2014年11月29日土曜日

獲物に群がるハイエナと氷濤マンと



珍しく凪いでいる日があればすかさず、カヌーが浮かぶ、冬の支笏湖。




今日は正面長距離トンネル内に、ひたすら単管をぶっこんでいく。
補強だったり形維持だったりの意味があるはず。

完成予想図はぼくにはよく分からないけれど、とりあえず、ひたすら、単管を止めるべき個所へビシッと止めていく。

サバンナのハイエナもびっくりの単管への凄まじい群がりっぷり。

肉食獣・氷濤マンズは口も手も達者なのであった。





2014年11月28日金曜日

シラカバ取り&かまぼこニッドポール付け&正面看板用三角制作


午前はシラカバ取り。
道中、制作部長車内では、通りすがりのトンネルの入り口を観察し、その形を氷濤に活かせないか等あれこれアイディアを練りながら、ああでもないこうでもないと盛り上がる。
どういうこっちゃろと内容についていけないぼくにもわくわく感は伝わる。
「つくる」というのは、面白い。

今年の氷濤マンは二人の入れ替えがあり、去年に同じく12人。
自衛隊さんがつくったり鳶職人が現れるでもない支笏湖のおまつり。さて、どんな物語が生まれるのだろうか。

2014年11月27日木曜日

第二弾マツ取り@当別と弁当箱


毎日毎日ぼくらは山のなか 松ヤニでべっとり 汗冷えよ~♪

ということで、写真を撮る暇がなかなかありません。
本日は二名の欠員の中、奇声を上げつつ円滑なチームプレーによりトラック一台分のマツを確保。
単菅やクランプも買い足したなら、
さて、明日も山へ行きませう。


写真は先日新調したステンレスの弁当箱。
レンジ不可。直火OK。質実剛健。
ぼくの実家にはレンジがなかったし今もない。
「なくてもいいけどあったら便利」はきな臭い。




マツ取り@当別ミステリーツアー



氷濤制作中の一大?イベント、マツ取りに行ってきました。
毎年採集会場が変わるようで、今年は結構な遠出、支笏湖からは約2時間ほどでしょうか。
松ヤニや足元の泥でぐちゃぐちゃになりながら、ひたすらマツを集めます。
春の山菜取り振りの急斜面にしがみつきながら、枝振りの良いマツをトラック二台に満載。
評判の氷像「苔の洞門」に贅沢に使い、今年は氷付けのキッカケにも使うかもしれません。

2014年11月25日火曜日

2014年11月24日月曜日

氷濤2015~骨組み制作開始


まずは、去年に同じく、正門制作から。

単菅、クランプ、ラチェット、自在に固定、四メートル、六メートル、すじがい…
訳のわからなかった現場用語も、ちっとは分かる二年目なのでした。

2014年11月23日日曜日

貴重な二連休


のんびり散歩をしても、がしがし働いても、いじけても笑っても、カヌーを漕いでもコーヒーを飲んでも、時は過ぎ行く。

ならば、やはり、自分の思うままに過ごすが最良。
なるだけなら、笑っていたい。
近しい人にも、遠くの友にも、それぞれの大切な人にも。

ぼくが欲しいものは、そう多くはないが、そのためには根気が必要なのだろう。


2014年11月20日木曜日

自家製あんこと氷濤シーズンイン



一番、手間がかかり、一番心配しながら見守った小豆。

春に豆を撒き、あとは土と太陽と水と、木酢液を地道にやって、秋にぽつりぽつりと収穫を始め、カヌーツアーの合間に天日干しを続けた小豆が、先日、あんこになった。
豆は手間がかかる。まるで誰かみたいだ。

炊飯器、なかなかやるのね。

あんこが好きだと叫ぶのは誰にでもできる。
好きなら、やらないと。
目指したいのは、言葉よりも行動で語れる人間。

ぼくはあんこが好きです。

冬仕事初っぱなは、久しぶりの再会もあってちょいと飛ばしすぎたようで疲れました。

2014年11月19日水曜日

おひねり制アナログ季刊紙『まちゅ★ぴちゅ』15.16

この地球という惑星にはおよそ70億の人が住んでいるのだとか。

70億分の16―愛する人に第一便として贈りました。



遠くの友に手紙を書くように。

毎回自分の顔を晒すのは何でかというと、アイドルぶりっこなわけでは決してなく、
当紙は「顔の見えるメディアだよ」、という密かなメッセージが隠されているのだとかいないとか。


一緒に添えているそれぞれに宛てた文章の方が名作かもしれません。
場合によっては迷作、か。


君と会えないこの一年の間に生まれた物語を、
泣きたくなるほど大好きなあなたに聞いてもらいたいのです。



気になる方はご一報。
lake.abelake@gmail.com



さてさて、明日からはいよいよ冬仕事スタートだよ。
死なないように頑張ろう!(結構本気)


2014年11月18日火曜日

モノ書く民

両手で足りないくらいの愛する人たちに手紙を書いていたら、夜だった。
訳のわからない、届いて果たして嬉しいのかも分からない、今の思いや悩みをつらつらと綴る。
会えない距離も時間も、埋めてくれるのは、言葉だけ。

この世には、自分の心の中にも、分からないことが多すぎる。

でもやがて、訳の分からぬ涙の理由だって、書いていくうちに明らかとなる。
ペンと紙は、全部お見通しなのだ。

リハビリ完了。

ガガガSPの「私鉄沿線」という曲にこんなフレーズがある。

人を好きにならなければ
世の中の苦しみが減るんじゃないかなと思う


ぼくもそう思う。
好きだから、悲しいのだ。切ないのだ。寂しいのだ。
好きだから、苦しく、狂おしく、会いたいのだ。
ぼくらは、とってもセンチメンタルな人間なのだ。

恋の放棄は、死ぬとき以外ありえない。

子供のときに思っていた以上に、大人というのは切ない生き物だ。

すべての大人たちに、乾杯。

好きは恋人だけの狭義的意味合いではありませんので、あしからず。


2014年11月17日月曜日

藤城清治の世界展@札幌芸術の森美術館

本日、なおきさんの誕生日。おめでたい。


先日、混雑を避けるべく朝イチで久しぶりに美術館へ行った。

会期は、2014 10/10-2015 1/18となっております。
なかなかボリューミーな内容なので是非~。作品ごとに藤城さんの言葉があったりします。


2011年11月、金魚のふんのようになおき家の道東里帰りにご一緒させてもらった。


遠軽という見知らぬ町に数日滞在して、湧別川ではノードライで人を巻き込んで沈したり、オホーツクの海で竿越しに伝わるカムイチェプの凄まじい生命エネルギーに度肝を抜いたり、生田原のちゃちゃワールドにて世界最大の影絵「光彩陸離」の燃える秋色にノックアウトされたり、
今より数段愚かな代わりに感受性はビンビンなぼくは初冬の北国のパワーに恐れおののいた。ここは、一体なんてところだ。

三年後、「光彩陸離」のミニチュアに出会った。
やはり、ちゃちゃワールドのものにはかなわなかった。
絵はずっと変わらずにそこにあるだろうけれど、(ミスチルは「愛」だっけか)同じぼくではありえないけれど、また、いつか見に行こうと決めた。

昔の友人の座右の銘も何の因果か3.11の絵の中に書き込まれていた。

世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
宮沢賢治


分かっているようで分かっていなかったこの唄の意味も少しだけ分かるような、分かりたくないような。

変わり続けるのさ 変わらない為に
空に漂う雲の様に
流れ続けるのさ 流される前に
風に逆らう鳥の様に

「changes」caravan

ps.
書ける気配のなかった『まちゅ』が突然完成しました。
泣きたくなるほど大好きな人が遠隔操作でぼくの鉛筆を握る手を支えてくれました。
遠くの友に手紙を書くように、ぼくの一年を報告させてください。


2014年11月15日土曜日

雪の舞い散る千歳川

昨夜は冷えるなあと思っていたら、どうやら支笏は銀世界へ突入したらしい。



え?冬もカヌー?
そうなのです、今年は冬も千歳川で漕げるのです。

かのあ 冬の千歳川カヌーツーリング


2014年11月14日金曜日

まだ秋と言わせて 秋と言えば燻製の季節

先日密かに千歳某所にて開催された、こまったさんもあんぐりの「ひとりでできるもん~はじめてのベーコン燻製編」。

自作の燻製器は、氷のおまつりで使われていたと思われるめんつゆ一斗缶を拝借。

「燻す」つもりがいつしか「焼く」というありえない奇跡を起こして、その日の夜は悔しさで枕を濡らした。

‥こ、このままでは冬を笑顔で迎えられないではないか。

ということで、本日燻製リベンジをした次第である。



途中のそれっぽい写真、一切なしで、早速好物のジャーマンポテトをつくった。
じゃがいもとたまねぎはありがたいかな、もらいもの。
肉は「メルカードきむら」。

照明がイマイチなので全くおいしくなさそうだが、ドイツ人もビックリの味わいだろうよ。

(フッ素加工のフライパンなんて古いよー、時代は鉄だよー!)

下準備から完成まで一週間弱かかるけれど、ぼくにできるということはつまり世界中誰にでもできるということであり、このおいしさはもう、どうしようもない。
何が入っているか分からない、つまらない味の市販加工品なぞ食べる気が失せます。


毎年11月は燻製屋さんでもやるか。

【味付け】
塩、三温糖、黒こしょう、オールスパイス、セージ、ナツメグ、シナモン、ローレル、千歳0円ハウス栽培バジルやら。



2014年11月13日木曜日

大地に還るのだプロジェクト9 the last

夏は森のように賑やかだった畑も、何もなかった春に逆戻り。


見晴らしがよくなった畑。
寂しくもあり、一つのことをどうにかやり終えた気持ちの良い達成感もある。

晩秋と初春は非常によく似ていて、ぼかあ「冬を飛び越えてこのまま美しい新緑を迎えるのでは?」なんていう錯覚を何度も起こしていた。
勘違いをするのはぼくだけではないようで、先日の川行でnaokiさんが見つけたのは早まって目覚めたフキノトウ。
そそっかしいやつはどこの世にもいるのだなあと、一安心。


畑に行けない間に旬を逃したかもしれないが、最後の収穫は、大きくなったニンジン。


「今まで食べたニンジンの中で一番おいしい!」
とnaoさんが絶賛してくれた。
ぼくはただ種を播いただけなのだけれど、播きさえすれば、感動が生まれる。

何にも分からず、やってみてもやっぱりよく分からず、それでも野菜たちは逞しく自由に育ってくれて、少量ではあるけれど、ぼくらの食卓に野生の味を届けてくれた。
とりあえず、やってみれば、何かが始まる。

見える収穫物は勿論のこと、見えない収穫物も豊作の学びの多い一年でした。
土と太陽と水に感謝。ありがとうございます。楽しませてもらいました。

土の上には暮らしと自由と安心と、ぼくの欲しいものがそろっていたようです。


一方コチラでは氷濤会議が行われておりました。


 氷濤まつり制作部長&naokiさん。制作開始まであと一週間ほどとなりました。




誘い文句は「川に行こうよ。」


会わない間を魔法のパドルで埋めるのです。


2014年11月11日火曜日

大沼だんごと牛乳片手に愛でる駒ケ岳

山だけ登って終わると思ったら大間違いよ。

山といえば、カヌーでしょう。

道南といえば、大沼でしょう。
‥とはいうものの、いつも通り過ぎてばかりで実際にカヌーを漕いだことがなかったのです。


甘党にはたまらない、だんご×牛乳コラボ。生きてて良かった。

和風が似合う道内唯一の湖ではあらまし?



創業明治38年の【沼の家】さん曰く‥、

「『大沼だんご』は折で大沼湖、小沼湖を表現し、団子を串に刺さないのは、湖面に浮かぶ126の島々に見立てています。」


‥なるほどなるほど。
では、湖面に浮かぶ126の島々に負けじと浮かびながら一杯やらせてもらいましょ。

ちなみに店内で販売されている「山川牧場」の牛乳ビンをお店に戻すと一本40円返ってきます。

得した気分。


風の当たらない静かな場所でさらり。

いつか行こうぞ、駒ケ岳どりーむ。

2014年11月10日月曜日

道南・恵山(函館市)で蓄膿症払い

道南のエビのしっぽの右端に、「恵山」(えさん)という活火山があるそうな。

頭、鼻、頬の鈍痛を引きずりながら、まだ晩秋と呼んでも許される南国・函館へ走った。
千歳~恵山 約300キロ。
ちなみにあと100キロ走ると東京~大阪間であるらしい。
地図、表示されるかな→【恵山 地図

雰囲気やら何やら函館からは何となく海の向こうの本州色が色濃く漂う。


ここ、恵山は、登らずとも、駐車場から覗くだけでも素晴らしい景色が十分に堪能できる。




一年前、このような写真をある方に見せつけられた。

樽前もいいが、こちらはさらにド迫力。とてもかっちょいい山だとその方は、絶賛していた。

どんな情報源よりも心に残るのは、直接の口コミである。
その証拠にぼくはこうして、恵山に来てしまっているではないか。

霊場でもあるということで、身体の毒を取り去ってもらう作戦である。


 歩きはじめると、早くもトリップ感。これはまるでアメリカの国立公園ではないか。
場所によってはAUS風味も含まれている。



素晴らしい景色の中に身を置いていると、今死んでもいいなあ、今死ぬなら、いいなあと素直に思う。
実際死ぬ瞬間にはドタバタと足掻くのだろうけれど。


足元も目の前の岩も、色や形がどんどん移り変わるので見ていて飽きない。

芸術は爆発だ。火山は芸術だ。



海風に舞う舞う意気盛んな噴煙。
大地の生命エネルギーが強すぎたようで、山行の最中ぼくの症状は改善されるどころかどんどん悪化していったような気がする。

弱っているときにエネルギー量の凄まじい山に行ってはいけませんよ。


振り向けばいつも、太平洋。


頂上付近もやはり「地球」っぽくない。



強風注意の恵山山頂。ちんたらゆーっくり、一時間。傾斜もゆるく足場もいいので登山というかハイキングでした。



登別の地獄谷がスケール感を増して、ヒトを減らし、さらに自由に歩けるようになったというと分かりやすいか。

いやはや、なんとも男前な山でした。ありがとうございます。







2014年11月7日金曜日

蓄膿症と「北の山河抄」新谷暁生



体調がなかなか上を向かない。昨夜からは虫歯のような痛みと右ほほの痛み。出続けていた鼻水も詰まった。
どこかで聞いた症状だと思ったら案の定、去年の九月もお世話になった蓄膿症だと診断された。
振り返ると毎年、秋~初冬は身体が乱れる。

身体が弱ると、思考も下を向いてしまう。
健康体ではあるが、通年の外仕事は、なかなかにハードであることを身体からのクレームをこうして受けると認めざるを得ない。
どこまで、ぼくの身体は持つだろう。身体が壊れたら、今の暮らしは成り立たない。

知床でカヤックツアーを行う新谷さんは、「道具は使うためにある。そして使えば壊れる。」(『73回目の知床』より)と書いている。

一番の道具が、「身体」なのだ。


弱気になると、いつもこの言葉が思い浮かぶ。

「自分で終わりを決めることはない。黙っていても、終わりは向こうから来る。私たちは与えられた時間を手抜きせずに生きればよい。」

うむ、手抜きはしていないぞ。生きているぞ、生かされているぞ。

2014年11月6日木曜日

これが本当の手前味噌ワークショップ&ダイコンの漬物@支笏湖

一年以上熟成してきた手前味噌どりーむ。

今年の夏前、余市川でいただいたキャメルの手前肉味噌ジャージャー麺がおいしすぎて、ぼくの中の味噌熱が一気に高まった。

その後の消耗著しい夏場を例年より楽に越えられたのは、手前ではないけれど味噌のおかげ。
昼は玄米+ネギ味噌or肉味噌。
ひたすらこれの繰り返しにより、(自然と下がった肉食率も影響していると思う。瞬間的回復はできても長くは持たないのが肉のような気がする)今年の夏は疲れにくい身体ができていた。

ちなみに今は重たい玄米より白飯がおいしくて、時期によって身体が欲する食物が変わるというのはオモシロイなあ、と。

で、‥時は満ちた。It’s a time!


ウォルト・ディズニーさん曰く、

if you can dream ,it you can do it.

そう、願い続ければ夢はかなう‥野田知佑!



講師は、暮らしの先達。nao大先生。

「菌というのはだね、君‥」
有り難いよもやま話を聞きながら制作。


【材料】はたったこれだけ。

大豆、米こうじ、塩。

大豆:米こうじ=1:1

必需品は、手間ひま(「プロの」か!)を楽しむ遊び心。

※「プロの」:道内限定洒落オツワークショップ。ぼくはここのオリジナル長靴「ファームブーツ」を愛してやまない。


量はおのおのの匙加減となるが、手順も極めて明快。だって、このぼくでもできるのだから。

【ダンドリ】

1、一晩豆をうるかす
※「潤」+「かす」=水に浸す

2、塩と米こうじを混ぜる

3.大豆を指でつぶせるくらい煮る

4.鉄は熱いうちに打て、大豆も熱いうちにつぶせ↓



5、大豆が人肌温度に冷めたら、塩&米こうじ組を混ぜる。仮眠状態のこうじを目覚めさせるには寒くても熱くてもアウト―!

・混ぜきって固いようであればとっておいた煮汁で調整
・お気に入りの味噌や、以前の手前味噌を人にぎり加えるも良し
・上からおいしくなーれとおまじない塩を一振り


味噌タワー完成。乾燥大豆1キロでこの量。

ここから

6、ハンバーグの種を丸めるように、げんこつにぎりで空気をなるだけ抜きながら味噌団子量産

7、人によっては「naokiこのやろ」と叫びながら、二重ビニールを引いた保存容器内に勢いよく投げ込んでいく

8、丁寧に平らにしたら、塩をふりかける。おいしくなーれ

9、なるだけ空気が入らないようにビニールを締め、うち蓋の上に重しを載せる

10、あとは毎晩話し相手になってもらい、そのお礼に月一なり二ケ月に一回位、愛の言葉をささやきながら混ぜてあげる

11、時間というスパイスに身を委ね、半年~好みの味加減になったところで冷蔵庫へ

12、ここからが本当の手前味噌自慢



そして、さらに、二週間干したダイコンも漬けまして。


水分が抜けてへにゃっと、まるでおばあちゃん。おばあちゃんとちっさいの。



おばあちゃんが息ができないくらいに糠床、ダイコン、糠床、ダイコンとだんだんと積み重ねていって、一ヶ月半後くらいには食卓に並ぶ予定でありんす。


明日どこで何をするか分からない、予定の立てようがない暮らしの中ではやりたくても地団太を踏むしかなかったあれこれ。
ぼくは今年になってようやっと仮ではない、本当の意味での「暮らし」という新世界に足を突っ込んだ気がします。

「未知」は遠くのどこかではなく、自分の足元、地中深くに根を張ってあったのでしょう。


旅と暮らしは相反する性質でどちらかしか選べないと思ってきたけれど、それは浅はかな考えだったようです。

「暮らし」の中にしか本当の「旅」はないのです。


Special thanks nao大先生





2014年11月4日火曜日

2014シーズンお疲れ宴と、久々ぽえまー節


今年もお世話になりました!


一番うるさいのはだーれだ。



たまにはぽえまー節と共に。

遠くの友をなんとはなしに思い出した夏の唄。

<7/14 最近 唄っていないなあ>

色んな人に出会って
お互い 必要なときに求め合って
たまに ふと 思い出したら
いつの間にか
いつも思っているわけではなくなっていて
それでも 何でも
求め合った日々は夢なんかでは決してなく
色あせることも 何もなく
会う頻度や姿・形に場所や思考が変わっても
久しぶりにまた会ったなら
何にも変わらず あの頃のままの ぼくら なのだろう