2016年12月30日金曜日

国境



やるかやらないかだけだといつも思う。
やっているか、やっていないか。
考えているか、動いているか。
言葉に誠実か。
思考は行動で体現できているか。
何のために今、ここにいるのか。明確な答えの有無。

あるときからある友人に何も言わなくなったことを思い出した。
その友人は会う度に言うことが、やりたいことが違った。
まあ、その時々で本当の気持ちだったのかもしれないが。ヘタクソなのは構わない。しかし、うそつきは嫌いだ。やらないなら容易く言葉にしてくれるなと言葉教は思ってしまう。
「この前言っていたことは何だよ!」
会う度、ツッコんでいた。言葉には責任を。それを聞いた人間は少なからず期待する。ぼくは過剰に期待しては勝手に落ち込みまくっていた。いつしか裏切られることに疲れ、期待することをやめた。諦めた。逃げた。途端、楽になった。
今になって思えば、「正義」はそれぞれ。ぼくの「よかれ」は彼には不要だったかもしれない。
「親切という名のお節介」という言葉もある。
今年は特に人との距離感について、深入りしすぎないように、が課題であった。しかし、意識をしてはいてもぼくはついつい口を出してしまう。そんなもんじゃないだろう?と思いたがる、信じたがる節があるのだよなあああ。うーむ。

後に長年の付き合いを解消しようかと悩んでいた彼の恋人と偶然街で出くわした。
「アイツに何の魅力も感じられなくなってて」と嘆いてきた。
色々話していく中で、実はぼくはずっと彼に言い続けてきたけれど一行に変わらなかったからある時から諦めてしまったこと、一番影響を受ける恋人であるあなたという人がありながら申し訳ないことをしてしまった、と謝った。
ふっと彼女の肩の力が抜け切ったのが分かった。
「あべくんがそこまでしてくれても駄目だったんだ。そっか、最後の頼みの綱だったんだけど。知りたくなかったなあ。」

それから程なくして二人は別れた。

2016年12月29日木曜日

漕ぎ納めは美々川か?

春振りに、美々の楽園に行ってきた。楽園までの細迷路は精神力を試される。


薄氷。右の道はカヌーガリンコ号の仕業。

カヌーが通る 小さなさざ波が立つ 川岸の薄氷たちが控えめに唄う


頭上にはオジロワシ。カヌーから逃亡するシカの雪のようなケツ。水の中には弱ったサケ。
出会い系サイトもびっくりの豊富なラインナップ。
喧騒が嫌になったら冬もカヌーに乗ればいい。

シルエット的にはサケはシロな気がするが、ベニもいたのかなあ。目視かなわず。


自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でもね。

スナフキン。



山線から見た支笏湖のように澄んだ川底。


2016年12月27日火曜日

ホワイトセージでグッドバイ


今年はやめようかなあとか悩みつつ、やはり、年賀状送付作業。
ぼくの一年に興味がない人には不幸の封筒でしかないよなあと思いつつ、(そんなこと考えたの初めて!)
毎年恒例の一年振り返りまちゅに添える年始らしからぬ手紙をしたためた。

もし、ぼくの年賀状をぼくが受け取る側なら、…受け取り拒否。
関係構築もしたくないだろうなあ。会えなくて良かった。ぼくがぼくだったことは不幸中の幸いだ。そうなるとまわりへの感謝、とまらへん。こんなん許してくれてありがとう、よなあ。

合間にはカヌーを掘り出し、
後半戦は片付け。


久しぶりにすっきりした家にホワイトセージ。

生まれ故郷、活字の海に少し帰る。ぼくは本の中で夢を見て、その夢を本の外に持ち出した。カヌー。今、目の前にあるそれは元々本の中。
写真は愛する石川直樹さん特集の【アイスクリームプラス】。

むさぼり読みたくて、無性に書きたい気がする。
生まれたところに帰るのは、本能。

2016年12月26日月曜日

チーズケーキ


テレビのない部屋には音楽がある。ラジオがある。テープがある。
Sp thanks たんたかたんたん

お世話になっている人に何が返せるだろうかと考えた末にチーズケーキをホールでプレゼントした。


今のぼくには何ができるだろう。
これからのぼくは何ができるようになっていくだろう。

感謝の引き出しは多くて困らない。

2016年12月25日日曜日

Xmasほーりー

道が悪くとも、札幌は渋滞で酷かろうとも、恋人たちはどうにか頑張って支笏湖までやって来てくれる。そう、そういえば、今日はクリスマス。
ちょっと特別っぽい日に、ここにたまたまだったり狙ってカヌー乗りがやって来てくれたりして。
嬉しいよね。うん。
会いたい人に会いに行く側がずっと常だったけれど、人を迎える側ってのも悪くない。いや、全くもって、悪くない。
ぼくが立つ店にぼくが客で入ったなら、どう思うのだろう。今日は店に来た人全員と話した。
ぼくは「ほっとけよ」って思うかなあ。距離感はわきまえている。不要であろう人には声はかけないし、というか、高確率で声を掛けられる。
これは何でか「道をよく聞かれる」のと共通のものだろう。


【NOVA CRAFT CANOE】プロジェクトは、この男なくしてはありえなかった。
功労者、ほーりーと久々の再会。

毎日が平和に、のほほんと、穏やかに、ときに忙しなく、しかし一日ずつ過ぎていく。
いつかのぼくが頑張ってくれたおかげ。平和を享受しよう。そうか、思えばあまり、平和に慣れていないのかもしれない。

2016年12月24日土曜日

メリー除雪イブ


一日除雪に精を出したら0.5キロ減量。
昨日は濃い一日だった。思い返せばどたばたの温泉街だった。
あちこちで動けなくなる車たちもいたそうな。

今朝も除雪から始まったが、風がなく空が青く、穏やかな一日。
それだけで、もう、感謝。沁みる。

ひどい日は最悪だが、良い日は美しい。今冬は振れ幅が凄まじい。
雪に少し疲れてまだ12月。気持ちは既に1月後半か2月中。

2016年12月23日金曜日

除雪だけで終わる1日

朝から夕方まで、重たいべちゃ雪と闘う。
札幌は95センチ積もったとのこと。支笏湖線は最悪。
飛行機はまたも飛ばず@新千歳空港。


コーヒーどころではない一日。
大雪の日はあちこちの除雪のため店を閉めている場合もあるかと。御容赦ください。
疲れ果てた。ベーコンを新兵器で燻製してやった。
よしゃ、旨い!室内で燻製できたら無敵。
購入希望者はご一報くださいね~。市販ベーコンを食べられなくなります。
明日も除雪頑張ろう。

2016年12月22日木曜日

2017氷濤まつり制作の見学 正門トンネルの網張り

カヌーの試乗がてら、氷濤制作現場へ潜入。


チームかのあ・ふっちゃん。
去年の冬は初めてのカフェで一緒に氷濤まつりを闘ってくれた。
温泉街から眺めた氷濤まつりを、今年は制作現場から。視点が変わると「まつり」が変わる。
この現場を知らずに氷濤は語れないのだ。


切り込み隊長:まーやん。夏はヒメマス漁師や!!

「見てるだけじゃなくて手伝えや」と早々に絡まれる私なのであった。


骨組みはとっくに完成!
今は、網かけ中。面をつくる。これが凍らせていくためのキッカケとなる。


左:なおきさん、右:だいごろー。


腰に巻いた紐で網と単管をちょこちょこ固定していく。

何はともあれ、今のところはみんな元気に生きています!

2016年12月21日水曜日

カヌーのはなし

あーだこーだ顔なじみの面々と。


氷濤制作は放水も開始。
支笏湖の保育所は本日、閉所式。今日から春までお休みとなる。冬季休業する保育所というのは聞いたことがない。北国では普通なのかだろうか。街ではないからなのか。人数規制でもあるのか。
夏も冬も、支笏湖に暮らす家族は変わらずにいる。

2016年12月20日火曜日

新時代

昨夜、新しいカヌーが暗い湖にやってきた。

今朝。
乗り心地が気になって気になって、これではおちおちと買い出しに出られない。
支笏湖へ走る。

既に身ぐるみをはがされたカヌーがハイエースに乗せられていた。
「気になって眠れないよ!」と、なおきさん。

いそいそと水の上へ。


なおきさんの情熱とほーりーの語学力。‥あ、でもぼくも輸入手続きに頭抱えたからね。
ということで、ようこそ、【NOVA CRAFT CANOE】(ノバクラフト)。
詳しくはまたどこかで。

2016年12月18日日曜日

パドルのち、コーヒー

午前、久々、千歳川。どうしてもぼくになるようになっていたのだろう。
あたたかい日で幸い。


今日のお客さんは山遊びをしているとだけあって、外でのアンテナ感度が敏感。

一瞬、布団に包まれたような柔らかくあたたかな感覚に二度ほど。

「‥あ!!今の!!分かりました?」『はい、さっきほどではないけれど、確かに』

どうにも言葉では説明しがたいニュアンスを共有できることもある、人間の五感って不思議。

いそいそと支笏湖へ移動し、午後から店を開ける。
穏やかだったさっきまでとは一変。支笏の胸騒ぎ。恋か?はたまた‥

‥ん?これが「両刀使い」ってヤツか。可能性二乗?器用っぽい。ぽいぞ。らしからぬなりに、それぞれにおいてなかなかのポテンシャルではないか。不器用代表だってのに。情熱さえあればなんとやらってやつか。
できないこともやれずにいることも、結局、情熱が足りないだけだ。続かないことも身につかないことも。

Wear your passion.


2016年12月17日土曜日

独立がゴールでもない


野望とか展望とか独立とか、よく聞かれる。

返答に困る。ある意味既にしているような感覚でいるしなあ。
ぼくの夢はどれも叶っている。叶い続けている。
元来、成功欲がない。名声も肩書きもくだらないと思っている。人にどう見られているかが気にならないわけではないが、やはり、一番気になるのは誤魔化せない自分の目。ぼくは自分を嫌いになりたくない。踏み外したくないのはそこだけ。そうしていると社会からははみ出る不思議。
自分の好きなことや得意なことで稼ぎながら年中笑っている。幸せだ。
誰に何の指図も受けずに自分で考えて動く。自由だ。
ひとりでは見ることのなかった世界が芋づる式にあちらこちらからやってくる。
「まだ見ぬ世界を知りたい」by HY

年々高鳴っていくワクワク感。できることが増えていく確かな手応え。
ここでのクリエイティブ極まりない暮らしがぼくはいたく気に入っている。
anything else?

幸せ、自由、クリエイティブ。カヌー、コーヒー、最高に気持ち良い夜。
anything else?



2016年12月16日金曜日

千歳、-18℃

早朝、いやはや冷え込むなあと思ったら天気予報は-18℃。



周囲の木々が裸になっていくのを尻目に、我が道を歩み、最後の最後まで青々とした葉をつけていた店の前の栗の木。裸になっても圧倒的存在感。

太陽は何を思って沈む位置を考えているのだろう。少しずつ、分からないくらいに、でも気付いたら随分と離れ、一回りするとまた元通り。
曇ろうと、晴れようと、吹雪こうと、誰が喚こうと、必ず昇り、必ず落ちる、エゴイスト、かな。

2016年12月15日木曜日

【ファイントラック】ドラウトポリゴン3

パンツでもアウターでもお世話になっているファイントラックが独自開発した新素材を使用した「ドラウトポリゴン3」。
去年秀岳荘北大店での試着感に感動して、虎視眈々と狙っていた獲物でして、今年ようやっと入手。

特集ページ↓にちらっとコメントしています。

ムレ、解放



一冬使い倒してみよーっと。


photo by NAOKI.M

2016年12月14日水曜日

カフェ一年(半年?)記念日

去年の今日。2016年12月14日。「カフェ CANOA」はじまりはじまり。

夏はテイクアウトだけだから一周年とは言い難いけれど。
生みの苦しみを越えて、とりあえず、今年もやれているぞ。


去年、頭を悩ませたスコーンの学び日の北海道神宮。photo by NAO.M

たった一年、されど一年。冬は人を変える。

2016年12月13日火曜日

カフェっぽい一日

雪からの雨からのくもり。
雨、もう冬眠してくれ。今日に限ってコットン100%グラミチパンツで除雪だよ。


待ち構えていると客は来ず、頭を切り替えて作業に没頭するかと動き出した途端に客は来る。
客足は読めない。読めるようになるものではないとは、飲食の先輩談。

人を育てる極意は「期待せずに期待する」ことだとカヌー先輩には教わった。
目から鱗だった。
期待しすぎた分、裏切られたときに落ち込む。その時間も心も無駄ではないけれど、無益なこと―何かや誰かに振り回されることを、敬遠できるようになっていく。
まあ、体質はそう簡単には変わらないけれど、意識しておくことで少しは無駄を省けるはずだ。

期待せずに期待しながら、今日もぼくはここにいて、
コーヒーを淹れながら初めましての方々と友人の如くくっちゃべり、外界情報をいただく代わりに、支笏湖やカヌーや氷濤まつり等の情報を必要そうな人に提供する。

「居心地が良いなあ」とか「また来ようね」とかは「おいしい」と言われるのと同じくらい嬉しい。

今のところ「冬季限定カフェ」というのも夏のカヌーツアーの大騒動を知らない人には驚き尚且つ残念なことであるらしい。

【かのあ】の軸足はカフェでも氷濤でもなく、カヌー。
本業ではない。どうせやるのならば「片手間だけれど、本気」でやりたい。ぼくは別に楽がしたいわけじゃないし、その方が楽しい。
言葉にしなくても少しずつにじみ出てきているのかもしれない。

今できる最善を尽くしていくだけなんだろう。

2016年12月12日月曜日

新千歳空港パニック 一日二善

たかこ、リトライ。東京さ帰らせてだ。
飛行機、今日は飛びそう。7時空港着。既に人だかり。ロビーには昨夜空港で夜を明かすために使われたのであろう毛布がずらり。座りこんでいる人もまだいる。消耗戦だなあ。

帰れなくなるほど、人は帰りたくなる。

二時間半ANAのカウンターに辿りつくべく並ぶ。
こういうときにスマホで写真を撮っている人の気がぼくには知れない。困っている人だらけ。疲れている人だらけ。
何でシャッターを押せるのだろう。それを誰に見せびらかすのだろう。意味が分からない。苦しげな顔はする必要はないけれど。だって、誰も悪くない。
空港で勤務する方々、本当にお疲れ様です。

ぼくらの前に並んでいたAsiansが心配そう。そりゃそうだ。重要なアナウンスは全て日本語。何も分からないままに遅延や何やと変更だらけ。状況は刻一刻と変わり電光掲示板も追いつかない。自分の乗るべき便の手続きがいつ始まり終わってしまうかも知れない。
ぼくが外人だったら、味方が欲しい。
だから、味方になって、何便でどこ行きなのかを尋ね、逐一の情報を伝え、彼らが乗るべき便を案内した。


Have a nice trip!
雪、嫌いにならないでね。ほら、こんなにきれいなんだよ。
越冬一年生時、車が全損した日もよく晴れた冬であった。わはは!笑ってまえ。

違うところでは女の子らがスマホを見せ合い盛り上がっているうちに、自分たちの乗るべき便を見落としかけて突然不安に駆られていた。
「まだ大丈夫だよ。次のアナウンスがあるはずだけれど、一応あそこのカウンターにチケット持って確認してみたらいいんじゃない?」

たった一言で人は不安になり、たった一言で人は安心する。

その「たった」を出し惜しみするメリットはひとつもないとぼくは思うから、いちいち口にする。

当事者ではない余裕がぼくにはあるということもあるが、非常にいい経験をした。
生死に関わることではないにせよ、有事のときに何ができるか、どんな思考が芽生え、どう動けるか。自分のことだけで必死になるより一歩先にぼくはいきたい。
何でもない日々は、いつかのための訓練だ。

「2011」はずっと続いている。この時代に生を受けたぼくらは試され続けていく宿命にある。それを学ぶためにもカヌーなんだ。

2016年12月11日日曜日

飛んだ人飛ばない人

千歳cityとは名ばかりの支笏湖、快晴。
やっぱりここにはシールドが張られている。

市内、雪雪雪。除雪除雪じょせーつ!!毎日何回も除雪除雪除雪。わあ!でもすっげーきれい!!
支笏湖ー千歳市間、道道16号は「地獄絵図」な時間帯もあったとか。(ふ談)



飛行機が飛んだり飛ばなかったりドタバタsunday。ぶんちゃん誕生日。

明日は飛べるかな。でも、一日伸びたおかげでいろいろ動いた。

感謝感謝。
ぼくははて、何をどう返していけるかな。

2016年12月10日土曜日

きれいすぎる「窓」からの眺め‥いや、正確には「ドア」

千歳市内~支笏湖間、およそ25キロ。
朝から泣きたくなるような視界不良。精神を翻弄されぬようギュッと握るハンドル。

生きたい、生かして。
「生命」に執着しないでは、生きていけない北国の冬。

吹雪のため午前で氷濤まつり制作は中止となったようだ。
今季の氷濤中堅組と氷濤ダービー2017予想で盛り上がる。
皆が本業ではなく、ヒメマス漁師、カヌーガイド、ボート貸し屋、農家、観光船‥夏はそれぞれに仕事を持つ人間たちが冬だけ力を合わせる。誰がいつまでいるかも分からない。特殊な集まりならではのメリットもデメリットも内包しながら、まつりは必ず予定通りに開幕する。

去年の分も取り戻すべく、今年は積雪量が多くなりそうな支笏湖。
いつもここは美しい。けれど、冬の美しさの次元は他の季節と一線を画す。

2017年の【かのあ】の動きもより具体的に。
冬本番を前に、まだ余力があるうちに、来シーズンを見据えながら、それぞれに。


2016年12月9日金曜日

カヌーに、冬の支笏に願うこと

店、なおき邸、自宅。
場所を移動するごとに除雪を繰り返した今日。
やまない雪はある。
上品な室内モードの身体には刺激的。

店の電話が鳴った。
「今日、すごいきれいだわ、これからみんなで乗るけど来る?」

いや、オレは店を開けていなければ。たかこを送り出す。
店長たる者‥


た、たまにはいいよね。枝に雪が残っているし風はないし、今日乗らないではカヌー乗り失格‥やっぱ行こ!

‥しかし、やはり、出遅れた。パドルもない。「乗り遅れる」とはまさに。


うーむ、やっぱり、冬もカヌーが美しき支笏には浮いていて欲しい。
夏とは全く異なる世界感。
お喋りで馬鹿丸出しの夏と違い、本物ー冬は多くを語らない。ぼくは寡黙な冬になりたい。
嘘です。

やむなく、2017氷濤制作プレハブ小屋へ今季初潜入。
助っ人ムードメーカーよ○ださんに見つかる。
メンバーの脱退や卒業、ケガ等により、顔ぶれも一新、フレッシュさが増しているとのこと。
ぼくの冬は煙草臭いこのプレハブから始まった。




2016年12月8日木曜日

「明るい未来」

冬の早朝はどうしてこう美しいのだろう。


元サヤ、支笏湖神社にご挨拶。

氷濤祭りの骨組み制作はすこぶる順調らしい。
制作内部の状況が今よりもっと広い所で公開・共有されるべきだろう?と去年までは強く思っていた。(されたらされたで困ることも多い)
個人的にはまつり自体より人間模様にこそ、このまつりの魅力が詰まっているからそこを知ってほしくて、自称・氷濤アンテナショップという裏の顔を持ちながら【カフェCANOA】で過ごした初めての冬。

氷濤まつりについて、「12人でつくっている」という事実に驚かない人はいなかった。
「そうみたいですね。」は一度も聞かなかった。
制作側とお客さんとの間の温度差をコーヒーはさらりとつなげてくれた。この間口の広さはカヌーと相反する。
温泉街から眺めた「氷濤祭り」と、たった二冬しか知らない「氷濤祭り」の展望は確かに明らかに別物であった。
支笏湖温泉街とまつり会場は、目と鼻の位置にあるはずなのだが、近いようで同じ場所にはなく、同じ方向を向いているわけでもないような気がする。

ただ「そうみたいですね。」というリアクションがひとつでいいから欲しかった。
「誰も知らない」という事実が、周りの評価をさして必要とも重要とも思っていないぼくであるはずなのに、何でか結構ショッキングであった。
あれ?そ、そんなはずは‥(???)。二冬を捧げた氷濤は一体なんだったのか?!!幻か?夢か?柳楽優弥か、と。
制作陣営に入るまで、ぼくも何にも知らなかった事実はここでは棚に上げています。

主観だけでも、客観だけでもない場所からしか、平衡はとれない。どちらかだけでなく、どちらも。水も店も街も湖だって、夏も冬も東京も北海道も。相反する様々を体内に併せ持ち、ここしか歩けない絶妙なラインを歩き通したい。

しかし、まあ、まつりで重要尚且つ注目視されるのは過程ではなく、制作者でもなく、ただただ「まつり」本番の三週間であり、お客さんにとっては当日が楽しめたかどうかがすべてであるわけであり、それが正しきまつりの姿なのかもしれないと、温泉街二冬目の新たな思考。
ぼくは日の目を浴びたくてしかたがなかったような気がするようなしないような。あまり覚えていない。書く余力は少なくともなかった。

チーズケーキの焼き上がりに静かに頷きながら、難解な英文に溜息をつきながら、コーヒー美味しいねって言われたら照れくさくて仕方がないし、
店に来る人が今のぼくの味方であり、そこは非常に単純明快であり、それ以外のことはもうどこか遠い異国のお話。

ずっと、常に考えているのは、考えていられているのは、「明るい未来」、そう、これから。
頼りにしたいのも、頼りにしていくのも‥自分。

誰かがどうでも、ぼくは何をするか。
誰かがいようといなかろうと、ぼくが手放したくないものは何か。

軸が不確かな人ではなく、しかと「自分」にある人にぼくは憧れる。
見習いたい人がすぐそばにいるのは幸運だ。

先日教わった唄。

明るい未来の話し 
寒い夜でも君と二人で
ふざけたダンスを踊ろう
いつまでも側にいてくれよ
【never young beach「明るい未来」】

2016年12月6日火曜日

冴え渡る酔っ払い

カヌーガイドからカフェ隊長へ。外から内へ。
新たな業務再開に馴れるため、去年ほどではないがまあ、適応までには多少気張っていたのだろう。そりゃそうだよな。気づけば休んでいなかった。身体は正直だ。団体行動は苦手だが、ひとりってのは酷く孤独で、でもおかげで、やはり学びも発見も大きい。寂しがり屋なのか、一人あそびが嫌いじゃないのか、どちらもぼくなのだろう。
今年のチーズケーキは納得できる味になった。おいしい。ちょうどよい、となおさんも言ってくれた。舌が去年は見過ごした味。意識するかしないかで舌も変化する。毎日のコーヒーはすべてのためになったのだな。
自信を持って提供できないものは、心によくない。嘘はつけない。おいしい、は正直だ。言い訳はきかず、証拠も残らないのがまた潔く、現場の臨場感たるや、たまらなくスリリングだ。

NHKのラジオを流しながら、除雪で身体慣らしをする以外はひたすら横たわった二日間。自堕落な贅沢。体調管理、気を付けねば、ぼくの代わりはいない。

たかこ接待のため、回らない鮨屋に行った。


おいしい食事。ニセコの日本酒。冴え渡る頭。

みんな幸せであればそれに越したことはない。
ふてくされずに諦めずにいれば、必ず、良いことが起こる。起きそうな予感に興奮高まる外野勢を当人たちは何も知らない。

明日からしっかり働こう。よしゃ!

2016年12月5日月曜日

今年も友だちがやって来た

生まれた川に帰るサケ。


ぼくらはどこに帰るのか。

2013年。春の高尾山。around 25.

みんな、それぞれに支笏にやってきた、2016。共有していないことは山ほどある。しかし、まあ、顔を一目見れば、語らずとも‥である。
好きな人に会いに行くことを億劫だと思ったならその程度のことなんだろう。会いたいもん、伝えたくなるよ。今日、ぼくのまわりに起きた小さいけれどクスリと笑える事件の数々を話したい。聞いてもらって笑わせたい。

その冬が楽しすぎた。冬が楽しくなればなるほど、夏への不安も増す。半年ごとに移動を繰り返す人間の憂鬱、である。せっかく盛り上がってきたところでまたリスタート。半年という時間はいつも何とも言えない早さで過ぎ去る。慣れるのには時間がかかる。心は簡単に離れるが、簡単に元通りにはならない。まあ、とにかく毎春、ぼくの顔はとにかく酷かったらしい。雇用主夫婦ふたりとしては、言いたいことは山ほどあったのであろうが、何にも言わずに見守ってくれていたことをその当時のぼくは知る由もない。
自分のことしか考えられなかった。見えなかった。まあ、いつでもどこでも心配される側で、本人は苦しいのだけれど、思えば「自己に淫する」というのは、ある意味で非常に幸せな時期でもあるよなあ、と。ぼくの場合、それがかなり長引いてしまったけれど。
今やすっかり思春期は卒業した気でいるけれど。

春は必ずやって来る。ぼくは本気で春から逃げようとしていた。しかし、行く先々でサクラに迎えられてしまったから、諦めて春より一足早く北国へとカブで走ったのである。

昔話を少ししてしまったのは、いつかの恥ずかしいプリクラ写真のせいかなあ。出会ったころからおじさん顔だった君にも若い顔があったのだね。わはは!

2016年12月3日土曜日

バターチキンカレーは改良の余地あり


写真がイマイチですが、バターチキンカレー。
風邪のひき始めには、カレーを食べたくなると言うとか言わないとか。スパイスが身体に良いのだとか。

消耗する箇所や質や種類は違えど、どの仕事も尊いはずなのである。
うっしゃ。



2016年12月2日金曜日

人生はじめての自作スパイスキーマカレー

本日、支笏湖だけ悪天。
配達のおにーさんたちが一様に「街中はなんでもなかったのに‥」と口を揃えるのが、唯一の店籠り人間にとっての外界情報。

幼き頃より、みんな大好き「カレーライス」がどうも好きになれなかったため、
カレーライスの日は卵かけごはんという別メニューにしてもらい、喜んでいた。

しかし、今年、ぼくの中のカレースイッチが入った。‥というか、あった!

きっかけはここ数年出会えたおいしいカレーたち。
・長沼【シャンディニヴァースカフェ】のキーマカレー。
・恵庭【リスボン】のぱりぱりチキンスープカレー。
・なおさんの特製牛筋煮込みカレー。

11月の鵡川ツアーでなおきさんが出したキーマカレーもおいしかったし、いつかのみどりの日の千歳川ツアーのグリーンカレーも‥かのあツアーといえばいつもカレー。


具材は、ひよこ豆、タマネギ、ニンジン、鳥ひき肉。

多分きっと、よくあるルーカレーが好きになれなかっただけなのだろう。

今夜は鶏肉をスパイスとヨーグルトに漬けこんで、明日のバターチキンカレー制作に備えます。
おいしいものがつくれる人間になりたい。


2016年12月1日木曜日

今日は田沢湖気分

自分には理解しがたい不思議なことが世の中にはいくらでも起こる。
「なんじゃそりゃ!」と思ったとき、多分、ぼくの顔は「なんじゃそりゃ!」になってしまっているのだろう。

‥なるよそりゃ!

毎日はコント。
書けないことが多すぎる嘆かわしき冬であることだよ。

夕方、今日は東北のお話をした。ほわわわわーん‥


2012年11月。秋田県・田沢湖(最大深度日本一!)の静かな朝に迎えられたコーヒータイム。
なおきさん、27歳。ぼく、25歳。
ぼくらにとって東北は第二、第三のふるさとである。

若かりし『てやんday』はこちら↓
東北遠征3days 秋田編、日本一深い田沢湖と東北の玉川



2016年11月30日水曜日

17日に再開してから毎日店で過ごした11月

季節の移ろいに合わせてぼくらの働き方も変わる。

ぼくはカヌーガイドからカフェ隊長に転じる。
半年のブランク。
接客の仕方が変わる。稼ぐ場所も武器も持ち替える。頭も切り替える。人が減る。

ケーキつくるのかあ。つくれるのかなあ。ダンドリどうしていたっけ。

とりあえず、やっていくうちに、どんどん思い出して勘を取り戻してきたこの二週間。
店での在り方がどうもぎこちないのは相変わらずだが、それがまた味だろうと信じる。

何もない所から生み出す苦しみに比べたら、前例をなぞること等容易いことだった。

去年の今頃は、本当に必死だった。苦しかった。心細かった。
そりゃそうだ。やったことのないことで冬を越えてやろうとしていたのだから。

そのおかげで、今のぼくがいる。

去年のぼくにありがとうと伝えたい。



2016年4月2日 尻別川。この頃は緊張感もあり、目の前で起こる出来事すべてに一生懸命なかわいい新人君なのであった。


2016年11月29日火曜日

なんてコーヒー

「葉が落ちてから雪が降るまで」の間はどうしてこう長いのだろう。


(東山からは溶岩ドームがカッコ良いが、西山からも好き。photo by chika.O)


熱ければいいだけのコーヒーなんて。
薄ければいいだけのコーヒーなんて。
苦ければいいだけのコーヒーなんて。





2016年11月27日日曜日

素晴らしい世界を見たい

成長痛。
ついつい、ないものや、手離したものに心が向きかける。
前を向けばいいのだ。分かっている。新しい乗り物はまずは乗りこなせるまでが一勝負。しかし、さらなる勝負はその次。
乗りこなせるようになったらその先が見えてくるはずで。見えないことはできない。イメージのない人間の軌跡は華麗ではない。

photo by YOSHIHIRO.H
10月の紋別岳にて。

精神的な余裕が生まれたとき、さらなる高みへの足掻きが始まる。
二冬目の店。

例えば、恋人ができると、この人と一生…と思う。思うのに、何度か別れは唐突だったり、自然と訪れる。回復には付き合った年月がかかる。
年を重ねる度、恋をすればするほど、自分の気持ちが信用し難いものになっていく気がする。

「大人の方が 恋はせつない」
ドリカム『もしも雪なら』より。

新しい恋に落ちたとき、それまでに恋した人たちから「嘘つき」「あんなに好きだと言ってたじゃない」と責められているような気がしてしまい、「ま、まだ、恋に落ちてはいないかも…しれな、い…」と本当は既に恋をしているのに、事実を湾曲させて言い訳がましくなったりする。裏切ったわけではないはずだのに、なんでか要らない後ろめたさが発生することがある。

そのときは本当の気持ちで向きあったのは間違いない。しかし、それはそれ、今は今なのだ。そう、潔くいきたいのは理想。

実際には難しく、どこかに罪悪感や申し訳ない気持ちがなくなることはなく、羽ばたきたがるぼくの足首は常に過去に掴まれているような感覚に陥りがちだ。
等身大の自分はなんて情けなく、未熟だろうか。ため息が出る。
鼓舞するためにこうして書くしか処方箋はなし。

誰の跡も追わずに生きてきたぼくの場所にはぼくしかいない。
分かってやれるのは、目撃者はぼくだけだ。

ぼくはぼくに倣う。

毎日ヒリヒリしながら、たまに冷や汗をかきつつ、好きなことで稼ぐ。淡々と。何でもないように。暑苦しさは必要なときだけ提供する。
人が押し寄せたとき、頼るのは自分。

思い煩っても無益な過去にはおさらばして、さらにその先へ。
脱ないものねだり、脱ひきずり太郎。
毎日は静かながら申し分なくスリリングで、それをぼくはいたく気に入っているのだから。もうここからは解放へ向かうのだ。

最後は瀬戸内寂聴さんの言葉で締めます。

もし、人より素晴らしい世界を見よう、
そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、
どうしたって危険な道、
恐い道を歩かねばなりません。
そういう道を求めて歩くのが、
才能に賭ける人の心構えなのです。







2016年11月25日金曜日

ラフでない言葉遣い

夏も冬も言葉遣いについてよく考える。
自分の口癖や人の口癖については毎年なおきさんとの会話の話題となる。
意識してはいてもついつい使いすぎてしまう言葉というのが人それぞれにどうしてもある。
小さなストレスが積み重なることで、お客さんのecstasyが遠のいていく。ぼくらは、いや、少なくともぼくは気持ちよさそうな人の顔を見るのが好きだ。まずは意識するところから始まる。

きれいな言葉を使う人が男女問わず好きだ。言葉を適当に扱う人は、なんだか信用ならない。汚い言葉はその人を汚く見せてしまう気がする。言葉は人の影みたいなものだ。

「かしこまりました」は去年、陸の接客先輩であるふっくんに学んだ。

丁寧だけれど上品すぎず、誠実だけれどフランク。そんな絶妙な曖昧ラインを手探りしている今日この頃。


チャンスがあれば、求められれば、やはり、ついつい喋りすぎる。お喋り野郎共のことを言えない。
内容は専ら、支笏湖の美しさ、カヌーの面白さ、氷濤まつり制作側の思い、の三つに尽きる。
伝えたいものがぼくには確かにある。

カフェはカヌーツアーよりずっとずっと敷居が低い。カヌーも支笏湖のこともよく知らない人が間違ってぼくらのお店に入ってくる。しめたものだ。

ツアーに間違って参加する人はいない。稀にいるが。
間口は広いに越したことがない。

ぼくらの世界は素晴らしい。

photo by NAOKI.M

二年前の11月は沙流川にいて、氷濤制作二冬目を待ち構えていた。

2016年11月24日木曜日

「また食べたい」と言われる意味は「また食べたい」と思わされる度に増していく

今日も好天。寒い。

去年の今頃は、カフェ準備の真っ最中であった。たった去年。
周囲には「大丈夫なのか?」と言われまくっていた。新しいことを始めようとすると周囲はいつも無責任に不安を煽る。
どこか外に修行にでも出た方がいいような気持ちにもなり、お気に入りの店の求人情報を漁ったりもした。
しかし、不安と同居するようにして、もうひとつ、どこから湧いてくるのか分からない根拠のない自信もあった。今の自分にならできる気がしていた。できないことは何もないと、ようやっと荷物を背負ってみたくもあったぼくの気概は柄にもなく満ち満ちていた。タイミングというのは妙なモノで、それが一昨年でも、今年でも噛み合うことはなかっただろう。
背負えるようになるには、まず委ねてもらわないことには始まりもしない、という事実も数年前に学んでいたのでその意味も重々分かっていた。人はどうでも仕事は裏切らない。

根拠のない自信を深めてくれたのはにんじんケーキ考案者のなお大先生であった。


(新宿三丁目の博多天神。酔っ払いの帰り道はここ。替え玉一杯無料で500円。)

五年、毎日ツアーでやってきたことを、湖畔でのカフェを陸に持っていくだけ。
誰の真似もする必要はないこと。ぼくらにはぼくらのスタイルが既に確立されているのだから、と。

去年があるかないかでこうも違うものか。そんなことを思い知らされながら淡々と、コツコツとやるべきことから手をつけては明日につなげていく日々。遠くには単管の音が響いた。

2016年11月23日水曜日

カヌーからのコーヒー

氷濤制作陣、お休み。
午前。久々ツアーへ出動すべく、着ぶくれ化。
今日は寒いぞ。【モンベル】のウールアンダー(厚手)に早くも手を出す。
こんなことでは真冬はどうしたらいいのだろう。いやはや、今年の11月は寒いどー。


忘れ物かな、落し物かな。カヌーガイド兼氷濤制作陣・なおき隊長に休みはなし。


赤いお宝を探しながら。


寒いは寒いで、また新たな美しさのドアが開いた。

午後からはしれーっとカフェモード。
誰も気付かないであろうけれど、自分にとっては目から鱗の新発見を今日もひとつ。
地味にふっくんを召喚したくなる、そういえばの祝日・黄昏時なのであった。

2016年11月22日火曜日

小上がり、なくなりました

本日もほぼ凪のナイスコンディションの中、久々ほーりーによるインターナショナルツアー。
風がないとあたたかい。
雪が降るかどうかの微妙な時期、日本人はひっそりお家に潜んでいるのだろうか。静寂の支笏湖温泉街。秋に豊作の宴をさせてくれた目の前の栗の木の葉はしぶとくまだ落ち切らない。「冬やで!」と毎朝声掛けをしているのだがなあ。

気に入った店に通う側から待つ身になって初めて、その気持ちがわかるような。
いつもそこに行けば会える。
いつ来てもいいように場所を守ること。何でもないようで、何でもなくないんだよなあ、これが。
待っていないようで待ってくれていたんだろうなあ、これが。駆け引きだよなあ。疑似恋愛だよなあ。気持ちは大事だけれど、あまり重たすぎるとお互いのためにはならないこともある。

季節に応じて店の使い方がガラリと変わる【かのあ】店内。これほど変化の大きい店もそうない気がする。生き物みたい。


制作者の手により、今年は小上がりを解体することとなった。

ひぃ

 ふぅ


みぃ

‥やあ!!

2016年11月21日月曜日

車中コミュニケーション


パッパラーごろうは元気そうだった。誰やねん。
氷濤はフレッシャーズだらけになったらしい。曲者が今や天然記念物、か。まさ⭕さん、え⭕さん、た⭕さん、に⭕ちゃん、…古き体制の最後をぼくは見届けたんだろう。さらば、お下劣な下ネタのエンドレスリピート。まわるまわるよ時代は何とやら。ミスチルのクロスロードも良し。アンバランスで、どこか足りなくて。でもだからこそ、そこにはゆるしあう、現代社会が置き去りにした人類愛があったような気がする。


久しぶりに鹿児島んちゅ・ほり先生登場。
なおきさんと二人、九州話で盛り上がる。
ああ、なんだか懐かしいなあと、横やりを入れつつ、コーヒーも淹れる。

普通を忌み嫌い、人のいない道ばかりに吸い寄せられて歩いてきた。あるとき、ふと、普通に憧れている気持ちから目を背けて、ただ、逃げてきただけだったのかな、という気が猛烈にしてきた時期がある。
これからのことを現実的に考え出した頃。カヌー→氷濤→カヌー→氷濤→カヌー→…潮時なのか?と。
しかし、結局、実際、それは、人目や常識、普通宗教を植え付けられつつあっただけで、ぼくはやはり、先天的反普通派であり、普通になれるはずもなく、なりたいとも本気で思ったわけではなかったのだ。誰かのために自分を偽ることは、ぼくにはできなかった、したくなかった。悩んでいる風で、実際に自分の心を手離す気なんてさらさらなかったのだろう。誰かのために、は偽善だ。誰かのせい、も嫌いだ。やるもやらないも情熱だけだと思う。火が弱いとお湯は沸かない。

そんなことを話しながら、閉店後の買い出し。


2016年11月20日日曜日

冬は毒づかない

雨が少し降ってはいるものの気温は高く寒くはない有り難い朝。
「お久しぶりです!」

‥?

‥!!!
(なおき隊長の脳内の動き)

湖で漕いだお客さんが今度は千歳川に戻ってきてくれた。
ということで、「千歳川ダウンリバーなおきSP」にいってらっしゃい後、ちょっといつもより遅れてCAFE CANOA オープン。

人と人の「間」に挟まれる人間の常なのだろう。【かのあ】は皆、まあ、一人見た目はお兄さんなおじさん(リップサービスリップサービス)が混じってはいるけれど、代表含め比較的若めな集まりだから、それぞれに、自分の人生にどうにか食らいついていることもあり、夏はお客さんどころか内部のあれこれで既に満腹になっているところがある。満腹どころか、出てしまいそう。いや、出てたな、きっと。

夏とは打って変わって、やさしい気持ちでお客さんと向き合えるのは冬ならでは。
年中、人との距離感だったり、息づかい等、喋る技術を維持・向上する現場に立っていられるのは、人への好奇心が多分、一般的なそれより過剰なぼくにとって幸運なことだろう。


夜が長ーい東京。人気もまばらな千駄ヶ谷にて嬉しいサプライズがあった。
好きな人の好きな人がイマイチなはずがないんだよなあ。
形があろうがなかろうが、名前なんかつけようがつけなかろうが、そんなことはどうだっていい。
人と人との間にあるものはその人ごとに全部ちがうんだから、ひとつの言葉で説明できるほど単純じゃない。
思えば、まあ、ぼくがカヌーを漕いでいるから当然?いや、当然ではない。
その夜ここに出くわした人はみんな、支笏湖でカヌーに乗っている。こんな街で。六人も。I wonder‥奇跡的じゃnight!

みんな笑顔でありますように。

2013年春のアースデーとか高尾山を思い出させる人との再会が今秋は続いた。
早いもので実に濃厚であった。

2013年ちゃらんぽらん。2014年普通と異常の境。2015年責任と新境地。2016年自信とその先。
いつも、ここから。これからがもっと面白くなっていくんだろう。

2016年11月19日土曜日

お洒落は足元かららしい

朝から凪。素晴らしい日にツアーがあるのは最高。なおきツアーを見送る。漕ぎ出したい気持ちを落ち着かせる。今日漕がずにいつ漕ぐか、そんな小春日和。

髪は整えた。
さて、ぬくぬくインドアーズとしては、店での日々をより良いものにしていくためのニューアイテムを導入。


29歳記念に頂いたのは、BIRKENSTOCKのBOSTON。
SP thanks.
毎日使うものなだけに、これは嬉しい。

今まで使っていたコロンビアのサンダルはデザインは好みだったが、帰宅後足首に違和が残った。へたるのも早かった。

履き心地も段違いのこいつとなら長い付き合いができそうだ。
ぼくは長く使えるものが好きだ。別れはなるだけなら味わいたくないし、別れ方なんざ知らない。
飽きられるまで、呆れられるまで、愛し切りたい。
よろしくな、相棒!


2016年11月18日金曜日

質素がいちばん おにぎり論

派手派手しく着飾った食事もいいけれど、心にも胃腸にもやさしいのがいちばん。


photo by Chika.O

米は【ユニフレーム】のライスクッカーで炊く。
気持ちの問題だろうか。美味しいのだよなあ。ぼくはシンプルな【ユニフレーム】製品が非常に好きだ。
来客者は皆、炊飯器ではないことに驚く。タイマーはぼくだ。


遠出をする日の朝には、おにぎりがないといけない。
海苔はなくても良い。具には、梅干し(紀州南高梅、酸っぱすぎないはちみつ梅が好み)か、かつお節か、しょうゆ漬けにでもした鮭が良い。
豪華にも梅干しとかつお節の合わせ技を決めることもある。【サーモス】のスープマグに味噌汁が入れば、もうこれ以上他に何もいらない。味噌汁の具はなくてもよい。箸を忘れ、指で掻き出すことになりがちだから。いや、卵焼きがあってくれても良い。漬物も一口。

潔癖症づいている昨今では、何やら他人が直接手で握ったおにぎりは食べられないという新人類も参上しているとかいないとか。他人どころか恋人のつくったものですら受け付けない方もいらっしゃるとかいないとか。

愚かな時代だ。逆に「不」衛生だ。
ぼくは嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。お店ではお金を払いさえすれば、自分のためのコーヒーが出てくる。それも素晴らしい。お金で健全なぬくもりを買うのは素晴らしいことだ。お金をもらうから背筋が伸びて高まっていける。
しかし、お金を介さず、誰かが自分のためにただただ淹れてくれるコーヒーは訳もなく美味しい気がしてしまうのも確か。大事なのは味じゃないのだよね、気持ちを頂くのだ。

「おにぎり」の「お」は、「おふくろ」の「お」から始まり、いつしか「己」の「お」に転じるものであるらしいことに気付いてしまったのは去年のこと。衝撃的失望感を味わいつつ、ぼくはメゲずにおにぎりを握り続けた。

人生が終わるとき、誰かにおにぎりについて問われる機会でもあったなら、
『「おにぎり」の「お」は、ひとりぼっちの「己」ではなく、「お互い様」の「お」なんやで』と笑って周囲に希望を抱かせつつ死ねたら本望。

2016年11月17日木曜日

冬カフェのはじまり、31歳

なおきさんが31歳になった。2シーズン目のカフェがオープンした。めでたい日。久しぶりにふっくんの顔を見た。

お店の受話器越しになおきさん宛てのハッピーバースデーの電話をなぜか最後まで拝聴するというアンビリーバボーな初体験は、ここだけの秘密に‥できそうもありませんが頑張ります。

『‥いや、だから、ち、ちがうって!!』
ぼくの心からの叫びは熱唱中の相手に一切届くことはなかった。

そんなこんなで今日から春まで物理的にはだいたいひとりで気張ってます@CAFE CANOA。


photo by Chika.O 10月の宇宙登山。

食べることも街も山も愛も、全部同じ世界に乱立している。混乱せず、目を背けることもなく、頷けるくらいにはなった気がする。随分と時間がかかるが仕方がない。
それぞれの世界をつなげられるのは、人間だけ。単体として在る点を線でつなぐのはぼくらの行動だけ、足だけ。

2016年11月16日水曜日

味覚革命「エッセンベルク」

氷濤マン2017、本日より本格始動。

2016年2月26日「新宿駅最後の小さなお店ベルク」井野朋也著(ちくま文庫)読了。

必死になってカフェを回した怒濤の冬を越え、右も左も分からないなりに(湖畔で五年お客さまをもてなしてはきたけれど)突入した「飲食」という新たな世界は、同じ接客ではあるけれどさすがに水上とは一線を画すようでおっかなくてたまらなかった。屋根があるとどうも息苦しくて仕方がない。しかし、非常にexcitingな経験であった。一体全体「飲食」というのはどういう雰囲気なのだろう。
春になり、すべてが一段落した頃、身体ではなく言葉として「飲食」という世界を知りたくなったとき、ちょうどこの本に出会った。

その日から、ぼくはベルクに恋をした。

結局、生まれ育った「新宿」の手の内で弄ばれているだけかもしれない、と苦笑。

好きな人には会いに行きたい。

九ヶ月蒸らした恋。蒸らしすぎたコーヒーはいけないが、店への片思いは悪くない。
会えない時間が気持ちをどこまでも高めてくれる。

新宿ベルク、ランチ限定780円のコース料理。「エッセンベルク」。


30種類の食材。
この豆のスープはナンダ。何て言えばいいのか分からない、今まで飲んだことのないスープ。これが迫川副店長曰くの「ゆらぎ」なのかなあ。
ベルク本で何度も味を想像したけれど、イマイチ鮮明な味が見つからなかった「ポークアスピック」(写真中央)。これもまた、絶妙すぎる。

味覚がこれほど脳みそに刺激を与えるワンプレートというのもそうない。
食べるは宇宙。
「濃い=美味しい」が世の中まかり通っている風がある昨今にあって、すべてにおいて『寸止め』な味がどれもこれにも決まっていた。
一日1500人が来る店で、この味を決めるか。今のぼくには無理だ。きっと、立ち止まれない。不安で。イってしまう。イキすぎてしまうに決まっている。
覚悟。潔さ。これがベルクか。


新宿、すっっげー!!さすが!!リスペクト!!!!
ぼくの生まれ育った街には、たいした山も湖も川もないけれど、ベルクがあるぞ。どどーん。