんな「また」はいくつあってもよい。

また行きたい。そんな空間としてツアーのように店も機能させていけたらいいね。

2016年1月23日土曜日

1、2、3…だー


今日は1月23日。


足元はビビットカラーなコロンビア。数年前にビビビッときた。

久しぶりに、少し、ほんの少しだけ、外仕事をしただけで身体中が痛い。ここまでか。がーん。冗談でなく泡立て器より重たいものは持てないかも。情けない。二年、ずっと外にいたのに、ちょっと離れたらすぐこれ。身体は素直だ。
完全に「中」のひとな身体。慣れ、適応能力って恐ろしい。

こんなことでは、ヘタに手伝えない。盛り上がってやらかすイメージしかできない。

ぼくと店は今、ひとつだから。

会場が違うだけ。やり方が変わるだけ。頑張ろう。

2016年1月22日金曜日

お金


今日も素晴らしき朝焼けだったので、気持ちよく太陽を浴びながら、車を走らせる。テンションは上がり、スピードは落ちる。
ぼくの後ろには車がたまる。仕方がないので、皆を引き連れ、やっぱりちんたら走る。ペースを貫くより合わせることがぼくには困難だ。ストレスだ。困難もストレスもいらない。

欲しいのも大事なのも、とらわれない心。
お金で買えるような君ならいらない。


冬空。
いろんなことが、澄んでいく。

空にはお月さんと星と雲。
ぼくにはカヌーとコーヒーとこのお店。つまり、かのあ。

シンプルな空。
シンプルでないぼく。ほんの少しだけ、近づけているだろうか。

必要なこと、いらないもの。大切なこと、諦めたこと。
守りたいひと。迷惑をかけて。いらない荷物にさいならしたとき、涙は一滴だって出なかった。

気のせいだったこと、勘違いしていたこと、分かったふりでごまかしたこと。

「あと一週間か」
『やばいな、いや、やばくないか』
「始まったら終わる。3月1日からはカヌーだから」
『かあ~、忙しいなあ』
「忙しくないと面白くないしょ(にたり)」
『別にいいけど、春からのことをまつり前に煮詰めてはおきたいねえ』

2016年1月21日木曜日

十二夜の大寒


朝。誰も見ていないところで、面白いことをしてしまう。
昼。誰も見ていないところで、面白いことをしてしまう。
どっきりかな。思わず、カメラを探した。

面白いことは、ちょっと言いたい…というか、痛い。

燃えるごみの日、ちょっと嫌い。汚れたジーパン、履き替えた。

お粗末でした。



このコーヒー、おいしい。

世界には何億の人がいるんだっけ。

世界人口のうち、ふたり。
ぼくの淹れたコーヒーを、わざわざ言葉にして返してくれた。
コーヒーが、ネルを通って、ぼくとあなたのフィルターを通って、素敵な言葉になった。

おいしい。

…ぐっっっとくる。直視できなくなる。分かってくれるか、そこにたどり着くまでの道程。まずい、泣きそう。高村光太郎。

自分を認めてもらえた気になるらしい。

幸せはそんなもんだ。コーヒーは深煎りだが、ぼくは年々浅くなっていくなあ。
無駄なこだわりをぽいぽいしながら、身軽に歩ってる。


久しぶりに月夜の下でなおきさんとあーだこーだ言いつつ作業。

いやあ、今夜の月は明るい。純度が特に高い気がした。

なんとなく、なんとなく、本当に漠然と、
苦しみも悲しみも喜びも、たいした違いではないのかもしれない。
旅は暮らしだった。ここがあそこだったわけだし。嫌いも好きも、全部、元をたどれば出所は同じ。流れはあるようでない。
ぼくらは元々、たったひとつだったのだから。

明日も昨日もあさってだって、あるかないか分からないのは同じこと。
あると馬鹿みたいに信じ抜けるのが愚かな人間唯一の才能。
ぼくは愚かなわりにはあんまりそれを信じられずに、毎日、生きているか?確かめながら生かされてきて、訝しがりながら、これからを生きていく。
今よりもっとずっと面白い世界を見たいだけ。

2016年1月20日水曜日

表現の自由


ゴシップネタの裏には、いつも何か汚いものがうごめくから気をつけなければ。

しかし、21世紀だというのに、この国は。
表現の自由はどこにあるのだろう。誰にも迫害する権利はないはずなのだが。働くとは。人としての尊厳を何だと思っているのだろう。


まだ見ぬスイスに行くのは何度目だろう。
ぼくを越えていく頼もしき言葉たちは、国民的大スターよりなんでかとっても自由だ。

2016年1月19日火曜日

髪型が決まらなくては戦はできぬ


もうね、諦めました。
認めます、自分の中の、街心。見た目、超重要だし~ていうか、つーか使ってほしい。つーか!

思えばセンスある人にばかり惹かれる、囲まれる。

すいません、超とかお下品な言葉を江戸っ児は、間違っても使ってはならんとです。


最近流行りの上から写真。マイブームというやつですね。
全く髪型が分からないね。はげてませんし、はげません。

例年以上に怒濤の夏を越えられたのも、恵庭のル・クールさん…みとべ大先生がお洒落スイッチを入れてくれたおかげさまさま。
ああ、有能なカウンセラーさんでもあります。整えてくれるのは髪形だけではございません。
…うまいこといった。


外仕事しないとこんなに白かった顔。

全く未知なる冬の闘いまであと一週間ほど。
一言といわれたら、あまり迷うことなく「こわい」と返す。
様々なイメージを働かせてリスクマネージメント脳をフル稼働させて準備を整えているけれど、
非常に、こわい。恐ろしい。知らない、わからない。
早く始まってしまえ、と思っている。

それはつまり、非常に楽しみ。わくわくしている。ということ。

必死な自分に出会いたい。踏ん張る自分に出会いたい。何でもいい、口だけではなく、本当の意味で何かを守れる自分になりたいと、2011年からずっと願ってきた。
ぼくは世界中のかわいい女の子の笑顔を守りたかった。人が馬鹿にするような、くだらないことを本気でやることが大事。
熱は伝わる。当時の思いは一番伝わって欲しい人に言葉より行動で伝わったと思う。
原発はいらない。ぼくらの夢のため。今もそれは変わらない。腐ったシステムの象徴にさいならしようよ。

背負いたくて仕方がなかったぼくに、守っていいよと委ねてくれたのは、かのあだった。店だった。コーヒーだった。
すぐそばにずっとあった。盲点だった。諦めるより少しだけ先に気づけてよかった。

ぼくは頼る側でいることに飽きたからやめる。

いつも一緒にいるとよく分からなくなる。ぼくは特に距離感を見誤るのが得意だから近づきすぎるか離れるかしかできない。飽きるまで一緒にいる。先に呆れられる。

いつも一緒でなくなると、これまでいかに頼もしく素敵な人たちに囲まれてきていたのだろうと改めて見直す機会が多い。店番をしながら、お客さんの対応をしながら、今までのぼくらの間にあったあれこれを振り返る。ゆっくり、でも、確かに歩いてきたのだな、と。

店で人と話すとき、ぼくは、「ぼく」ではなく「ぼくら」と言う。
店に立つのはぼくだけれど、ぼくは一人ではないし、一人ではできない。
人の間に立ち疲れ、一人になってみて初めて、人との間につくってきたものの意義に気づく。






2016年1月18日月曜日

毎日同じ味


毎日同じ味…にはなかなかならない。


メニューにコーヒーはひとつだけ。
ひとつの味と、一対一でひたすら向き合う開店前の実験場。
大好きなコーヒーが少し憎たらしくもなってきた。
しかし、逃げない。白旗はあげない。負けてなるものか。
本当に好きならとことん向き合うのが筋だろう。稼ぎながら、自分の「好き」と真剣勝負をする機会をいただいた。
ぼくはこのコーヒーがたまらなく好きなはずなのだ。

お店に行っても確かに違う。
この前美味しかったからと同じものを頼んでみても、あれ?となることはまあ、ある。丁寧な所作は、美味しさにつながっている気がする。
豆の鮮度は焙煎直後をピークとして、ただただ落ちていく。

ペース配分が掴めないのは仕方がない。
変化にいかにして気付き、対応するか、できるか。淹れる側の手腕。心も作用してしまう気もする。

こうするとどうだろう。うーむ、これよりはそっちがベターか。でも、ベストには程遠い。が、この鮮度で、今のオレの最善は尽くしたか。

一番面倒臭い飲み物はココアでもチャイでもなく、コーヒー。
手がかかる、難しい。悔しい。乗りこなしてやろうじゃないの、となる。
そんな乗り物もあるよね。カヌーとコーヒー。ふたつは似てる。相性がいい。

明日は休戦やでー。



2016年1月17日日曜日

阪神淡路大震災とおかえりハイゼット


早く起きたから早くお店に行った。楽しかったりやる気があると、特に定められていない出勤時間はどこまでも早まる。

仕事が愉しい人と、仕事が楽しくない人、世の中にはどちらが多いのだろう。
…仕事、愉しいですか?仕事中の自分、好きですか?



今、ぼくは非常に愉しい。感謝。

武器が自分の話しかなかったソトカフェ初期と重なる。場所が湖畔から陸地になって、葉っぱが立派な屋根になったけれど、カフェはカフェ。
こわいものは何もなく、99パーセント、ツアーは自分色になった、させた。できた。負け戦はシーズンに一、二回しかなかった。無敵。それらは「若いからだ」と言われたが、年ではなくオレだからだよとそのときは心の内で否定していた。
今なら納得。ぼくはあの頃確かに若かった。武器は若さだけだったからそれを使うのは至極当然の成り行きである。
やり方は変わる。うまくならないはずがない。

うまくなりたかったわけなのだが、うまくなってきてしまって、ドキドキすることやワクワクする回数、心の振れ幅も減ってしまった。
こなしたいわけではないのに、こなせてしまう。想像の域をどのツアーも人も超えてくれない。
面白いからやっている仕事が面白くなくなってしまい、
もて余したエネルギーを発散すべく、仕事以外に熱中できるものを見つけた。
あらゆる感情をぼくに与えてくれてきた「仕事」は、鉄の仮面をかぶり、ぼくとの会話を拒否した。いや、仮面をかぶせたのは、諦めたのは、目をそらしたのは、手離したのは、他でもないぼくだろう。

でも、本当は熱中したかった。
仕事で泣いたり笑ったりしたかったのだろう。

自分のことはわからない。そのときに分かるのは困難だ。何が問題かも分からなかった。問題があることすら気づいてはいなかった。

久しぶりの感覚が甦ってきている。
長きトンネルに、光が差しつつある。

仕事が愉しいというのは素晴らしい。
一分後、何が起こるか誰にもわからない。はらはらしたかった。

話がそれるなあ。朝焼けがきれいだった。
夕方より山々が明るくて、そっか、見なくなったから忘れていた。冬は朝が焼けること。そんなことを思い出した日、夕日を眺めつつのカフェでは、今日の朝焼けも良かったよね話になり、ああ、同じものを見て同じように美しいと感じる人が少なからずここにいることでどれだけぼくは救われているかとまた嬉しくなった。



日本カヌー界のはじまりには、この震災があり、それを越える3.11が起きた2011年、かのあは本格的に動き始めました。
目覚めるため、忘れないために、カヌーという乗り物があるのかなと思います。
ぼくはあの日、友達の力になることよりカヌーを選んだことをずっと背負う。

いつ死んでも後悔ないように。なんか、やっぱ、すぐ隣の死の息づかいとか見えるから些細なことを気にしている暇がない。
現代社会は失格で構わないから、命あるものとして最低限の任務くらいは果たしたい。
いつも、ありがとう。あほブログチェック、お疲れ様です!








2016年1月16日土曜日

「商いは飽きない。」


商いは飽きない。飽きずに待つこと。

なおさんより頂いた言葉。知らなんだ。


待たずに待つことの難しさよの。

面白いくらいに人の流れが読めない。
思ったことと逆の事態に大抵なる。
心のさざめきまで読まれているような気分。

面白い。翻弄されるのは嫌いじゃない。アップアップしながら、でも心の奥底は非常に喜んでいるのがよく分かる。様々な能力を試されるのは愉しい。

裏で配られ回っていくテスト用紙。「始め。」
さて、あの先生はどんな問題をつくったかな。楽しませてくれるかな。試験用紙をめくる瞬間がたまらなく好きだった。
こんなことではまるで変態みたいではないか。

2016年1月15日金曜日

麺が好き


昔から麺が好きで。
パスタと言うより、スパゲッティと言っていたい、そんな年頃。

甘いものが身近になりすぎて。
しょっぱいものが非常に恋しくなっていて。

仕事で甘いものをつくり、帰ったら欲するのは塩気。


ないものねだり。あんこは別腹。
秋のにんじんケーキ一気食いもできなかったし、生粋の甘党ではないのだな。

この頃励んでいたのはクリーム系。
自家製ベーコン。 これを使いさえすれば、まあ最強なのだけれど、
もっとおいしく、もっとおいしく、が体内でハードリピート。

ようやっとこれで最強レシピの完成かと思いきや、控えの塩を試合に出したらしくじった。
塩が違うとこうも変わるのか。

料理、深いい世界だ。

世界も人もコーヒーも、どうやらぼくは深いのが全般好きみたいです。

こうなってくると、ヘタなカフェにもパスタ屋にも行けなくなってしまう。


2016年1月14日木曜日

水と雪、カヌーとボード


目覚めたら雪。結構な、雪。
個人的には、…待ってました!
刺さるような空気もまろやかになった。



広いお庭の除雪にまずは参加。

いそいそと今シーズン初のローカルスキー場。

買い出しができる方向にあったのは、 北広!ダイナスティ!四時間1700円。

雪が積もったら、やらねばならぬ、ことがある。
場所によっては、未開のパウダーも残ってくれていて、トリップ感トリップ感。

カヌーみたいに身体の一部にできるその日まで。
流されるよりも先に流れるように、滑らされるより先に滑れるように。
脳みそより速く、動け身体。

2016年1月13日水曜日

ジェントルマンとカフェ男子


「すっかりカフェ男子じゃない。」

常連さんに素敵なジェントルマンがいる。

その方は、ケーキなり何なりを食べおわると必ず、その時々の感想を伝えてくれる。

ただ、食べて終わり、な方が世の中には多いけれど、
つくる身としては、おいしく食べてくれているかがやはり気になる。

おいしかったよ。

たった一言。
ジェントルマンの場合、その中に「ありがとう」もさりげなくこめられる。

食べてしまえば一瞬だけれど、そこに至るまでの過程を、ジェントルマンはちゃんとくみ取ってくれているよなあ、と感じる。
ついつい、話しすぎてしまう。

ああ、こういう男が旦那ならさぞかし奥さまも気分がいいだろう。
世のおなごたちはこういう男を捕まえなさいと声を大にして言いたい。
かっこいい男ってのは、いちいちに感謝の気持ちを持ち、それを素直に表現できる人のことなのだ。
天の邪鬼やポーカーフェイスは論外。

今年の目標、素直になろう、さよなら反抗期、戦争放棄、BABY&PEACE(はまだ編集長のフリーペーパー名)にします。

どの仕事も等しく尊い。
どんな人も等しく尊いはず。



ちがう星みたいだよね。
三日に一度の夜勤体制が続く。
氷濤マンが頑張っている。
ぼくも氷濤マンだから頑張る。泡立て器より重たいものは持てないけど。
なおきさんがいて、なおさんがいる。店にいるのはぼくだけだけれど、物理的に一人になってみて初めて、一人ではないことの心強さだったりあらゆる可能性が拡がることを知る。

愚痴を聞いてくれる人はいくらでもいて、でもこれからのことを考えて一緒にワクワクできる人はそういない。ぼくは愚痴る側でなく、ワクワク側に立ちたい。


ほんの少し前までの自分を小突いてやりたい。
今、第三次成長期だろうか。




2016年1月12日火曜日

もっとおいしく、もっと美しく


スコーンスコーンこいけやスコーンのスコーンじゃないよ。チートスでもないよ。
イギリス人の母の味だよ。アメリカンならビスケットだよ。

ケーキのような華はない。しかし、ジャズ…カフェやるべ!話の発端にはスコーンがあった。



しかし、開発に着手してすぐにぼくらは気が付いた。
何がというかなんというか、これ、む、難しい。

人の数だけスコーンがある。分かりやすいゴールのない競技に足を踏み入れたらしい。
でも、よく、カフェにはあるよね。
あの「陽だまりのテラス」もスコーンだった。元気かなあ、店長さん。その後を知っている方はご一報くださいね。
あの建物、去年シンボルツリーと共に壊されて、マンションになっちゃったのです。朝はあった建物が、帰りにはなくなってね。素敵な外観だったから、悲しかったよ。

初めての千歳川と陽だまりのテラス、目印はメルカード。再会は湖上。
あのとき、ぼかあメルカードに通うことになるなんて思いもしなかった。

先日、陽だまりのテラス好きな方がカフェにやってきて、いいお店だったよね話をして。

なんか、こう、大切な人との思い出の中にぼくらの新しいカフェも背景として登場できたらいいよなって思う。

スコーンの話にそろそろ戻るよ。

スコーン、やめるか?話も持ち上がったが、なんとなく、いるでもなくいる、そんなポジションも意外と大事なのでは?なんて気がして、はじまりから頭を悩ませてきた手のかかるヤツがもしかしたら、かのあにとってのぼくにダブったのか、気付いたら甘党の党首なおさんのスコーン熱は冷め、ぼくが一番スコーンに執着していた。

しかし、答えはいつも求め続けていれば、必ずや導かれる。
先日、スコーンの救世主がやってきた。
NZガールから学んだ手法で今冬のスコーン結論をようやっと出せた。



2016年1月11日月曜日

『クマにあったらどうするか』語り・姉崎等


『クマにあったらどうするか』
語り・姉崎等
聞き書き・片山龍峯
ちくま文庫


「本が読みたい。数冊見繕ってほしい。」

漠然としすぎな要望に父は頭を捻らせ、楽しんで選んでくれたようだ。

封を開けた途端、感嘆の声を上げてしまった。
今すぐ読んでみたい本しかない。
それもそのはず、か。
ぼくは知的好奇心のかたまりを見て育ったのだから。

人付き合いは母に教わった。芸事は、感性は、多分父。

子育ては恐ろしい。ぼくは、親の戦略通りに育った気でいるから。

昔からなにかと言えば本を読みなさいと父は言った。
いつか手渡され、机のマット下に滑り込ませた新聞の切り抜き。

「活字の海を泳ぎなさい。一度きりの人生では、自分だけでは到底味わい尽くせないありとあらゆる世界を疑似体験できるのだから」
ああ、それは誰が書いた記事だったのだろうか。挿し絵と共にずっと頭のすみにこびりついているのだが、書き手のことは全く記憶にない。

本を読みなさい。
その教えは口だけでなく、欲しいものがあれば本ならいくらでも与えてくれたし、興味がありそうな本や著者に限らずワクワクする情報をいつもそれとなく提供された。

そのうちの一冊。

なんだと思ったら、「アイヌ民族最後の狩人」姉崎等さん、千歳の方ではありませんか。

千歳市内から支笏湖に向かう道の左手に「姉崎商店」ってのがあるけれど、そゆこと?

読み終わったら会いに行こうと思いながら、最後の最後まで読むのに間が空いてしまって、ようやっと。
インタビュー形式だから、なかなか読み進められなかった。

「アイヌモシッタ ヤクサクペ シネプカイサム」
和訳すると、
「この世に無駄なものは一つもない」

なんて素敵な言葉だろう。
どんな発音をするのかな。

やはり、ぼくらはみな、素晴らしいのだ。
君もぼくも、無駄じゃないのだ。


最後の最後のあとがきにて、
姉崎さんは2013年10月に亡くなったと書かれていた。

本の処分にお困りの方は売りに出す前にこちらまで。


2016年1月10日日曜日

チーズケーキとカヌー


本格的な冬が来た。
この頃はチーズケーキのことばかり考えている。
泡立てすぎて泡立て器が壊れたよ。


10グラムあれを増やして、砂糖も追加。
ん?んんん?…ということは、何が悪かったの?

「その試行錯誤がとっても大事なんだよ。」
なお大先生に教えを請いながら、実験は続く。
もっと、おいしく。もっと、もっと。

シンプルなゆえに奥が深いチーズケーキ道。これは正に、カヌー道に通ずる理念。

夏も学びが多かったけれど、冬はさらに学ばせてもらっている。
愚痴は無責任と同義語だった。
ほくは先にいきたい。もっと、もっと、楽しみたい。

草木が芽吹くとき、ぼくも一緒に笑っていたい。

2016年1月9日土曜日

氷濤まつり~第三班な夜

今時期の氷濤マンの生活。

朝、出勤。働いて、夕方に帰る。
翌朝、出勤。働いて、そのまま夜勤に突入。強風や積雪、その夜のコンディションによっては眠れぬ夜を過ごすこともある。死んだ目を泳がせながらお疲れ様の酒盛りが朝まで続く…こともある。

朝が来たら、見回りをして、出勤してきたみんなと顔を合わせたならようやく家へ帰れる。
(冒頭へ戻る。エンドレスにまつり開幕までこのローテーションが繰り返される)
これが一組四人の三班で回っていく。




氷濤まつりは、ここから生まれていく。

大魔人、おにいちゃん、たんたん、どるふぃん。
わかる人しか分からんよな。


18時。夕食時。
既に目に覇気のないたんたんのサービスショットだけもらえましたとさ。

2016年1月8日金曜日

千歳暮らしの難点


千歳暮らしの難点は、夕日を長く味わえないこと。
支笏湖通いはその難点を補う。
葉っぱもよけてくれる冬。毎日、正面に沈み行く太陽にありがとさん。


まつりまであと三週間。
嵐の前の静けさ。これは足りるか、あれはどうだ?つくっておくか?着々と準備を整えていく。
ここはどれほど恐ろしい戦場と化すのだろう。ぼくはどこまで応戦できるのだろう。


まつりが終わるが先か、ぼくがぶっ倒れるが先か。控えはいない。
そういうの、好きだ。やるかやられるか、みたいなギリギリのヒリヒリライン。なんか、夏みたい。

天塩の釣り吉は冬にあったとき「ヒリヒリヒリヒリ」唱えていたっけなあ。
冬に勝ったらカヌーがはじまる。あまり知られていないけれど、春の湖は惚れ惚れするほど、美しい。

カフェはいつまで続くかな、わからないことだらけ、お楽しみに。


2016年1月7日木曜日

頑張る人


頑張る人が好き。楽しんでやろうと努める人が好き。苦しくても笑っちゃうような人が好き。


満月ふたつ。小さな、誰にもわからないところ、しかし、自分には非常に大切な製作のコツを生み出せたときの感動ったら。
ライバルは、もこみち。すいません、カヌーでなく図に乗りました。


そんな人に惹かれる。そんな人になりたい。
できることがあるならば、なんでもしてあげたくなる。


二日、死んだように寝た。

女の人にも二つある。
荷物をのっけから預ける人。自分で持ってやろうとする人。

ぼくは後者を好む。

前者、あほかって思う。器用な人は好きでない。頑張らない人、好きではない。否、大嫌い。

甘え方が分からないのか、本当に強いのか、答えは様々だろうけれど。
頑張る人がいたなら持ってあげたくなる。持たせてくれと思う。なかなか委ねてくれないのは、ぼくのせいで、甘えベタな君のせいじゃない。

背負いたがりの虫が騒いで仕方なかったここ数年。
ようやく、念願の荷物を背負わせてもらった。
今までのすべてを無駄にすることなく、むしろすべてを活かしながら、ぼくはザックの容量を増やし、いつかの長旅に備えるのだ。


2016年1月6日水曜日

氷濤マンの数だけの氷濤まつり


初めての氷濤マンでない冬。
好奇心がうずいた。
客観的に、外から見える氷濤まつりとは、はて、一体どのようにぼくの目には映るのだろう。
物事をちゃんと知るには中だけでも外だけでもいけない。

支笏湖温泉街の、とあるカフェから見る氷濤まつりについて、今年は書ける。



現場の声も拾わなければ。
しかし、数名の氷濤マンたちからの話を聞いていると「…ん?」となる。

同じ場所、同じ空間にいるはずなのに、人によって捉え方は様々であるようだ。まるで逆の見方をしていたり。真実はどっち?
その人ごとの熱量や立場、思考回路の癖等を鑑みて、現実に限りなく近いであろう事実を推察する。
しかし、やはり何事も自分の目で見ないものには、たいした意味も価値も信用もできない。ルポルタージュってなかなかやっぱり測り方が難しい。
○を○のまま、伝える面白味のない人間はいない。

いちばん確かなのは自分自身、目の前で展開する半径五メートルの世界だけ。

しかし、やはり、特殊なコミュニティーなのは、妙な目の輝きで一目瞭然。熱中しないとやりきれない中毒性の高いまつりなのは確か。
何が良かれかはわからないけれど、ぼくも、例外に漏れずぶっ飛んでいたんだろう。
ま、どこでも、いつでも、か。


何においてもやはり、事件は現場で起きている、という安易な結末。
内部の面白さが世間に知れ渡る日は遠い。知られたら困ることだらけだし。
客観的思考を求められるルポライターは失格か。

そんなわけで、
氷濤まつりをもっともっと誰よりも楽しみたい方は、氷濤マンになるのが一番の近道ですよー!


2016年1月5日火曜日

降らない雪


先日、分かっていないなと思わず立ち止まってしまった。


一ヶ月前なら見過ごしていた。

オレならこれはなし。
正解はないけれど、ベターな配置は…。
今まで全く気にしたことのないこと、気づかなかったことを教えてくれたのは、喫茶店の大先輩。
何から何まで甘かったとです…。

いちいち悩みながら、おぼんの中にひとつの世界をつくりあげる奥深さ。

今年のソトカフェ、相当レベル上がっちゃうんじゃないの?

しっかし、雪遊びができましぇん!
スキー場だけピンポイントで降ってくれー!

2016年1月4日月曜日

氷濤マン、夜勤開始


今夜から、氷濤マンたちの夜勤が始まっている。



三組四人で、まつり開催まで走り抜ける。
ここからは完全休日がなくなり、夜勤明けのみ身体を休める(強者はスキー場にその足で向かう)こととなる。

たった12人でつくりあげていることを、もっと沢山の人に知って欲しい。


頑張りまくってつくられる景色の本当の価値を、訪れる人たちに感じてもらいたい。

様々な思惑を、リッチココアに、タンポポコーヒーに、チャイに…全メニューに混ぜている。

リスペクト、氷濤マン。
誰も身体を壊さず、無事にいきますよーに。


2016年1月3日日曜日

I'll be back


やっぱ正月はケバブ!


…うそ!初めて!…あり!
でも、照り焼きソース売り切れ!ミートパイもおいしい(手前車)けど、今日はTurkey!

いや、安心したよ。アンチ三井超レラ派だから。いつもすいてて先が危ないよなと行く度思ってた。
忘れていたよ、オレは平日の昼間しか知らない。

正月レラ、夜も混んでるやないかーい!

オンオフの切り替えスイッチをブログで学ぶ作戦だよ!
どんどん崩れていきそうだよ、てやんday。今日は特に手抜きだよ!

アウトドアショップ店員という、密かながら長年の夢も叶えてしまった 。
アウトドアショップでもホーマックでも、店員と間違えて声かけられるけど。そのまま教えたりしてみるけど。最後までバレなくて、なんでやねんって小さくつぶやいた帰り道。
ま、っぽさがあるんだろう。ということにする。

汚れることをあまり気にせずに(汗でなく小麦粉で汚れる)今日は何着ようか悩める自由。新鮮&幸せ&懐かしい!学生みたいー!
帽子かぶらなくてもいいなら、髪も遊べるしー。ああ、早く美容室行かなきゃーって、女子高生みたーい!

見て見ぬふりをしてどうでもいいふりをしてきたけれど、してぃーぼーい心は、やっぱりなくならなかった。

ぼくは街で生まれた。
伊勢丹でお気に入りのケーキを買ってもらい、文房具は世界堂で買い、イエローサブマリンでポケモンカードを集め、御苑の写生会で、森の先のビルの窓をいくつも描くのに難儀した。初めてのポイントカードは今はなき電器屋「さくらや」で、社会見学は国会議事堂と最高裁と警視庁で、夏休みには皇居でたかこと大量のセミの脱け殻を集めた。
大きくなって、その街の大きさと特殊性を知った。
ぼくは窮屈な街を出た。出たという感覚はなくて、ただ、はみ出した。
離れるほどに、ぼくの中にある「街」性を強く感じた。
「街」は生きている実感をぼくから取り上げた。
何も自らの手で掴めない弱さを与えられたおかげで、自然の強さに人一倍感動できる土台が備わった。大げさでなく、何にでも感動できるのは、街に生まれ育ったものの特権だろう。すべてが目新しいから。

あるものは全部活用しなさいということだろう。

既製品でない一点物のハンドメイドカヌーが飾られたかっこいいお店が湖のそばに、ひとつ。
絶賛されているオリジナルケーキと、これぞな飲み物、居心地のよい店内。
そこにいる人は、カッコよくないといけない。
清潔でないといけない。求められればどんな話も提供できるし、会話もウィットに富んでいていちいちおもしろい。でも、引き時もわきまえている。静かに過ごしたい人がいたなら、その通りに。声のボリュームも絞る。話したがっている人がいたなら、聞き上手にもなり、怒っていてもつまらなそうでも必死でもいけない。笑いながら、いつでも、やさしく、目の前の人を見るでもなく、プレッシャーを与えることなしに見守る。何より、楽しげかどうか。唄っているかどうか。トータルの雰囲気が一貫しているか。

ぼくが客なら、そんな店に通う。

一番の広告塔は人だ。

なおきさんのカヌーと、なおさんのケーキ。ぼくのコーヒー。
それぞれに詰まった思い。ぼくが一番そばで二人を見てきた。それ以上に見守られてきたのですが。
一人称ではない語りの方が効果を発する場合も小説にはよくある。
冬のメッセンジャーとして、ぼくはいろんな思いを背負わせてもらい、この任務を全うしないといけない。
去年までのぼくなら逃げ出したろう。

「目指せ、野暮ったさ」を合言葉に腐らせようとしてきた、街…洒落心にクレ556を注油。

見られることで美しくなるのよ~おほほほほー!

もう限界、おやすみ!







2016年1月2日土曜日

年はじめハグ


クレイジーイングリッシュと、惜しい日本語が出会った。

あ、この感じ、勢い、一緒。
三秒で友だち。めんどくさい駆け引きなし、ハラノサグリアイはゴミ箱へ。すごい楽。
言葉はカッコつけるためでなく、使うためにある。

なんていうの?楽しむことにまっすぐ。
腐ってる顔より、何でも楽しんでやろう精神を持つ人がぼくはたまらなく好きだよ。

あ、やっぱ、日本人は失格でいいや。世界的にはオレがmajority。

帰りがてら、じゃーね、ばーい。いや、また明日。

FREE HUG!

大きな声で笑い飛ばせば、なんでも、いつでも愉しくなるよ。


「森があれば鳥がさえずる。カフェがあれば人が集う」
そんな言葉を昔なおさんから聞いたことを、今、思い出した。

始まったばかりのカフェだけれど、人が集いはじめているよ。
みんな、気持ちよさそうに笑っているのを見るでもなく見ていたら、なんだか、ぼくらはもう、嬉しくて嬉しい。








「DAY DREAM」


いつだって夢のような言葉ばかり溢れるんだ
君の唇を眺めてるのが好きだった


水平線その向こうに消えた日々に
重ねたのは鮮やかな笑顔
ぼくはまだ夢の中さ

by Caravan


旅の空は、暮らしの空。
ここではないどこかは、どこでもないここ。
音楽は変わらない、やまない。
幸運なことに、ぼくはあほなまま、少しずつ、できることを増やせている。
とにかく、感謝。

泣き崩れた夜もいつか明ける。死にさえしなければ、誰にでも分け隔てなく、朝は間違えずにやって来る。
自然は恐ろしい。けれど、間違いない。
人間は愚かだ。しかも、間違える。いいとこなしだ。

しかし、この節穴には、一生懸命な人間は自然より何より素晴らしく映る。美しく見える。未完成、矛盾。人間臭さ。
老若男女問わず、頑張る人が好きで、頑張る人がいたらいくらでも力になりたいと思う。
技術ではなく、ついた餅より心持ち、なのだ。

カヌーが漕げるだけでは、おいしいコーヒーが淹れられるだけでは、全く、足りないのだ。
どうして漕ぐのか、漕ぎたいのか、誰に淹れたいのか、飲んでほしいのか。なんのため?

水面下の気持ちが抑えても溢れてしまっている、そんなんが最高。
語らずに動作で語る。ワンストロークで。一杯で。
伝えるために、伝えるための言葉を手離して自由になりたい。
言葉というゲージから、心を解放させてあげたい。

水の上だと狙うことはできないけれど、たまにゲージの鍵を拾う。天国があるならここだと確信しながら、ぐわんぐわん。頭が重たくなっていく。ぐわんぐわん。完全に身を委ねる。水のリズムに、テンポに、全権を任せる。調和していく身体。個は消失し、水の一部に成り変わる。この懐かしさはなんだろう。いつか、ぼくは、ぼくらはなんだったのだろう。

水とセックスできる人をぼくは他に知らない。
パドルを抜けなくなる。
落っこちないようにだけ、最後の理性だけ、かろうじて残す。
この途方もない気持ちよさを全世界、一体何人が味わえているだろう。もどかしい。体感しないことには全くわからないし、意図的にお連れすることも叶わぬ異次元のお話。
危ないクスリも煙草もパチンコもやっていません。素面だし、それでもtripできてしまうのが、水の上。



誰しもに素敵であってほしい。誰しもが素敵であれば、この世界から愚かな争いはなくなる。無駄な痛みや悲しみがありふれていることに、慣れては、麻痺させてはいけない。今、ぼくらが生きるこの世界は、変だ。妙だ。狂気だ。騙されてはいけない。
ぼくらの小さな暮らしはまとかもしれないけれど。

価値観は様々だから押し付けずにとりあえず自分の素敵を、自分で表現できるように頑張ろう。半径五メートルの小さな世界を完成させる。
腕っぷしより心粋。意気。







2016年1月1日金曜日

偏愛道具学 コーヒー編


カヌー乗りが華麗なパドリングテクに憧れるように、コーヒー好きはミルに憧れる。


わはは、やったぞ!
仕事を理由に夢を叶えたぞ!



思っていたより小さい。泡立て器が相棒なぼくの手は(中指から)17とか18センチくらいかな。
手をつなぎたい方はご予約ください。選り好みはします。

いやあしかし、ずっしりと重い。頼もしいじゃない。


富士ローヤルのみるっこ。

スタンダードカラーや他のメーカー(カリタ/ナイスカットミル)ならもっと安く入手できる。

が、しかし、ぼくはお金より見た目、見た目というか恋心を大事にするから、こいつに出会うまでの物語もひっくるめて、こいつ以外は愛せない身体になっていた。

赤でも黒でも黄色でもシルバーでもなく、主張もせずにひっそりと、しかし、確かにあるという存在の絶妙っぷり。能ある鷹は爪を隠す。
長く使うに飽きない色。結婚するならこんな人。

ぼくのワガママな気持ちがたっぷりあるので、私物。

すべては、おいしいコーヒーのため。

いつか、メニューのコーヒー説明書きに
「シンプルをきわめるとピュアになる」と記載できるその日まで。

ムラなくいつでも変わらない味。禅みたいなコーヒー道。

あけましておめでとうございます。
今年もシクヨロー。
正月感、差し入れもいただきました、ごっつあんです!