2013年11月4日月曜日

釧路川堪ノープラン遠征1額平川が好きだ


Native・工藤氏とのぶらり二人旅。全くの無計画はぼくにはいつものことだけれど、それを完全に信頼する彼は不思議な人だと思う。
決まっているのは、なめるように聖地釧路川を堪能するということだけ。

迷惑をかけないようにと親のようなnaokiさんに先日の「川」(千歳)宴で釘をさされたのだが‥旅にハプニングはつきもの?それともトラブルメーカーの本領発揮?
ま、無事で何より。ネタが増えるぜ。

初日である昨日は約一週間振りの額平川。洞爺ビノコロの福島豪氏と千歳で落ち合った。

先日の紅葉ピークは落ち葉ピークとなり、雨は雨のままで、額平川が泣いているように思えていたたまれない。
何もなかった場所にはハシゴがかかっていて、工事がハイテンポで進んでいるらしいことが推測され、上流部の美しい水色は途中から線を引いたように茶色く濁り出し、クマタカはケガをしたカモを狙い、白い息を吐きながら腰引け弱小DIVEを披露し、
気づけば待ち望んだ青空が、額平川最強と思われる超特徴的な左大回り層雲峡風味渓谷スーパーカーブにて登場。
ぼくらは躍った。踊り食いではない、踊り漕ぎだ。

悲しみの中にも、制限つきの暮らしの中でも笑顔が必要であることに額平川は気づいたのかもしれない。
泣いたって何も変わらない。悲しみの上にぼくらは、いかにあるべきなのか。額平川はその答えをぼくより先に見つけたように感じられた。
諦めるのでなく、言葉少なにただただあるがままに、受け入れる。

色々な陸での煩い事が少ないながらに僕にもあって、そういった大切だけれど面倒くさいあれこれを一切投げて、水の上で僕は完全なる自由を得る。多分、僕は笑いっぱなしか寒いとうるさい。
いつ沈してもいいのだ。泳いだって、泣いたって、おらおら漕いで全身を倦怠感に包んでやるのも悪くない。
僕はエラ呼吸ができないけれど、淡水の上は呼吸がしやすい。

ただ、きれいなものをきれいだと。ただ、いいものをいいと。素晴らしい景色を素晴らしいと。言いたいのでも伝えたいのでもなく、感じていたい。そこにしか生きている実感をぼくは得られない。生に固執するために、ぼくは感動していないと駄目になる。
美しいものに触れてさえいれば、限りある生命を全うできるはず。
心の動きに歓声で遅ればせながらついていく。
シンプルに、水の上を歩くように陸地をも歩きたい。かつて僕らは皆そうして生きていた。

どんな悲しみもひっくるめて、それでも、色々な大人の都合とやらも構わずに、ひとつだけ今、確かなこと。

額平川が好き。

それだけ。

それだけでいいだろう?
他に何が必要か、僕には分からないし分かる気もない。

美しいであろう新緑の頃には何がどうなってしまうのだろう。

以上、何でか阿寒ないと明けの朝。


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