2013年2月25日月曜日

香川農27〜つくるって意味では一緒やろ

今日は奇跡の17時30終了!
日中は、身体を動かしていることもあるが、北海道の初夏さながらの暑さ。一年で一番寒いはずの2月やで、しかし。

【やったこと】
タマネギ苗取り。初作業。
タマネギ苗植え。
サニーレタス収穫。
サニーレタス根掘り。


2日間体験で淡路島から若者が一人やってきた。経験値があるようで、タマネギ苗植え、はや。

昼は、大阪のシュバインシュタイガー氏とようちゃんと、うどん屋しみずへ。
汁気少なめのカレーうどんを食べた。

毎日顔を合わせていても、知らないことの方が多い事実は、
ありきたりだが、不思議なものだ。

何でも知っていれば偉い、というわけでもない。情や思いこみが、今現在のその人を見るための障害になっているケースは殊の外多い。

毎日顔を合わせることが当たり前になって、徐々に徐々に距離感が変わっていく。

一週間前なら聞かれなかった質問をされたり、
一週間前なら言えなかったことが言えるようになっていく。
一緒につくり上げる喜びを感じ出した途端に、目の前をチラつくサヨナラの文字。

これがきっと、そこはかとない無常感、とかいうヤツなのだろう。

カルマ曰く「執着せずに愛する」(『ダライ・ラマに恋して』/たかのてるこ)
という言葉がある。
実践はできずとも言わんとしていることは非常によく分かる。

野菜をつくりながら、同じ土の上で僕らも日々、つくりあげていたのだなあ。


みんなの食(=生)を支える農業という仕事。
農業は、大変な仕事だ。割に合わない仕事だ。
そういう仕事は他にいくらでもあるのだろうが、農業がなくなったなら、作物を自らの手でつくりあげたことのない僕らは?

効率を求めた分業化により、手応えや想像力を失った人、社会。
経済的には潤っても、一生物としての損失は計り知れない。

皆がそれぞれに自分たちの食べる分の作物をつくり、使う分の電気をつくり、小さなコミュニティー内で完結させていたなら、誰かだけが過剰な負担を背負うことなく、分け合っていたなら、世界は?僕らは?

農業は生命に直結する必要不可欠な仕事である。

どんな仕事よりも必要なのに、正当な評価をされていないのは何故だ。
ここのギャップ、歪み、これは、どこへ通ずる問題なのだろう。

第一次産業とは、はて何ぞや?



土は、想像と創造の場である。これは水に通ず。

すべての道は‥いや、すべての土は水に通ず。

土も水も、つまりはcreativeなアトリエで、
土と水の地球は、creative二乗の星であり、
その星に巣くう人間がcreativeでないはずがないのである。

僕らは皆生まれながらに、artistなのである。

それを忘れている人が実に多いように思う。

形に残ろうが残らなかろうが、お金にしようがしなかろうが、意味があろうがなかろうが、誰に理解されようが批判されようが、
つくり続ける、それが生かされている人間の業。

つくらずに生きる人間なんて誰ひとりいない。


生きる人は皆それぞれに、美しい。

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