2013年3月11日月曜日

after 3.11~2年

何を書けばいいんだろう。いっぱいあるよ、言いたいこと。思ってること。会いたい人。

とりあえず、今日あったことをいつも通り、報告させてもらいますわ。

昨日、日曜日の原宿。人ごみを避けて生活する僕がど真ん中に飛び込んだ。僕は新宿で生まれた。だのに、人ごみにはてんで弱い。

案の定、やっぱり、身体が重たくて。高崎に上杉さんの絵を観に行こうと思っていたのだけれど、こんなコンディションでは味わいつくせないに決まっている。

昨日の夜中、録画しておいた映画を見た。

「JAPAN IN A DAY」。

2012年3月11日の映像を集めた作品だ。
簡単に二年前に引き寄せられる。

印象的だったのは、外国人の非常勤英語教師。
「まわりに「何故homeに帰らないのか?」と問われ続けた。でも、僕はここに住んでいるし、ここの言葉を話す。奥さんになるかもしれない彼女もこの国に住んでいる。homeだって?僕のhomeはここなんだよ。」
まあ、そんなニュアンス。
みんな、根付きたいんだな。草や木と同じように。(「ぽんぽこ」アレンジ)勿論、きっと僕も、ね。

観終わったら、13時半。
二年前と同じ場所で、14:46を静かに迎えるつもりだったのだけれど、意気地なしの僕は逃げるように自転車を漕いだ。無性に人恋しくて、日比谷公園に向かった。

去年と同じイベント「Peace On Earth」が開催されていた。


平日なのに、すごい人。女子高生もいた。
知り合いもちらほら見たけれど、声を掛けるのに何でか、気が引けた。

壇上には、尊敬してやまない森の守り人・ニコルさんがいた。

ニコルさんと加藤登紀子さんのツーショットとか、たまらない構図があったのに、SDカードが入っていないことにしばらくシャッターを切ってから気がついた。撮影に気をとられないように、誰かが配慮してくれたみたい。
カードをパソコンに差しっぱなしにしたのは、誰でもない僕だけれど。愚かな過去の自分に感謝。

アジカンのごっちが坂本隆一さんと喋っていた。
「今日だけ思うことには違和感があって。いつも、思うこと。それぞれが思い続けること。」

そう、「毎日が誕生日」。あまり知らないけれど、まともなアーティストもいるもんだなあ。

と、思いながら熱気のあるステージを離れ、公園内をふらつく。

無添加ウィンナー盛り合わせ、700円かあ。うまそうだなあ。‥そうそう、僕は今日一日、ラマダンなんだ。

でも、なんだか、とっても疲れてしまって、エネルギーになりそうなちゃんとした食べ物だろうし、食べることにしたんだ。意志薄弱とかそういう問題ではなく、ね。まあ、僕は本当に弱いんだ。

ベンチに腰かけて、なかなか決められずにいる今週からの動きをはっきりさせなきゃと、スケジュール帳とにらめっこ。
名案が浮かぶ気もしないので、ぼーっとしていると、対岸に、大きなシャボン玉が浮いていた。名案の代わりに、重力も常識もお構いなく、ふわふわとシャボン玉が浮いていた。

シャボン玉をつくる謎の雰囲気系おじさんに、通りすがりの人たちがポツリポツリと絡んでいる。

ザックには、最近休ませていた「サラリーマンしゃぼ太郎」。ポッケに相棒を差しこんだなら、僕は意を決して立ち上がった。

予定は未定だ、今、目の前の景色をしかと味わおう。It’s time!


『あのー、僕もやっていいですか?』

「あ、はいはい、どーぞー」

どことなく、「屈斜路ガイドステーションわっか」のきなせさんみたいな雰囲気。

ほどなく、かわいい女の子集団が歓声を上げながら近づいてきたので、一緒にきゃっきゃっと楽しむ。

魔法使いみたいなおじさんが、静かに囁いた。
『ちっちゃい子どもたちが集まることは多いけれど、こんなことは滅多にないですよ』」

そこから、何人の人と喋っただろう。何枚の写真を撮られただろう。
シャボン玉がコミュニケーションツールとしてここまで機能するとは知らなかった。

そこから、暗くなるまでノンストップでシャボン玉。

来る人来る人、僕がしがない通行人でしかないことに驚くのが、面白い。


「同じ形はありえない。」「風がコロコロ動いているのがよく分かる。」「風がなくても強すぎてもよくないんだよ」「タイミング」「重力が関係ないから、現実離れして見えるんだよね。」「この時間、きれいなんだよ」「湿気がある方が長持ちする」「砂埃とかはダメ」

おじさんのつぶやきが、いちいち、良かった。

途中、おじさんの留守を預かっていると、若い三人衆が、からかい顔で声を掛けてきた。

「何してんすか???」

『シャボン玉つくってんだ。おれもさっきやりだしたんだけれど、おじさんがちょっとトイレ行ってるんだよね。やる?見てるよりずっと面白いけど?』

「え?いなくなっちゃったんですか?笑 ‥いや、いいです。どうも。(怪訝な眼差し)」

人には、二種類あることがよーく分かる。
やる人と、やらない人。
僕は、どう思われてもどうでもいい。やりたい。やってたい。

おじさんは、今日のようにシャボン玉をつくったり、落書きごっこを各地の公園でしたりしているらしい。被災地に何度も足を運び、シャボン玉で遊んだりもしているという。


あれから二年後、なぜか僕は日比谷公園でシャボン玉を吹きました。


僕が愛用しているのは、「PUSTEFIX」のシャボン玉。
これは、第二次世界大戦直後に作り出されたもので、博士が「すべての子供たちに辛い過去から離れて、虹色に浮かぶシャボン玉に魅了される経験をして欲しい」という思いから作り出された。


つながっていなければ、膜はつくれない。膜が張られなければ、シャボン玉は生まれない。
(縁が)つながってさえいれば、膜ができて、シャボン玉が宙を舞う。

無数のシャボン玉が宙を舞うとき、世界の平“和”があるのかな。


僕のシャボン玉、君まで届いただろうか。


生かされていることに感謝。生かされなかった命の分も、許される限りは目いっぱい。ありがとう。






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