2013年3月31日日曜日

農道17浜松のネットカフェ→新宿の書斎263k

不穏な天気にめげそうになりながら、無事に新宿に着きました。


"君あり、故に我あり"(サティシュ・クマール)です。

皆々様のおかげで、今回もどうにかこっちの世界に踏みとどまることができました。

本当にありがとうございます。

あなたに、あの人に、あの子に、‥直接話したいことが沢山あります。


17日間に起こったさまざまな物語を、お酒でも呑みながら一緒に楽しんでもらえたらいいな。


書き手だけでなく噺家としても求められたら、どこへでも行きます。
なんせ二十歳のときのいきあたりばったり講演会では、せんださんからお墨付きをもらっていますからね!

誉められたときは、ひねくれずにそのままを受け取る構造になっていまして。


なんやかんやのあれこれはまたにして‥おやすみなさい。

三月、さらば。

2013年3月30日土曜日

農道16〜Love&Free World@都祁(奈良)→浜松(静岡)

「東の空を太陽が鮮やかに染め上げたら
優しい風が吹き抜けて君に逢いたくなったんだ」

Caravan。「Love&Free World」より。

‥もう帰ろう。

新宿を出て16日。素直に思えた朝でした。

心も身体もようやっと整いました。


弱小カブ、地元ライダー(ハーレーオーナーでもある)と本日、まさかのツーリングの巻。

 
道の駅「関宿」で出会った、カワサキのDトラッカー125.
 
すごく楽しかった。すごく嬉しかった。
 
 
カヌーが好きな人とカヌーを漕いでいたら、カヌーが好きになった。
 
バイクが好きな人と一緒に走っていたら、バイクが好きになった。
 
ちんたら走りに付き合ってくれて、ありがとうございます!
 
 
 
 
 
「好き」って、すごいです。強いです。有効活用しないともったいないです。
隠したり濁したり誤魔化したらいけません。好きではなくなるかもしれなくても、それでも「好き」は、誰かに渡すときに、渡すために、受け取るためにあるのです。大切なのは受け取ってもらえるかどうかではなく、渡せるだけのものが、自分の中から生まれたということ。何もない場所からね。
 
 
今の自分、好きですか?
 
 
 

2013年3月29日金曜日

農道15〜東予港(オレンジフェリー)→大阪南港→都祁の里(奈良)

写真は近くの春日神社。

農道は水道に、水道が農道に。

ここは、有機栽培大和茶の『健一自然農園』。

都民投票つながりです。

十日の遅刻も何のその。快く迎えてもらいました。

玄米を食べたなら、早速、三番茶作業。


いろいろあって、今夜も借りぐらしの一人暮らしです。
家を追われたアリエッティに羨まれちゃうよ。



毎度事件だらけで筆も体力も何もかもが追いつきません。
追いつく気もないのですが、断片だけでもリアルタイムでshareできれば。

形にすることはいつでもできるけれど、
あらゆるものから心を解き放つことは、年がら年中できるわけではないから、
今は何より誰より、心優先。‥今も?

2013年3月28日木曜日

農道14〜どたばたと、ありが四万十→東予港(愛媛)→

僕もびっくり、何故か今日、感慨にふける間もなく唐突に四万十、四国にさよならすることになりました。

四万十→東予。途中松山で迷いつつ六時間。僕にしてはハイペース。

ドタバタ劇、誰にも見られていないのが、ちと残念。

ここまで足腰が軽くなるまでに回復したのは、四万十のおかげです。

切り替えスイッチのない僕の絶大なる味方、そうです、出ました、フェリー。

明日の朝には大阪で、そこからカブで昼には奈良です。


四万十の救世主は今週土日は代々木公園にいるそうなので、東京の方は是非遊びに行ってみて下さいね。
僕の代わりに感謝の意を伝えてもらえると更にありがたいですね〜。



"救世主"改め、
『四万十塾』の「木村とーる」さん。

心底 special thanks。

2013年3月27日水曜日

農道13〜四万十は雨だった

高知といえば、これらしい。
求愛シーズンのウグイスの声‥ではなく、雨音で目覚めた。


霊山寺、道後、四万十。出先での雨は、その土地からのlove callだと僕は思ってしまう。

「あんた、行かんといて〜。」

きれいな着物のおねーさんにすがりつかれてみたいものだ。瓜実顔のね。
着物でなくてもいいけれど。

そういえば、二十歳の僕を引き止める稀少な人がいた。まあ彼女は洋装だったが、なかなかかわいい人だった。
かわいい彼女に何も告げず、僕は新大陸、北海道へ飛んだ。
そこで、あらゆるものに恋をした。


人ありきと思いつつ、もしかしたら恋の相手は"誰か"ではなく、"何か"なのかもしれない。

"何か"を超える"誰か"を見出したいのだろうか。
はたまた"何か"と共存できる"誰か"?


会いたい人がいる。冬の間に蓄えたものが沢山あるんだ。生でアウトプットしたい。もっと知りたいことがある。

時間がなくて、泣きたくなるが、泣いても時間は減るばかり。
でも、人間の頭には水が入っているから水を出せば頭が軽くなる、だから全部出せばいい、
と、ティモールの初代大統領は言っていた。


いつの間にか、二度寝をしていたらしく、近所のおばちゃんに声を掛けられ目覚めた。

「カンタ!ティモール」に誘ってくれたおばちゃんだ。

4/14に、映画と同じ場所、四万十市中央公民館で「武藤類子講演会」があるという。
昔から脱原発運動に関わり、今は福島原発事故の告訴団の団長だ。


街でもどこでも何者かとよく問われる。僕は僕以上でも以下でもないが、人は分類することで安心したがる。
出先では尚更だ。

でも、ここでは僕が何者か知らないのに、そんなことはお構いなしだ。
目の前にいる生身の人間として扱ってくれる。
居心地が良いはずだ。



枯渇した湖が、ぽつり。あたりには何もない。
どうなってもおかしくない瀕死状態。
もう駄目かと諦めかけたそのとき、
奇跡的な地形変動により新たに、確かな川が流入して、子を守る母よろしく、大河は惜しみなくどんど水を供給しはじめた。湖の意志なんて気にとめず、どんどどんどとめどなく。
なみなみと美しい水が注がれて、死に瀕していた湖畔沿いの植物や水中の生物たちも息を吹き返した。

危機を脱した湖は、
自身が池なのか沼なのか、湖なのか、流出河川はあるのか、堰止め湖なのか、人造湖なのか、水質はどうか、美しいのか、どんな魚がいて、誰が見てくれるのか‥
そんなことを考えているうちに自分の仕事を疎かにしてしまっていたのです。
水を枯らしてしまう暇があったら、与えられた限りある命で、育むことに専念しよう、と。
水を湛え続けよう。

それが使命であることを、
大河に救われたことで、自らの役割をようやく受け入れることができたのです。

死に損ないの湖は、つなぎとめられた生で、あの大河が惜しみなく施したように、
新たな生を自らの水でつなぎとめることができる日までは、湖をやめるわけにはいかなくなりましたとさ。


なんちゃってシマムタ物語。

ちゃんちゃん。

農道12〜今日も漕いだ@四万十川


3/26

穏やかな風の中、口屋内〜高瀬沈下橋間を漕いだ。

横笛を吹いたり、シャボン玉を吹いたり、うたた寝したり曲をつくったり無印良品の簡易ラーメン食べたり忙しい。

久保川休憩所のみ、遊べる瀬がありました。

万全なカヌー仕様スタイルではないので、あまり濡れたくない。

そう思うと、なかなか手が伸びない。

そうか、守るべきものがあると、自由に身体を動かせないもどかしさが発生するんだな。


少し年下の友人たちも、脂が乗ってきました。
僕の友だちだもの、そうこなくっちゃ。

人より面白い娯楽はありません。提供し合わないと勿体ない。楽しみです。期待していますよ。


僕はここが好きです。
なんでか、とっても居心地が良いのです。


春は、植物も生物も、みんなが動き出します。

動くなら今、ですよ。

2013年3月25日月曜日

農道11〜農道が水道につながった日@四万十川

四万十川に着いた日。この川には今はまだ縁遠いと感じた。
招かれざる客、か。ならば、ここまで来て、漕がないというのはどうだ。コペルニクス的転換。

「漕ぐ」ではなく「漕がない」?面白い、採用。

実のところ、四万十川を漕いでしまったら、失うものが大きすぎる、まだ焦らせる、膨らませられる。
そうも考えながらここまで北。いや、西。

だから、キャンプして次の日には高知市内の面白い人に会いに行こうと思った。

呼ばれていない場所に長居できるほど、図々しくはない。

後ろ髪引かれつつちんたら撤収をして走り出すと程なく、救世主が現れた。

平手のあとに握手されたら、平手のおかげで握手の喜びが跳ね上がる。
下を極めれば天まで届く。


四万十に来て気づけば五日。
ようやっと、漕がせてもらいました。

「江川崎」カヌー館のテニスコートあたりの駐車場利用〜「口屋内」の壊れた沈下橋間をのんびり行くことにした。

追い風に乗って、軽快に進む。風も味方だ。

徐々に、風沈可能な突風が吹き出す。

岩間の沈下橋(去年ドラマの舞台になっていたらしく、記念撮影スポットになっているらしい)付近で待機。

ふっふっふ。
「風は川ではないのだ。いつか止む」とはアリュートの教え。
(新谷暁生さん本より)

が、
待てど暮らせど 風やまず

お粗末様です。

この風はやまない。やまない気しかしない。予報は風力4、5、6。
予報を裏切る予想を立てていた僕。そうは問屋が何とやら、である。

いくら久しぶりだからといっても、風沈はしない。トレーニングがてら、という思いもあるが、今日はただ、のんびり味わいたかった。
それができないなら、いいや。
引き際が肝心。どうせまた来るんだ。

あっさり撤退を決定。

僕は戦うことの無意味さを水の上で学んできた。地球に適うはずがないから、最初から不戦敗の白旗をあげて、おっかなびっくり遊ばせてもらう。

陸上でも同じだと思う。

「カンタ!ティモール」を引きずっている。

四万十は、上げたり下げたり、小悪魔体質らしい。

予定より上流で上がったため、スタート地点の車までどうするか。

どこでもいつでも人様に迷惑かけてばかりの僕は、おんぶにだっこのヒッチハイクは避けている。

岩間の沈下橋〜カヌー館、7キロ。一時間半か。なんだ、歩こう。

441号線は、見通しが悪く大型車に抜かれるときは恐怖なので歩くにオススメはしません。

レンタル自転車もちょこちょこ見る。


数日前に救世主が、新調したというクラシカルなザックを見せてきたので
『山もやるんですか?』と聞いた。
「歩きたくないからカヌー乗ってるんだよ。」

僕は一瞬目を点にしてから、思いっきり笑った。

「分かりやすくていいろ?」
救世主は、笑った。

ああ、僕は、カヌーで漕いだ分をしっかり歩いてしまっている。
でも僕は平地を歩くのは好きだから、まあいいのか。

途中、目黒川との合流点にある「いわき食堂」で日替わり定食。

戻ってからは、草むしり。

湯を温めるのに、薪はどの程度必要か。
知らない方が不自然なことを僕はここで今さら学ばせてもらっている。

騒がしいテレビより、火を見ている方がよっぽど楽しく、落ち着く。

いつか、僕の家ができるなら、薪ストーブを置いて、風車を回そう。大切にできるくらいの多すぎない土をいじって、誰でもいつでも快適に泊まれるようにしよう。


「人に優しくされたとき 自分の小ささを知りました」

(モンパチ)


僕も大きくなりたい。
193センチとまではいかなくとも。

2013年3月24日日曜日

農道10〜黒尊川@四万十

下見がてら口屋内(くちやない)へ行くと、いつかのカヌーライフ(雑誌)で見た「シマムタ共遊国」、「酒井商店」や「しゃえんじり」(地産地消の四万十料理。)を発見。‥ミーハーか。

水沿いの道が好きな僕は、地元道の381号線(黒尊口屋内線)にそそのかされた。
この道は、四万十川に流れ込む黒尊川(くろそんかわ)に寄り添っていた。

時速20キロで、たらたらわき見運転。

鮮やかなみどり。どこよりも深いみどりも見ーつけ。
このみどりはなんだ。こんな川があっていいのか。

四万十もきれいだけれど、この川の色は四万十以上かもしれない。

四万十のことを知らない人間に、何の説得力もありませんが。

人が少ないなら納得だが、すぐそばで人が生活をしているにも関わらず、この色。
このギャップ。

四万十さん。懐、深すぎでないかい。

いや待てよ。凄まじいのは、
四万十の自然治癒力か、はたまた流域の人たちのモラルか。

奥には、熊野神社系の黒尊神社が本堂と奥とに分かれてある。樹齢四百年の杉。


その後は、草むしり。
2月に観音寺農lifeにて習得した単純作業持続集中力がここにきて活きるとは。


急ぎすぎていた僕はようやくここで足をとめることができて、
このままうっかりいつまでも沈没してしまいそうな気配むんむんですが、目指していたのは四万十‥ではなく、奈良。そう、西にあったはずがいつの間にか東になった、奈良。
奈良が引っ越したのか?

いや、立ち止まることができなくて奈良を東にしたのは僕だ。


みんな、どうやって自分を乗りこなしているのだろう。
僕は落馬して馬鹿りだ。手綱もムチも持たずに操るなんてことは不可能なのだろうか。

そんなことをある人と話していたら、「そんなん乗りこなそうなんて思うからいけない」と笑われた。

本流と支流の境目なんて、水にとっては無意味だろうけれど、僕は水ではないから。
曲がりなりにも、人間を"やる"のだ。


そうか、ここはリハビリ清流ステーション、か。

英気を養ったなら、今度こそ奈良だ。

2013年3月23日土曜日

農道9〜『カンタ!ティモール』と福島の高校生たちとメルトダウンだぜ〜@四万十市内

バイクのどこに貼るか考え中のステッカーは「脱原発四万十行動」さんmade。

ご近所さんに声を掛けてもらい、気になっていた映画を観に、市内の公民館へ。

監督の広田奈津子さんは、僕が今お世話になっているところのお知り合いらしい。

まさか、ここで観ることになるとは思わなんだ。

何をしても結局行き着くところは同じ、か。

答えを探し、ティモールを旅する監督と目線がシンクロしていく。

唄がまた良かった。サントラが欲しい。

知らないことが多すぎて毎度泣きたくなるが、投げ出したらいけない。
犠牲の度合いはそれぞれだが、カラクリは同じだ。
無性に帰りたくなったが、はて、僕が踏みしめたい"ふるさと"はどこにある?

沁みた言葉。
「大地を治す」


高知はビキニ水爆実験のことがあり、意識が高いのかもしれない。
隣り合ってはいても他の三県とは、一線を画しているように感じる。
ここは四国唯一、奇人でも生きやすい場所かも。

月一デモにはみんなお金を出して参加して、そこから活動費を捻出しているらしい。めちゃくちゃアットホームな雰囲気だけれど、本気。

ここいらでは語尾に「〜ろ?」「〜き。」がついている。

福島の高校生たちは静かに、確かに主張した。

「原発はいらない。」

拙くても、声が小さくてよく聞こえなくても、彼女らの言葉には本物が宿る。言霊。
続けていけば、もっともっと宿る。


今まで僕は叫ぶことに躍起になっていたけれど、少し前から捉え方が変わってきている。
勿論叫ぶ人も必要だけれど、
今、僕は着実にできることを増やしておきたい。


お金をつくるより先につくるべきものはいくらでもあるはず。じゃない?

ほら、
食べるもの、使うもの、愛するもの、寝るところ‥
どれもつくれる?

否、勿論お金は必要だ。分かってる、ニュアンスだ。

何かのときに、誰かのためになれるように。


役に立ちたい奉仕欲はすべての人に備わっていると、何かで聞いた。


農道7・8〜四万十の流れ

四万十名物、沈下橋。ほ、本物や〜。

3/21、松山〜四万十川。
3/22、今日も四万十川。
3/23、明日も四万十川。

縁がないかと思いきや、映画のようなワンシーンから始まった、憧れの四万十編。


事件は現場で起きています。現場にしかありません。
手抜き報告はいろいろ弊害があるのでやめます。

2013年3月21日木曜日

農道6〜道後・松山2(愛媛、伊予)

3/20写真1はご当地グルメ「うずら丼」。

昨日はみんなと酒を呑んだ。元ヘルパーさんたちもちらほらいるようだ。
大学卒業くらいの年が多いらしい。どこに行ってもその年代に遭遇するのは理由がどうのというより、単に時間があるからだ。22歳、僕は東京で金をつくっていた。

目覚めたら、怪しい空模様。嫌だなあと思いながら、出発準備。
宿のヘルパーさん方によると、四万十、高知方面はここより降るらしい。

‥やーめた。沈没決定。
雨のカブの恐ろしさは分かっている。晴耕雨読。晴漕雨沈。

坂の上の雲ミュージアムではなく正岡子規記念館へ。
夏目漱石の坊ちゃんやら、当時はさらに素敵だったのかな。

強まる雨足。道後のアーケードに行くと、どうやら今日はお祭り中日らしい。
どこか他に行くより断然面白そうだ。
手作り感満載の出し物を、じっくり楽しむことに。

和太鼓雷神、伊予万歳、水軍太鼓(地元女性消防団)、野球拳(発祥の地)、道後春の踊り‥
あとは、女神輿。迫力はないけれど、華やかだ。近付いて撮影するのは度胸がないとなかなか難しい。

松山市駅からの長いアーケードをふらつく。
若い夫婦は子連れが多い。女の子は茶髪率高い。
重い荷物を持とうとはしなそうである。女の武器を自覚し使いこなしている風に見える。地方というのは大体にしてそうなのだろうか。それが生きる術なのだろうか。まあ井の中の蛙が、大海を知れば幸せとは限らない。知らない方がいいことはこの世界に余りに多い。潔い生き方だ。僕はないものねだりばかりだ。

僕は重い荷物を持とうとする人が好きだ。持てる持てないはどうでもよい。

人が多いと思ったら、祝日だったのね。

17時半?くらいに帰宅、爆睡し、今目覚めました。
疲れているようです。

ずっと西を目指してきましたが明日は南下、できるかな。

2013年3月19日火曜日

農道5〜@道後(愛媛)

2月に滞在した観音寺、雲辺寺山の裏側を走る。

漕行距離、徳島〜松山184キロ。

交通量少なめで、気になっていた桜三里も大したことはなく。
昨日の雨で吉野川は濁っていました。

ルートは快適だったが、睡魔に襲われ途中仮眠。サングラスが欲しい。もやがかっているのはなんたら2.5?目がしょぼしょぼ。

道後(どうご)温泉近くのゲストハウス「ふじや」に飛び入り。

人ごみは苦手ですが、僕は"街"が好きです。人がいると安心します。踏みとどまることができます。

別次元にぶっ飛んでしまいそうで恐ろしくてたまらず、今回は野宿熱ゼロです。

走るルート次第なんだろうけど、奈良はおっかなすぎました。

松山、夕方からずっと歩いてみましたが、良さげな街ではないですか。

明日は停滞か四万十いくか。

農道4〜ゼロ・デイ@徳島

昨日はトータル238キロ。

本日、予報は雨。
不穏な空気なので、沈没決定。
「お四国ゲストハウス」様々である。
一泊2000円。

「青空」と「二十世紀少年」を読破したり、洗濯をしたり、寺を見たり、甘辛いれんこん丼を食べたり、コシのないうどんを食べたり、地方ごとの人間の違いや博多の魅力、お遍路の現状についてオーナーさんと話したり‥

妙に人恋しくて、友人たちとの食事を心待ちにしている僕がいます。

さ、明日も西を目指します。ダム闘争の吉野川を横目にね。

2013年3月18日月曜日

農道3?〜限界超え@四国霊場1

3/17(日)
今日もハプニングだらけで、非常に疲れた。

何もなくていいのに(なきゃないで文句を言う)、ハラハラしたり焦ったり笑ったり、ひとりでいろんな感情が鳴門の渦潮のようにぐるぐると沸き起こっていて、コントロールしきれなくて、日に日に弱ってきております。
伊賀と甲賀が青看板に同居しただけで、恍惚。文字だけで夢想。上がったり下がったり、ただの子どもです。勘弁して頂きたい。

モンベルのだいぶダウン量の減ったオレンジダウンと、Lokiのネックウォーマーをなくした。ダウンはもしかしたらもしかしたら。
が、あまり落ち込んでいないのは、自業自得でしかないから。
ダウンはビニール的光沢感が気に食わなかったし、ネックウォーマーはバイクには最強の使い方ができる3wayでショックだけどとりあえずの予備はある。
なくしたら困る物は他にあるから、犠牲としてはまあ妥当かと。
コンパクトになるダウン、持て余している方いたらご一報くださいね〜。

物をなくすのは余裕がないとき。

意識を持続させるに障害となるものが、未知なる道には多すぎる。

余裕がなくなるまで追い込まなければいい話ですが、そうは問屋がなんたらと。

限界を知らないのか知る気がないのか、加減なく負荷をかけたがる癖がある。自分にできないことがあるなんて、そう易々と受け入れないよ。できないことは何もない。で、しくじったワケだ。反省はしてもやり方は変えない。何度でも、何度でも。


目的地付近の山中に、水が流れていた。僕にはカヌーが見えた。
そのときは気づかなかったが、道を間違えていたようだ。ナビは使用禁止にしている。
間違えなければ、カヌーのことを考えなかった。
カヌーが見えた、見えてしまった。

雨が降る前に、西に行こう。

和歌山港〜徳島港、南海フェリーで二時間。人2000円。カブ1200円。

沢木耕太郎、「荒野へ」、分かっていたけれど、より深まっていく。
楽しいというか、本当に危うい。

2013年3月16日土曜日

農道2?サンキューサンキュー@新宿から400キロの三重県内

今日も乱文。疲れのせいということで。
‥え?いつも通り?参ったな。

昨日は新宿〜焼津間漕行距離248キロと書きましたが、198キロの間違いでした。

静岡は、優しいドライバーが多い気がします。

浜岡原発、隣には馬がいた。ばかでかい風力発電ゾーンも異様な風景。原発よりずっといいけれど、変は変だ。はて、いい塩梅とは。
野菜畑、茶畑、(赤茶けた土は何でだろうか。)工場、太平洋、サーファー、富士山‥

ポテンシャル高いです。エネルギッシュ。
"ザ田舎"感が薄いのは、東京が近いからだろうか。
毎年西伊豆に行っていたこともあって、身内的感覚。
静岡途中までは関東文化圏だ。

西を知れば知るほど、東が際立つ今冬。

西に行くに連れて、こわい車、いかつい車、速い車が増えていきます。

名古屋でとまるはずが、友人たちやら何やらタイミングが合わず、縁がないようで、えいやと伊勢大橋上で三重入り。
橋だらけの名古屋抜けはしんどかった。

今日は202キロ、8〜17時。昨日と合わせたらジャスト400キロ!
二日間でかかったガソリン代(出発時、ほぼ満タン)7.82リッター、1187円。
僕の燃費ばかり悪いです。

道路状況やスピード、コンディションによりますが、根性なしの僕はこれ以上の数字を叩き出したら、持ちませんわ。

昨日もでしたが、休憩含め、時速22キロ。

明日目的地には着くのですが、素直に導かれるままに、走り続けるかもしれません。

邪心のない道を。


明日どこにいるか、誰も、僕も分からない。この危うさは何だろう。

疲れている。クマもすごい。だのに、僕の中のモンゴロイドの血が強く脈打つ。
僕は定住したい。

待てよ、急いているのは、その日が近づいているからか。Xday。day by day dayてやんday。すぐ唄うんだから。付き合いきれなくもなるよ。



道路は生きていることを知った。


‥ジャック・ケルアックか。

寝なきゃ。おやすみなさい!

2013年3月15日金曜日

農道1〜バイパス恐怖症@焼津

ささ、今日はさくっと軽快適当節だよ〜。

無事出発できまして、今夜の巣は、静岡県焼津なのら!

新宿から248キロ。
休み等含め9時間。相棒は、プレスカブ、SENDA!!。

箱根越えの術をリサーチしていたにも関わらず、ややこしい案内標識に翻弄され、気が付けば246、御殿場方面へするりと抜けてしまった。

バイパス、これは原チャリにとっては禁忌。

バイクや自転車が交通的弱者であることを十分知っていながら、社会的弱者はなんて酔狂なことをするのだろう。

ふじおやまの道の駅(スタンプがない‥)で、新宿ナンバーを見たお兄さんが話しかけてきた。

「どこまで行くんですか?いいですね!」

僕「〇〇まで行かなきゃいけないんです。トラックこわいし、おっかないだけですよ‥」

別に誰にやれと言われたでもないのに、やらされてる感を全面に押し出す。付き合ってられない。誰だ。僕だ。ひねくれ者は僕だ?誰だ。


どこかで「やばい」という地名にときめいていたら、長すぎるトラックに抜かれて、
「長すぎるわ!あほか!考えろ!やばいわ!」と空しく罵りながら、メットの中は大笑い。

今日は生かされました。

感謝!さいちぇん!

2013年3月14日木曜日

銀杏ぼーいず・はまだくん



(18歳のはまだくん(左)。ついでに、右は、結婚目前かずやくん@黒姫/長野)

どうしようもない僕らが生きるためには、やっぱり書いていないといけないようです。書いてさえいれば何とやら、です。

(25歳のはまだくん@江の島/神奈川)


何やら、こ本気版も書き始めているようで、ワクワクしている友人というのはとってもいいものです。



僕は、多分、明日出発します。

にしても、本当に時間が足りない。分身の術でもマスターしないとやってられない。
雇われもせず、生み出しているわけでもない、今の僕は誰よりも時間持ちなはずなのですが、それでも足りない。あればあるだけいいと思っている。
「足るを知る」、わきまえているはずなのですが、“時間”にたいしては優しい気持ちになれない僕がいます。
これはいったいどういうことだろうか。焦っているのはまだ若いからでしょうか、それとも春の足音が聞こえてきているからでしょうか。答えは風の中。



かのあ一家も、明日から四国旅はじまりということで、楽しんでくださーい!


2013年3月13日水曜日

『ニンジンから宇宙へ』


今日は、3/9てやんday【“あなたにすべてを捧げます”】詳細。



電車の中で読み終えた、二冊の本のうちの一冊がこれ。

“あなたにすべてを捧げます”、これは「なずな」の花言葉。

この本の著者・赤峰勝人さんは、循環農法で野菜を育てる野菜専業農家さん。
HP→なずなの会


とりあえず、現場に行った、二月。
様々な違和感を抱えながら、仕事を終えて、「農業」のことが分からなくなっていた僕は、これ以上ないタイミングでこの本に出会い、足柄で実際に赤峰さんのお話を聞く機会を得ました。

何かを知りたいと欲していると、いつもどこからか、きっかけがやって来てくれる。うまいことできているものだ。


僕が知りたかったことばかり、赤峰さんは話してくれました。書いてくれていました。

僕が現場でおかしいと感じていたことは、やはり、おかしかったのです。


赤峰さん曰く、
「この畑に立っていれば、世界のすべて、宇宙のすべてが見渡せますから、どこに行く必要もないのです。」


すべての問題の根っこは同じであること。

「‥人間の場合も、同じことをしているように思えます。
病気という結果だけを見て、その部分に薬を塗ったり、注射をしたり、切り取ったり、放射線を当てたりする対症療法をやっています。病気の部分だけを見るのではなく、病人を全体として見ることが大切です。病気の原因を知り、元から正そうとしない限り、いつまでたっても、イタチごっこは終わりません。

現代医学も近代農法も、同じ考えに立ち、同じ過ちをしていると、私ははっきり確信しています。
‥私たちは、病気の出る原因を作っておいて、原因を省みずに、結果だけを無くそうと、やっきになっています。」

「世界を変える」より、「世界をつくる」方が、創造的で面白い。

いくら枝葉をいじくったって、根が腐っていたら意味がない。勿論、できることをやらない人よりやる人の方がいいし、皆それぞれの「正義」を守っているだけだから、特定の個人が悪いとかいうことでもないから、否定はしない。

ただ、僕自身は、この世界の根に、「ぐわし」と、まことちゃんよろしくアクセスできるのは、やはり唯一、農だな、という思いを強めているのです。

なんせ、僕らは「土の化けもの」。答えは土にあるわけだ。


Special thanks‥キッカケをくれた北海道の爽やカヌー乗り様。


さらには、長野で農業を始めるいそっぷくんも、たまたま、今、この本を読んでいるということで。


農wave、どんどこ盛り上がって参りました!




2013年3月12日火曜日

from 仙台「被災者支援とはなんぞや」

2011年3月11日、彼は生まれ育った仙台‥ではなく、伊豆大島にいた。


「地震発生から仙台に帰るまでは
映画みたいな映像と展開で
正直現実感がなかったです。」

あにまる★ぱーく~地震から9日目より。


(2011年4月、荒浜を行くきんちゃんphoto by ぱくちゃん)


彼が東京から仙台に帰るまでの数日を、僕は中野で共に過ごした。
ようやく確保できた池袋発の夜行バスで、仙台へ向かう彼を、自転車で見送りに行った。
バスロータリーには、妻夫木くん主演の「南へ」という舞台の看板がどどーんと掲げられていて、その夜も余震が街灯を大きく揺らしていた。気分は、戦地へ旦那を送り出す妻さながら。
走り出したバスが視界から消えるより先に、涙で霞んで見えなくなった。

ひっそりした夜の街に、どうしようもなく無力な自分がいた。


今日は、今も仙台で活動を続ける彼のブログ記事を読んでもらいたい。
僕には書けないことだから。

以下、あにまる★ぱーく~被災者支援とはなんぞや】(2013.2.21)より、全文転載。

★★★


最近の飲み会では異常に騒ぐ人間がいないので
もっぱら現在の支援活動についてのシェアリング

あるお宅でのワークはいつもお茶っこだけ
あるお宅ではその方だけでは抱えきれないくらいの畑の手伝い
ある意味その地域での何でも屋的な存在の自分たち。

確かにそこの地域は被災地と呼ばれる地域であり
実際に震災直後はマンパワーを必要とした緊急支援を行った
沢山の方がその地域に戻ってくることができた。

でもまだまだ仮設住宅に住んでる人がいて
家に戻ってきても寂しかったり不安な人がいる
一方すでに普通の生活を取り戻してる人がいる

その中でこれは被災者支援でこれは違う!
線引できるんかな?
線引すべきなんかな?
ボランティアってなんでも屋なんかな?

高齢化や過疎化の問題は潜在的にあって
震災でその問題が加速して表面化してきたのはわかる

けど一ボランティア団体としてどこまでできる?
いつまでその方達のお手伝いができる?
ゴールはどこにあるん?
そもそも被災者支援のあり方は?

県外からきてるスタッフがほとんどでみんな悩んでる
特に今年に入ってから何回もミーティングして
飲み会や食事のときでも話し合って
時には言い合いになって険悪になったりもする

『これは東北支援、被災地支援ではない気がする』
と言って去っていくスタッフもいる。

どうか光が見えてほしい。
寄り添うだけでは生きていけない。

これからどんどん変化していく。




★★★

Special thanks PAKU.

2013年3月11日月曜日

after 3.11~2年

何を書けばいいんだろう。いっぱいあるよ、言いたいこと。思ってること。会いたい人。

とりあえず、今日あったことをいつも通り、報告させてもらいますわ。

昨日、日曜日の原宿。人ごみを避けて生活する僕がど真ん中に飛び込んだ。僕は新宿で生まれた。だのに、人ごみにはてんで弱い。

案の定、やっぱり、身体が重たくて。高崎に上杉さんの絵を観に行こうと思っていたのだけれど、こんなコンディションでは味わいつくせないに決まっている。

昨日の夜中、録画しておいた映画を見た。

「JAPAN IN A DAY」。

2012年3月11日の映像を集めた作品だ。
簡単に二年前に引き寄せられる。

印象的だったのは、外国人の非常勤英語教師。
「まわりに「何故homeに帰らないのか?」と問われ続けた。でも、僕はここに住んでいるし、ここの言葉を話す。奥さんになるかもしれない彼女もこの国に住んでいる。homeだって?僕のhomeはここなんだよ。」
まあ、そんなニュアンス。
みんな、根付きたいんだな。草や木と同じように。(「ぽんぽこ」アレンジ)勿論、きっと僕も、ね。

観終わったら、13時半。
二年前と同じ場所で、14:46を静かに迎えるつもりだったのだけれど、意気地なしの僕は逃げるように自転車を漕いだ。無性に人恋しくて、日比谷公園に向かった。

去年と同じイベント「Peace On Earth」が開催されていた。


平日なのに、すごい人。女子高生もいた。
知り合いもちらほら見たけれど、声を掛けるのに何でか、気が引けた。

壇上には、尊敬してやまない森の守り人・ニコルさんがいた。

ニコルさんと加藤登紀子さんのツーショットとか、たまらない構図があったのに、SDカードが入っていないことにしばらくシャッターを切ってから気がついた。撮影に気をとられないように、誰かが配慮してくれたみたい。
カードをパソコンに差しっぱなしにしたのは、誰でもない僕だけれど。愚かな過去の自分に感謝。

アジカンのごっちが坂本隆一さんと喋っていた。
「今日だけ思うことには違和感があって。いつも、思うこと。それぞれが思い続けること。」

そう、「毎日が誕生日」。あまり知らないけれど、まともなアーティストもいるもんだなあ。

と、思いながら熱気のあるステージを離れ、公園内をふらつく。

無添加ウィンナー盛り合わせ、700円かあ。うまそうだなあ。‥そうそう、僕は今日一日、ラマダンなんだ。

でも、なんだか、とっても疲れてしまって、エネルギーになりそうなちゃんとした食べ物だろうし、食べることにしたんだ。意志薄弱とかそういう問題ではなく、ね。まあ、僕は本当に弱いんだ。

ベンチに腰かけて、なかなか決められずにいる今週からの動きをはっきりさせなきゃと、スケジュール帳とにらめっこ。
名案が浮かぶ気もしないので、ぼーっとしていると、対岸に、大きなシャボン玉が浮いていた。名案の代わりに、重力も常識もお構いなく、ふわふわとシャボン玉が浮いていた。

シャボン玉をつくる謎の雰囲気系おじさんに、通りすがりの人たちがポツリポツリと絡んでいる。

ザックには、最近休ませていた「サラリーマンしゃぼ太郎」。ポッケに相棒を差しこんだなら、僕は意を決して立ち上がった。

予定は未定だ、今、目の前の景色をしかと味わおう。It’s time!


『あのー、僕もやっていいですか?』

「あ、はいはい、どーぞー」

どことなく、「屈斜路ガイドステーションわっか」のきなせさんみたいな雰囲気。

ほどなく、かわいい女の子集団が歓声を上げながら近づいてきたので、一緒にきゃっきゃっと楽しむ。

魔法使いみたいなおじさんが、静かに囁いた。
『ちっちゃい子どもたちが集まることは多いけれど、こんなことは滅多にないですよ』」

そこから、何人の人と喋っただろう。何枚の写真を撮られただろう。
シャボン玉がコミュニケーションツールとしてここまで機能するとは知らなかった。

そこから、暗くなるまでノンストップでシャボン玉。

来る人来る人、僕がしがない通行人でしかないことに驚くのが、面白い。


「同じ形はありえない。」「風がコロコロ動いているのがよく分かる。」「風がなくても強すぎてもよくないんだよ」「タイミング」「重力が関係ないから、現実離れして見えるんだよね。」「この時間、きれいなんだよ」「湿気がある方が長持ちする」「砂埃とかはダメ」

おじさんのつぶやきが、いちいち、良かった。

途中、おじさんの留守を預かっていると、若い三人衆が、からかい顔で声を掛けてきた。

「何してんすか???」

『シャボン玉つくってんだ。おれもさっきやりだしたんだけれど、おじさんがちょっとトイレ行ってるんだよね。やる?見てるよりずっと面白いけど?』

「え?いなくなっちゃったんですか?笑 ‥いや、いいです。どうも。(怪訝な眼差し)」

人には、二種類あることがよーく分かる。
やる人と、やらない人。
僕は、どう思われてもどうでもいい。やりたい。やってたい。

おじさんは、今日のようにシャボン玉をつくったり、落書きごっこを各地の公園でしたりしているらしい。被災地に何度も足を運び、シャボン玉で遊んだりもしているという。


あれから二年後、なぜか僕は日比谷公園でシャボン玉を吹きました。


僕が愛用しているのは、「PUSTEFIX」のシャボン玉。
これは、第二次世界大戦直後に作り出されたもので、博士が「すべての子供たちに辛い過去から離れて、虹色に浮かぶシャボン玉に魅了される経験をして欲しい」という思いから作り出された。


つながっていなければ、膜はつくれない。膜が張られなければ、シャボン玉は生まれない。
(縁が)つながってさえいれば、膜ができて、シャボン玉が宙を舞う。

無数のシャボン玉が宙を舞うとき、世界の平“和”があるのかな。


僕のシャボン玉、君まで届いただろうか。


生かされていることに感謝。生かされなかった命の分も、許される限りは目いっぱい。ありがとう。






世界の終わりは、こんな色

夏日を観測したらしい東京。25℃って。三月に半袖なっちゃったよ。

薩摩の友人がどうやら江戸入りしているとの情報を極秘入手した吾輩は、「原宿に違いないべさ」と踏んで、待ち伏せをしていたとです。



 ‥いたいたいた、間違いようのないセンス屋かっぽー発見。

鹿児島にいたら、さぞかし目立つんだろうなあ。


僕はふたりの空気感が好きだ。
それぞれに、それぞれ以外はありえない。
こういう風なら、「ふたりもいいなあ。ふたりがいいなあ。」と、素直に羨ましくなる、そんなふたり。

久しぶりの挨拶もそこそこに、しゃべくって参りました。
言葉の通じる友人がいるって、とても贅沢なこと。毎度、お世話になっております。



【この世の終わりは、原宿の黄色い空】

みんな それぞれ いろいろあるし
ひとりひとりを気にかけることは ぼくにも 誰にも できなくて

できな いから ぼくら できることをこそやるの できるときにだけ やるの 
できるときにしか やれないの やれるときしか できないんだってば(分)からず屋! 
今がその日さいつかなの いつかが今 ‥だってばもう!

きみがほしいの ぼくがほしいの みんなほしいの 同じもの
 
ただ 一緒にいた いんだろう? 

きっと、たった、それだけ だから  きっと、たった、ただそれだけだった はずなんだ
一瞬一生 そうさ、ぼくら一瞬 手をつなぐ 
この手で、その手で、明日をつなぎとめるんだ(っ手) 
どこにいるか知れぬ きみをつなぎとめたいんだ(っ手) 





素面で唄っている間に、おらおら太陽も隠れ、風が吹いてきた。
ところ変わって、新宿。参勤交代か?




いやいや、「原発」国民投票デモではありませんか。
旗がいっぱいあると、威圧感が増すようだ。



「原発?」
「じゃない?そろそろ2年だしね。」(まわりの観衆のリアルつぶやき)


人情深い男も、しっかり仕事をしていた。
あれから二年が経つ。


新宿南口。甲州街道。

あれから二年が経つ。

女子高生っぽいエイリアンが笑う。
「何、あの人たち」
「別にあの人たちは、何も、誰も困ってないじゃん。なんなの。原発とまったら電気とかどうすんのって話」
「本当だよね。でさ、あの店知ってる?」

女子高生操られエイリアンズが覚醒する日は来るのだろうか。


あそこを歩いている人たちは、君たちをエイリアンにした諸悪の根源や、腐りきっている世の中のカラクリを見抜き、かつての「自分」(「平凡な幸せ」と言ってもいいのかもしれない)を手放したんだ。もう、戻ることはできないことを受け入れて、やるべきことをやっているんだよ。
自分を誤魔化すことのできない、誤魔化す気のないカッコ良い大人たちだからね、利益云々のくだらないところにこだわってないからね。それ以上何か言ったら、‥いくら生足だからって、色目使ったって、おにーさん騙されないからね。悪いけど、いっとう面倒くさいから、おれ。




あら、かっこよさげなおにーさんもいるじゃない




何もかもが不明慮なまま、あれから二年が経つ。声を上げ続けている人がいる。




2013年3月9日土曜日

“あなたにすべてを捧げます”

金太郎のふるさとらしい、南足柄(神奈川県)へ。鈍行片道1時間45分。

二冊の本を読み終えた。

電車は、一石二鳥の快適な移動図書館。ずっと着かなければいいのにと、真面目に思う。
"移動オタク"とでも呼ぶのだろうか。きっとDNAに刻まれているのだろう。

目的地なんてのに、大した意味なんてないのかもしれない。

ヨクサル(スナフキン父)曰く、
「どこにも行き着かなくてもいいじゃないか。」

結果より、家庭‥過程。ついた餅より、心持ち。


三浦梅園さん曰く、
「花を知らんと欲すれば、すぐに花畑へ走れ。魚を知りたければ魚屋へ走れ」

辰濃和男さん曰く、
「現場に行く。現場でものを見る。見て、見て、見る。」

農業。宙ぶらりんだったあれこれの咀嚼作業は唐突に始まりました。

夜は、はまだくんと餃子からのタリーズ。頻繁に会っても尽きない話。話していく内に新たな物事の捉え方が発見される。

さくっと、このへんで。
詳細はまた明日〜。

2013年3月8日金曜日

うどんとカブと愚連隊

本場のうどんを知ってしまった僕は、東京で勢力を拡大している「丸亀製麺」では満足できなくなってしまった。知らなければ良かったことが、この世界にはあまりに多い。

おいしいうどんが食べたい。
‥そういえば、あそこのは美味しかった気がするけれど、さて、レベルアップしてしまった僕の通な「うどん舌」は果たして満足してくれるだろうか。

ドキドキそわそわ、新宿・小滝橋通りの麺通団へ。
肉うどんやら何やら寄り道を重ねた結果、僕は「ぶっかけ」を頼むようになった。今日は「しょうゆ」。
ちくわはなんと「観音寺の○○店より」と表示されていたので思わず手に取った。


さあ、どうだろう。

‥うん、おっけ!丸亀よりずっと本格に近いぞ。この噛みごたえ。ほっと一安心。


その後、青梅街道を西へ移動中、一台のカブに追い抜かれた。

‥ん??あの荷台、背格好は、もしや。

前の信号がたまたま赤に変わり、先を行くカブが停止した。自転車を横づけすると、うーん、やっぱり知った顔。都民投票新宿仲間ではありませんか。

片手をあげて、にたり顔をしてみる。

カブ主「‥え?あべちゃん!なんでここにいんの?四国にいるんじゃないの?」

僕が香川で奮闘している同じ頃、街でもあれこれ大変だったらしい。
お互い急ぎでもなかったので、近くのお稲荷さんで腰を落ち着けることに。




喋りだしたらとまらない、マシンガントーク。
ようやく別れる頃には、空が暗くなっていた。
‥ってどんだけ~。



シンプル脳になっている僕には、とても新鮮な世界の話。もう少しバランスよくなりたいものだが‥。
久しぶりに脳みそを刺激してもらった。

市民運動。今月10日のデモのこと。朝日新聞に掲載された記事。生命保険。
去年の正月にカブで行った福島・圏内でのこと。鼻血が出て、帰った後、足や手の皮がずるりとむけて熱が出たりと体調不良が続いたこと。
自民党政権。TPP。日中韓FTA。憲法改正。国民投票。地球温暖化の嘘。都議選。微力な参議院。憲法九条と自衛隊の矛盾。アメリカ。EU‥。

ガテン系のおっさんにしか見えないけれど、キレ者で解釈がいちいち面白く、話し振りも達者。ついついひきこまれてしまう。
実に魅力的な、豪快下ネタ野郎である。



詳細はこちら→3.10「原発」国民投票デモ
行ける方は是非~。

2013年3月7日木曜日

上杉一道さん個展のお知らせ

一ヶ月ぶりの書斎に帰ると、一通の葉書が僕を出迎えてくれた。

北海道で知り合った上杉さんからの個展開催のお知らせだった。

カヌーを漕ぎ、ハイエースを運転し、ギターを弾き、絵を描く上杉さん。

行けるかな、行きたいなあ。

群馬県高崎市庁舎 21F展望ロビー(
8:30~22:00)での油彩作品も今月3/28まで展示されています。

上杉一道個展



・期間 3/9(土)→3/17(日) 
・時間 10:00~17:30
・場所 広瀬画廊 027-326-7821
 群馬県高崎市片岡町3-23-4

 山田かまち美術館隣。高崎駅西口より徒歩30分。タクシー10分。

「道・青の風景」
道があるから歩くのか
歩いてゆくから道になるのか

すっかり青で敷きつめられたように見える風景の中にも
ほんとうは全ての色相が潜んでいて
明るく開けた空の方には 立派な根拠か何かありそうで
そちらを向いて立っていると しぜんと 五感が泡立ってくる

そこに
道があるから歩くのか
歩いてゆくから道になるのか

百人百話展@麻布十番 故郷にとどまる 故郷を離れる それぞれの選択


三月。あの日をどこでどう過ごすか。変に意識してしまっているのは、僕だけではないだろう。



詳細はこちら→百人百話

★展示期間:2013年3月6日(水)~11日(月)
★開館時間:11時~18時
本は1700円でした。ある方への誕生日プレゼントにすることにしました。

IWJは、多くのマスゴミとは一線を画した希少な粋メディア。

IWJ代表 岩上安身さんが書いた帯の文章↓

「無名の人々の日常に根づいたドラマを理解せずして、福島の人々に寄り添うことはできない…
未曽有の惨事にあって悩み苦しむ人々の故郷への想いを聞く旅はまだ途上である。」


耳をすませば~聖蹟桜ヶ丘・聖地巡礼2

15℃超え、東京。春の陽気の域ではない。暑い。やめてほしい。

【香川農life】時、ルームメイトのようちゃんとジブリ話をよくした。「持ちかけた」の方が正確か。
僕がジブリ作品の中で一ばん好きなのは、「耳をすませば」である。
舞台地が東京にあること、坂道や急な階段の多い住宅地であること、ロータリーがあること‥熱っぽく語った。

言葉というのには不思議な力があるもので、僕は再び聖蹟桜ヶ丘に行きたくて多摩‥たまらなくなっていた。

2007年以来の舞台地散策である。そのときは、ただ匂いを嗅ぎながら歩いた。今回は下記参考リンクなどで照らし合わせて楽しんでみた。


駅前にある看板。町自体も、それなりにアピールをしている。が、通としてはこれだけでは不十分、ということで。

参考リンク↓
映画「耳をすませば」のロケ地画像まとめ【聖蹟桜ヶ丘】
耳をすませばの舞台を歩く(グーグルマップ)





京王線聖蹟桜ヶ丘駅の発車メロディは「カントリーロード」。サビではない部分が流れるのがポイント。
映画では「杉の宮駅」となっている。


 お父さんのお弁当配達も兼ねて図書館へ向かう雫を探していたら、おっさんがやって来た。


はまだくんに付き合ってもらうことに。一時間かけて自転車で到着。




僕は二日前に映画を観ていたこともあり、夢と現の境をさまようこととなった。


雫、フィオ、ジーナ、サン、ナウシカ‥ジブリに出てくる女の子(人)は、どうしてこう魅力的なのだろう。



ネコのムーンを追いかけた信号。



「大栗川」。
僕がカヌーを漕ぎ出した多摩川水系の水が、大好きな映画につながっている。


「霞が関橋」まで来れば、「いろは坂」がお目見え。


はまだくん「コクリコ坂、耳をすませば、ポニョ‥、坂の多い町が多いよね。でさあ、まあオマエがいない間にこっちはいろいろあったんだって。‥」


二人乗りの自転車が飛び出してきそう。


通学路の河川敷。
以前訪れたときには、これほどのコンクリ祭りではなかったように思われる。






「地球屋」の内観モデルとなった喫茶店「邪宗門」へも足を運んでみた。


‥僕が25歳になった次の日、2012年10月25日に閉店をしたようだ。




カヌー、誕生日、こんぴらさん、団地‥、何にでも縁を感じてしまう僕は単純だろうか。




伝説のラストシーン、聖司の秘密の場所にて。
好きだけじゃダメなんだとドリカムも歌っているけれど、好きだけでどうにかなるんだと僕は信じたい。


現場は立ち入り禁止。


いろは坂を上りきってそのまま進んでいけば、物語の核を担うロータリーが現れる。


実際には、サクラの木があるので、時期を狙ってまた来たいポイント。



「地球屋」はないけれど、「ノア」外装・店内はマニア必須。各地から聖地に来た巡礼者たちのほとばしる思いがつまった「みみすまノート」が何十冊もある。

‥そんな略し方があるなんて知らなんだ!

たったひとつの作品が、色あせることなく、多くの人の心に宿る。
たったひとつの物語が、人それぞれの物語へと派生し続ける。今さらながらすんごいことだなあと。

たったひとつ、つくればいいんだ。たったひとつ。


急な階段。遠くの住宅街。‥いちいち反応してしまう。どこを見てもカントリーロード。


地球屋から図書館への近道階段を駆け下りるシーン。



僕には見える。本当に。



杉村が雫に告白したところ。


金毘羅神社(最近本家行ったやん!)



「俺のこと、嫌いか?」


「ただの、友達か?」

雫ポジションから見る杉村↓。


優しいはまだくんなのです。





他の場所と離れたところに、雫の住む団地もある。
ここまで押さえれば、真のみみすマスターといっても過言ではないはず。




僕の大好きなばばっちも、団地に住んでいた。




恋に悩む夕子の話を聞いた公園のベンチ。

テストより大事な乙女心がある。


「そっか、そっか。まあ、後悔はしないように。な?」



そーして、僕は雫を探し続けますわ。