2013年4月17日水曜日

「愛をこめて花束を」

好きな方、やはり多いようですね。うんうん。僕も例外にもれず、大好きです。


結構‥というか、かなり好きです。この歌。「Superfly」です。

昔の彼女が当時、よくカラオケで歌っておりました。
そうそう、何の風の吹き回しか、自分でもあまり考えずになんだか面白い気がして、先日、彼女に『まちゅ★ぴちゅ』を送りつけたんですね。
しばらく経ってからコメントが届きまして。
「見たよ~!また陽気なことやってるね。」なんて言われました。

昔からなのですが、あの方、言葉の使い方が(も?)少しおかしいのです。ここがへんだよ、日本人です。
「陽気なことやってるね」なんて今どきの女の子が言いますか。言わないですよ。「陽気」って、その言葉のチョイス、何なん?斬新ずぎるそのセンスに脱帽です。
でも、そんなぶっ飛んでいるところが好きだったんだよなと、僕は思わず笑ってしまいました。


僕は絶対にそんな使い方は思い浮かばないし、できないですから。
僕にはないものばかり、彼女は持っていました。僕が持っていたものを、彼女は一切持っていませんでした。僕らはふたりでひとつでした。

まあ思春期ということもあったとは思うのですが、それにしても服装から何から 彼女は本当にCrazy でした。僕は待ち合わせの度にドキドキワクワクソワソワしていたんです。今日はどんな格好か、見たいけれど見たくなくて、ね。こわいもの見たさというやつですか。

まあ、僕も結構ひどくて、隣にいてほしくない格好をされたときなんかは、最初から露骨に苦い顔をして、はっきりとダメ出しをしていました。何様なんでしょう。今ならもう少し、オブラートに包みますよ。‥え?黙っとけ?それはちょっと知ってもらいたがりの僕には難しいかなあ。
好きだから、もっとかわいくなれるから、文句を言うわけですし、ね。
ま、ひどいヤツです。でもそれくらい奇抜なセンスだったのです。

「‥なにそれ。なんで?そんなん見たことないよ。おかしいしょ。」

待ち合わせて三秒。ケンカの始まりです。まくしたてられると、僕も口答えができなくなって黙るしかないんですね。普段は僕の方がいろいろ達者なのですが、ケンカになるとてんで弱い。彼女は考えながらまくしたてることができるのですが、僕はそれがどうしてもできない。黙っているうちにどんどん攻められて、面倒くさいから、とりあえずその場をやり過ごすために平謝り。そうして、嫌な思い出は都合よく忘れるのですが、彼女は嫌な思い出ばかり抜群の記憶力を発揮させて、いつでも引き出しから引っ張り出してくるんですね。


まあ、すごい脇道に逸れてしまいましたが、たまにはライトな文章も一興ということで。


まあ、なんというか、どうにか本流に戻ると、Superflyね、この曲いいですよね。生命力のある女性というのは、美しいです。


言葉のチカラというのは、それはもう、ものすごいもので。
「言霊」というやつを僕は利用して、利用されて、こうして生きているわけで。

誰かと話しているときに、そこにいない誰かの話が出るでしょう。「誰か」でなく「やりたいこと」とかにも共通なのですが。

そうすると、頭にその人が知ってか知らずか、インプットされるのです。そうなるともう、僕は夢の国に生きていたいわけでもないから、妄想だけではとめられないのです。逞しすぎる想像力が一人歩きしてショックを受けてしまわないように、実像を確かめずにはいられなくなるのです。だから、自転車を走らせて、阿佐○谷へ行きました。


 5/12は、母の日です。


そこには、働くきれいなおねーさんがいました。
僕は好きな人の働くところをのぞき見するのが昔から好きでね。驚く人の顔と言うのはいいもので、。悪趣味だろうか。
勿論『まちゅ★ぴちゅ』も手渡してね。一号100円もらっちゃったりしてね。おやつまでもらっちゃってね。



ああ、また脱線するよ。すません。
彼女が何をしていようが、誰の胸で眠っていようが、今の僕にはいい意味でどうでもいいことになりました。
といっても、こうなるまでは長かった。僕は超引きずり太郎ですから。
五年付き合って、回復するまでに四年かかったわけです。

勿論、泣いているより笑っていて欲しいとは思います。彼女に教えてもらったことが僕には沢山あるから。
でもそれだけ。
まあ、たまに会ってしまうと、「あれ?かわいいね。っていうか、きれいになったね。今夜どう?」なんて、何を狙っているのか分からないセリフを吐いて、冷たくあしらわれるという、そんなに、というか全く大人でない僕も確かにいるのですが。
バカな誘いをかけられるのは、彼女が完全に僕のところに来るはずがないという前提、信頼があるからだと思うのです。

人間、やっぱり、恋していないといけまへん。いけなくはないけれど、季節は、春です。
解き放つなら今、です。
僕らも生物です。ただのヒトです。「人間」をしようとしなくてもいいと思うのです。自然のままに任せたらいいと思う。アカデミー賞なんてくそったれい、でしょ。



あなたの、かつての特別な人は、どこにいますか?元気ですか?
それを考えたとき、心に喜びは息づいていますか?

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