2013年1月31日木曜日

イントネーションの変化は突然に

昨日は出発前に、ちかちゃんときんちゃんと会った。
タイミングよくはまだくんから連絡がきたので、合流してみんなで餃子を食べた。

photo by きんちゃん。

おいしかった。とてつもなくおいしくて気が回らなかった。大目に見てもらいましょう。いつものことか。

たまたま愛媛に行くちかちゃんとはバスが一緒だった。

今日の6時、鳴門でバイバイ。
ここから急に関西弁的「ありがとお↑」になっていた。

僕は最寄り駅からとりあえず瀬戸内海に挨拶をした。
15℃はある。フリースを脱いだ。今日は特に暖かいとのこと。
歩いてもうどんにぶつからないので、おにぎりを食べながら、ずんずん歩く。

お世話になる農家さんと落ち合ったら、15時半〜即作業開始。

【やったこと】
自己紹介。
かわいい顔だと言われる。「パスポートは男?」と冗談でもなさそうな顔で農家さんから質問を受けた。‥そんなにかわいいかしらあたし。馴れてるからさらりと流すが、この顔、薄いのによく目立つようで。

その後は、
何か分からない根っこを掘ったり、寒さ対策のシートをかぶせたり、レタスを大きさごとに見極めたりしました。

若者7人(インドネシアから3人)が1ヶ月〜二年、ここで働いているとのこと。出身は関西近郊の方が多い。

仕事終了19時〜スーパーやらワークマンに連れて行ってもらいました。

眠いです。


半日で何も掴めるはずがないのですが、
普段の僕がいかに恵まれているかは分かりました。
お金ではないですよ、人に関してです。

寝なきゃ。おやすみなさい。

2013年1月29日火曜日

いざ、四国

はいさい、今夜、二ケ月ほど滞在した新宿を出ます。
一年越しの「四国農業修行project」、ついに実現です。

新拠点は香川県、瀬戸内海側になります。
香川は勿論、香川以外でも四国全域わくわく情報、募集します!


行く前に、なぜ四国なのか、農業なのか‥あれこれ頭を整理したかったのですが時間がないので、長いバスの道中でゆっくり思考整理をしておきます。(新宿~徳島間は約12時間)

いつもはさくっと終わる荷造りが、今回はどうもてこずりまして。
ミレーかグレゴリーかシールライン?パソコンは?寝袋は?マットは?テントは?

農業修行をいつまでやるか、終わったらどこへ流れるかetc‥あれこれ不確定要素が通常時以上に多いため可能性が拡がりすぎて、訳が分からず、ここ数日、ずっと悩み続けておりました。‥既に、へとへとです。

どこかに行く前って、僕はあまり楽しめないのです。あったかい布団で、ぬくぬくとしていたい。そこから離れるなんて、自ら離れるなんて、僕には理解不能です。でも、幸か不幸か、行かない理由が見当たらないんですよね。行けない理由をずっと僕は探しているのです。‥なんてね。どうかな。

さて、毎日土(earth)に触れると、人は、僕はどう変化するのか。
パソコンは置いていくことにしましたが、現場の「生」をお届けしたいので、いつも通りに毎日更新を目指します。


とりあえず、一か月。

閉じた一月。夜から昼へ。二月は、解放月間になる予報です。





2013年1月28日月曜日

月刊誌「まちゅ★ぴちゅ」創刊

★本日、アナログ新聞?会報?機関紙?目指すは月刊「まちゅ★ぴちゅ」(A4)を創刊しました。


内容は、
創刊に寄せて。今後の企画予定。など。

気になるやんけ!という方は僕のメールアドレス↓

lake.abelake@gmail.com

までメールを下さい。

・郵便番号
・住所
・名前
・今すぐ読みたい or いつでもOK?
を明記していただければ、僕が直接かメール便でお届けさせてもらいます。
もしかしたら、勝手に送りつけるかもしれません。

置いてくれるお店やイベント情報、宣伝云々に斬新アイディア、などなども、随時募集中。

‥え?カンパしたい?そちらも勿論、随時受付中です。創刊号は(も?今後の方向性次第で)勿論フリー!



★映画「INTO THE WILD」メモ。
役者と実際の人物が非常によく似ていた。
本よりも放浪シーンが生き生きと描かれていて、万人受けするのは映像だろうな、と。

ずきゅんわーど。ひとつご紹介。

クリス曰く、「HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARE.

(幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ。)

『荒野へ』ジョン・クラカワーと『深夜特急』の精神性

年末に体調を崩して以降、日中に長時間動くと決まって微頭痛がやってくる。
体力ゲージ120が最強としたら、今の僕は40くらいか。身体が心のままに動く気持ち良さをそれなりに味わっているだけに、もどかしい。かといって、東京でランニングをする気には、無駄に放射線という異物を取り込む気には決してならないのだが。



遅く起きた日曜日。
星野道夫シリーズと共にぽちっとした一冊。ちらりと1ページ目をめくってしまったのが運のつき。3、4時間ほど僕はアラスカへ「ぶっ飛んだ」(沢木耕太郎、若いころの口癖)。

友人に指摘され気付いたが、一月の僕は、明らかに読み急いでいる。

ざっと内容は以下の通り。
「全てを捨て、たった一人でアラスカの荒野に分け入った若者。厳しい大自然の前に力尽き、無残な死を迎えるまでの心の軌跡を鮮やかに描き、アメリカ中の心を揺さぶった、感動のノンフィクション!」

原題は『into the Wild』で、こちらは映画版タイトルにもなっている。
夏場にnaokiさんから「鑑賞禁止令」を出されていた、いわくつきの作品である。

本を読んで、大いに納得。naokiさんは僕より僕のことを分かっている。

主人公、クリスには、多かれ少なかれ、誰もが備えている要素があるように思う。
もう一人の自分の悲劇を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。実際にこの事件が起きたとき、アメリカ中でさまざまな反響があった。誹謗中傷、賞賛‥ありとあらゆる声が寄せられた。

例外に漏れず、僕の中にもクリスはいる。

ex1、主人公クリス
・常識があまりない
・森を見てなかなか木が見られない人間だった
・機械いじりは向いていなかった

ex2、エヴァレット・ルース(似たケース1)
・未熟なロマンチスト
・青臭い唯美主義者
・身の安全に不注意

ex3、カール(似たケース2)
・夢見がちでいささか現実離れをしていた


まるでそれぞれが皆、僕のことじゃないかと思いながら、目をそむけたくなりながら、とまることなく原野を歩いた。彼らは、たまたま、「死」に縁あった僕の、いや、僕らの分身だ。
たまたま、僕は、僕らは生きているにすぎない。

そうして、これらが『深夜特急』の流れを汲んでいることを、さて、僕はどう解釈すればいいのか。
まあ、『深夜特急』のソフトクッションがあったから、動転せずに読み終えることができたのだが。このタイミングからのメッセージを読み解くならば、僕はまだまだ生かされるようだ。


沢木耕太郎、クリス・マッカンドレス、二人はともに、西へ向かう修道者であった。それは、たまたま?その本を連続して読むことになったことは、たまたま?

沢木耕太郎は生き、クリス・マッカンドレスは死んだ。どちらが、どちらにでも転じる可能性があった。
生も死もたいした違いではないのかもしれない。どちらもたまたまの賜物でしかなく、たまたまにしては、あまりにふたつはかけ離れているように、現世では見せられているに過ぎないのかもしれない。

以下、『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』より、【sympathy sentence 抜粋‥


1
…このまま安宿のベッドに横になったら、ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、どこかに抱え込んでいるようでした。多くは二十歳をえていましたが、ポール・ニザンのいう「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。


2
…このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。

3
道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。死ななくて済んだとすれば、それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。

4
しかし、とまた一方で思います。やはり差異はあるのだ、と。結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。少なくとも、僕が西へ向かう旅のあいだ中、異様なくらい人を求めたのは、それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、バランスをとろうとしていたからなのでしょう。そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。


★★★★


沢木耕太郎的に言うなれば「徹底的に自己に淫することができた」クリスはある意味で、幸せなのではないかと思う。
願っても、たいていの人は寸前でブレーキを踏むし、それより多くの人は、アクセルすら踏まない。アクセルやブレーキに気付かない人の方が多い、かなあ。
アクセルを踏めずに地団太を踏みつつ、妥協して己をどうにか受け入れる。滑稽な自分を受け入れようともがく。または、見ないふりをしたり誤魔化しているうちに、時間が解決する。
すべてを断つ聖人の道は確かに険しいが、この世界に適応し、面の皮を厚くすることもまた同様に険しい道ではないか。比べること自体間違ってはいるが。

また、ブレーキやアクセルとかいった個人の意思だけがそのまま結果に反映されるわけでもない。ある程度はコースを決める要因になりはしても、予期せぬ力がどこでどうきいてくるかは、誰にもわからないし、対策の打ちようがない。
神さまを僕は信じないけれど、まあ神さま的存在があることは感じていて、抗えない「大いなるチカラ」に委ねるほかないと思っている。
投げ出すでもなく諦めるでもなく、すべては、おさまるべきところに落ち着く。無力な僕は無力なりに嘆くのでなく、必死に悶えるのである。それを太陽が、お月さんが、友人たちが見てくれているから、やめるわけにはいかないのである。

死ぬものは死ぬ。生きる者は生きる。それだけだ。それだけでは済まないけれど。

僕は、まだまだ、もっと、とことん現世で悶え尽くすのだ。




2013年1月27日日曜日

江の島の歓待

はまだくんと、江の島へ行った。
小田急線でがたんごとん、目指すは竜宮城さながら「片瀬江ノ島」駅。あたたかな陽光と、程よい揺れ。夢の国へ旅立ったはまだくんの横で、僕は坂口恭平さんの『独立国家のつくりかた』を手に取った。

「歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。
それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。」


学生時代から、何かあると僕らは、それぞれに、海へ逃げた。逃げ足だけは速いのである。逃げることができるくらいの器用さは兼ね備えていたのである。本当に不純物ゼロの不器用人間であったなら、現代社会において25歳まで生きることは不可能だ。生きること、それは恥。恥を受け入れること、それは‥。


おいしそうに写ってくれなかったシラス丼とつけ稲庭うどん。1100円。
ま、シラスはシラスだよね。旬な時期でないと。



さすがに土曜日。天気も良いので人が多い。休日感が出ていいね。



芸事の神様にも、いつも通りに世界平和をお願いした。世界平和の内に、友だちや家族、僕の幸せも含まれているから。


最近音沙汰がなかったので、うまいこと生きているのかと思ったら、そうでもなかった、はまだくん。
どうして、ただ生きることが難しいのか。でも、そのままここまでやってきた。やってこれた。本当は変わる気なんてなかったことに気がついてしまった。



天気はいいけれど、凄まじい風。


↑石川直樹さんの「アーキペラゴ」を思い出す。


江の島、西側。お勤めを終えようとしている太陽と富士山が仲良く、僕らを出迎えてくれた。


うねる波と荒れる風、轟音。太陽と富士山。2013年も波乱に満ちた一年になりそうだ。
今まで見たことのない景色に出会える確かな予感と共に、ね。


自然の凄まじいエネルギー量には、やっぱりかなわない。かなうはずがない。ただただ、圧倒されるばかり。恐ろしいから、美しい。心地よい敗北感を味わい続けていたい。


元の道を引き返す。江の島東側から望む相模湾。鎌倉やら葉山方面。あら、今度はお月さんではありませんか。


太陽が沈む。暗闇を恐れる前に今度はお月さんが出る。

いつでも、誰かが、僕らを見てくれている。どんな線をも透過するとんでもない光。僕らは守られている。こんなに頼もしい味方が他にいるだろうか。

大丈夫。とらわれずに、思い出して。僕の耳には、確かに聞こえた。





お月さん お月さん あの子の足元を照らしておくれ

太陽さん どうかお願い あの子の笑顔を守っておくれ

照らすことも守ることもできない今のぼく

頼むこと、願うこと、祈ることしかできないぼくの分まで



2013年1月26日土曜日

<本物のエコとは「人を愛する気持ち」>




汚い河、立ち並ぶ高層ビル群。ここはバンコクのあそこからの景色そのまま。そうか、ここはバンコクだったのかと思ったら、‥浅草橋でした。


1月は一度、浅草へ行く。何となく、毎年の決まりとして定着してきている。夏ではなく、ここは、冬の聖地だ。1月は、年始の余韻が適度に残っているのがいい。
苦しいときに導かれたところだから、感謝の念が定期的に足を運ばせているんだと思う。
浅草に住みたいとは思わないけれど、僕は浅草が好きだ。

初めてあつあつの人形焼を食べたときの感動。ブリキのカラフルなおもちゃを売る露店に目を奪われて、みんなとはぐれそうになったことを思い出した。根本は何も変わらないなあ。





表通りは修学旅行生やらで大賑わい。僕は今日も裏道を行く。ねずみのようにちょろちょろと。この道がどこにつながるのか、僕は知らない。ただ、知りたいだけ。何度も来ているのに分からない道はなくならない。行きどまったら、引き返せばいいだけのこと。

ヨクサル(スナフキン父)ではないけれど、どこにも行き着かないなら、それはそれでいいじゃないかと、僕は思う。心の動きは一瞬で、すべてを捉えて形に残すのは不可能だけれど、断片は変換できる。自分が感応できなかったら、“生”が死んでしまう。“ぼく”は自分に殺されたくないだろうから。
知ろうとすればするほど、どんどんわからなくなっていくということがわかってしまっても、尚、やっぱり、僕は、僕らは、知り会いたいと欲する生き物だ。



今日は「ふじや」ではなく、「くるり」手ぬぐいにした。父への遅い誕生日プレゼント。

その後、浅草寺近くで布文化と浮世絵の美術館 アミューズミュージアムなる建物を発見。

「BORO 美しいぼろ布展~日本人は何を失い、何を守ってきたのか?~」2013年3月24日まで。

‥うーむ、絶対ドストライク。1000円で入場。

 写真撮影・おさわりオッケーとは素晴らしい。

青森の民俗学者・田中忠三郎さんの「物には心がある。」という本からの抜粋文章がとてもあたたかい。



↑右のコタツがけは、痛んだ生地の布をほどいて糸に戻して、再び布にしたもので、何度も繰り返し使用されていた。
布を裂いて何度も織るので「サキオリ」と言う。

とりあえず、さわってみた。
衣食住の一番手「衣」からのメッセージ。今の時代が疎かにしてきたモノの手触りを僕は確かめた。


学生服。

寒さの厳しい青森だから育まれ、引き継がれた技術。生きるチカラ。冬を無事に越すために、「衣」は工夫され続けてきた。何も知らない我が子はその「衣」をつくった母親に「みっともない、貧乏くさい、捨てちゃいなよ」とさらりと言う。ひとりの民俗学者は、その「衣」の意味を知っていた。

田中忠三郎曰く、「全ての物は誰かが作り、誰かが使ったものだ。例外はないんだな。

厳しい環境だから、人は強くなる。あたたかくなる。


作業着。美しい。欲しい。


浮世絵のことも学ぶことができ、大満足。


屋上に出たら、見晴らしも良かった。


帰りがけに、上野と御徒町の高架下にある、お店屋さん集合地帯を冷やかした。ここも面白い。



2013年1月24日木曜日

ちょっくら「あさがやイネル」

阿佐ヶ谷駅北口を線路沿いに吉祥寺方面へ、てくてくと。


現れました、あさがやイネル。↑↓photo by フーコ(絵描きさん)

イベントや展示が行われたり、ゲストカフェ(誰でも店長になれる)やら、スペースとして利用できたり‥、まあ可能性無限大のフリースタイルなCafeっぽいぞ。

姉妹店やらなんやらとして、中野「ウナカメラリーベラ」やら中野「カルマ」(ここで料理研究家・枝元なほみさんは八年修行をしたとか。超癒し系の枝元さんとは去年知り合った。)に「エカイエ」(中野)‥何が何だか、僕の軽量化脳内は無国籍の多国籍状態だ。



イネルではただ今、「中村みずき」さん展開催中。

中村みずきさんとは‥以下ツイッターより。
@mizKinGJ 翻訳・通訳 絵描き 地域経済応援の脱原発アクション「#デモ割」プロモーター ナイトマーケット『ほろ夜市』主催 高円寺で朝市やりたい  Translator/Interpreter & Artist... Think Globally, DRINK Locally!!


友人であるきれいなおねーさんによると、
お店には「えみこさん」という素敵な方がいて、どうやら生き方やら考え方やらあれこれが僕と共通するところがあるそうで、つなげようと考えてくれていたようで。

そういうの、単純に嬉しいではないですか。‥え?つまり、それ、僕が素敵だってこと?
そうかそうか、ですよね~分かってるなあ。なんてことで、浮足立って早速訪問という運びになったわけです。

さ、さ、小さくなって入りますか。



腹が減ってはなんとやら、「タイ風ピリ辛そぼろ丼」900円。

あれこれ様子を窺っていると、
というか、最近の悶えた末の収穫を相棒に偉そうに話しているうちに、あれ?えみこさんが荷物をまとめ始めたぞ。出発か?まずい、これはまずい。

あたふたしつつ、後ろから声を掛けた。

『えみこさん、今日はもうお帰りですか?』


いきなり「えみこさん」なんて呼んだら、不審者かなあと声を掛けてから気付いた。やっちまったなあと後悔する間もなく、きれいなおねーさんの根回しにより、どうやら「えみこさん」も僕らのことは分かってくれていたようで、
そこからあれよあれよと共通の友人やら、まさかの四国・四万十にも話はつながり、また今度ゆっくりみんなで会いましょうとお約束。


つながり完了、ありがとうございます!


その後も素面なのによく喋る知った風メガネの相手をしたフーコさん、長時間お疲れ様でした。









2013年1月23日水曜日

さよなら、二万円

ハプニングとは、自らつくるものなのか、はたまた、引き寄せるものなのか‥。

神田のつけ麺もといし へ向かった。
いくら探しても見当たらず、調べてみたら去年の二月に閉店してしまったようだ。
がびーん。
新宿のお気に入り店も閉店してしまっていたし。どうやら味覚までもマイノリティらしい。ずっと恋焦がれていただけに悲しい。

気を取り直し、皇居で一度ストップ。タブレットやらをいじくりつつ連絡業務をこなしていると、何やらサラリーマンだかタクシーだかのおっちゃんの熱い視線を感じる。じっくり観察されている。これは間違いなく絡まれるなと様子を窺っていたら、案の定、ナンパされた。

「にーちゃん、仕事かい?荷物運んでるの?」

僕『うーん、まあ、仕事っちゃ仕事ですね。(どこからが「仕事」なんだろうか)あ、でも自転車は遊びですよ』

「遊びか。やってる人みたいに見えるよ」

僕『どもどもー。じゃ。』


僕は絡みたがりで、なおかつやけに絡まれる性質があるように思う。

軌道修正して、四谷三丁目・新宿通り沿いのカレーうどん「のら豚屋」へ。


つけ麺か悩んで、今日の日替わりセットに。
鳥天温玉カレーうどん+おかかご飯で850円。


 どろーっと麺に絡まりまくる濃いざくざくスープ。
猫舌の人は厳しい戦いを強いられると思う。吾輩は猫で‥はないのである。

温玉は崩さずに、ご飯上にキープ。うどんをすすり終わったらスープをご飯にこれでもかとかける、かける、かける。
‥やばい、作戦大成功。うどんより、アローイ!!(うまい!!)

我が家のカレーうどんの方が好みであるなあと思いつつ、そこそこ満足をして、いざお会計。


‥ない。財布がないぞ。

落ち着こう。ザックの中をこれでもかと探る。ノート、カレンダー、筆箱、シャボン玉、カメラ、笛、ファイル、箸‥
何でもあるが、財布だけない。

参ったなあ。こりゃ家に忘れたな。近いからまあ、取りに行かせてもらうか。あ、でも、お金はカードがあるからそこらへんで下ろせばいいのか。

‥あ、そーいや!もしものときの旅人流貴重品分散術によって二千円があったような。

‥あったあった、ラッキー。オレってば冴えてるぜ。

何事もなかったかのようにお会計を済ませた僕は、財布は自宅だと思い込み、その足で予定通り、青山方面へ。

何やらバージョンアップしたらしい、チャムス表参道店を視察。


以前より場所が分かりやすくなっていた。

外観に気合を感じる。内装も、やばいです。これは一見の価値あり。分かっているなあ、己の武器を。
やりすぎずやらなすぎない。この塩梅が難しい。これはこれは、お店に行く前より、チャムスが好きになってしまったよ。


さりげなくこんなの置いてるんだもの。


オタク心をくすぐる逸品揃い。こちらはワッペン。カナディアンカヌー版は残念ながらありませんでしたが、はした金で右のワッペン購入。一枚525円。


カヌーより自転車乗りの多い都内ですから、駐輪場も整っております。

で、自宅へ戻ると、あると思っていた財布が‥ない。


探せども探せども‥ない。

呑気に買い物している場合じゃなかった。あほか。


今日の動きを思い出し、とりあえず、「のら豚屋」へ電話。
‥忘れ物は届いていないという。

うーむ。財布には旅立ちに備えて、いつもより多めの二万円と免許証。
安定収入を断っている今、二万円は痛いなあ。2013しょっぱなからやらかしたなあ。全く記憶がない。
ダウンのポッケに入れたのが途中でぽろり?

とりあえず、暗くなってはいるが、最善を尽くすべく同じ道を辿ってみることにした。

‥ない。

さらば、二万円。

でも、外国の旅先とかではないもんね。これがなければ帰れないとかいうほど切羽詰まってはないし。迷惑をかけてはいないし。高すぎる教材費だけどまあ、金だけで良かったじゃないか。
冬はポッケ禁止令出しますよ、はいはい。早く動き出せってことでしょ、はいはい分かってますよ、こっちにだって都合があるっての。二万じゃきかない生産能力を会得してやるっての。

そもそも所有の概念があるからなくすというリスクが生まれるわけで。だったら僕はもう何一つ所有したくないね。物を増やすってのは本当に恐ろしいよ、スナフキン。

このように、どこにいても事件が常について回る我が人生。さすがに、しょげてばっかりでいられないからと、どんどん打たれ強くなっていきますよ。それもどうかと思うけれど、頼もしくていいね。


‥ああ、冬の北国で高笑いする極悪オヤジの顔が目に浮かぶ。


ま、最後に、「のら豚屋」でトドメをさしてもらってフィニッシュするか。

店員さん「いらっしゃいませ~」
僕『あ、すいません。さっき電話したものなんですけど、あれから財布、出てきてないですよね?』

店「あ~、昼間の電話の方か。そうですね~」

僕『そうですか~。‥(自分が座っていたカウンター下を覗く)‥





‥あ、あったー!!』


そうだ、そういえば、さっきの電話では、忘れ物が届いたかを聞いただけで、どこに座っていたからそのあたりを見てみてくれとも言わなかった。‥にしても、お店の方も適当だなあ。


僕『ありがとうございます!!いつもより多めに入っていたんでがっかりしてたんですよ、良かったー。ここ夜もやってるんですね。何時までですか?また来ますね。‥あの、嬉しいんで握手していいですか?』

店「は、はあ。」

普段「大切なのは金じゃない」と力説しているくせに、現金なヤツは突如スキップを始めた。


たかこが心配をしてくれていたので、お土産に「わかば」のたいやきを買っていこう。

あら、?閉店?声を掛けると「あと一個しかないよ」

わかば狂の我が家には、ゼロが一個足りないけれど、ラッキー!



皆さまも、忘れ物にはご用心。



2013年1月22日火曜日

偏愛道具学17~靴下耐久性テスト開始

「スマートウール」/PhDアウトドアミディアムクルー
という靴下の世話になって数年がたつ。
定価は2000円ほど。
高いのか安いのか分からないが、3足1000円なんてのも流通しているわけだから、一足でこの値段は安くはないのかもしれない。

使用頻度や使い方、ケアの仕方によるところが大きいので何とも言えないが、
僕の場合は、6・7足程を使い回して、
一年半で、かかとの生地が薄くなり、気にせず履いてさらに半年経つと完全に穴が開いた。

足が臭いらしい僕でも二・三日連続使用ができるこの靴下の防臭能力は本当に凄まじい。
夏は涼しく、冬はあたたかく、ウールは一度知ったら抜け出せない機能性と、極上の履き心地で、僕の足心をグワシ!‥と掴んだ。

洗濯は中性洗剤でなるだけ負担をかけないようにしている。
 素材は、メリノウール73%ナイロン25%ポリウレタン2%。

★今日【A&F本店】(一番雰囲気が好きで、一番近所のOD shop)で喋り相手をしてもらいながら購入したのは、
「DARN TOUGH」/ブーツソック クッション 2415円
素材は、メリノウール67%、ナイロン29%、ウレタン(Lycraスパンデックス)4%

いくらその場所が安泰だからといって、いつまでも同じところでぬくぬくと惰眠をむさぼるなんてことは、開拓の民としては許されないのである。


ここのすごいのは、消耗品の靴下に「生涯保証」を謳っていること。

粋だね。自信があるんだね。おらおら職人気質だね。気に入った。

いざ、試してみましょう。





2013年1月21日月曜日

『深夜特急6』~『旅する力』


ついに悪戦苦闘していた新旧パソコンデータバックアップ作戦終了。よっし。



沢木耕太郎『深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン』編より、ひとつ、ずきゅんわーどをご紹介。

わかっていることは、わからないということだけ。それは一国の状況や国民性ばかりでなく、ひとりの少女、ひとりの女性にも言えるものだったのだ。
私も二人に手を振りながら、わかっていることは、わからないということだけ、と小さく口に出して呟いていた。


謙虚であろう。

本を読むのは、書いている人を知りたいがため。「これは」と僕が感じる本は、書き手が魅力的だからだ。

今の僕に、書けるものはなんて狭いんだろう。もっともっと読まないと。読みたい。

香港から始まったユーラシア大陸、絹の道。沢木耕太郎は約一年、僕は十日間で横断したということになる。

まずいことに、僕は25歳だ。沢木耕太郎は26歳にこだわり、外へ出た。僕も、死に縁遠ければ、今年の秋には26歳だ。


読みたい方いれば声かけてね。付箋と折り目だらけですが。

その後の『深夜特急』ネタ満載『旅する力』も間髪入れずに読んだ。少し間を空けた方が楽しめたかな。

2013年1月20日日曜日

投げない【匙屋】(国立)

ふと思い立ち、お気に入りのmy匙(さじ)の手入れをお願いしに、国立匙屋へCUBを走らせた。


あったあった。変わらない佇まいが嬉しいなあ。


ちょうど、今日は「スープの日」だったようです。
途中で、国立と国分寺を混同してしまったりで思いのほか時間がかかり、僕は昼飯を食べ損ねていたので、ツイていました。

スープをつくっていたのは日野市・豊田駅の、カレー屋さんドードー。冷えた身体が芯からあたたまりました。
お隣のこれまた美味しいパンは、国立のパンとお菓子のお店mimosaさんということで。
スープよりあたたかい?人と人とのつながりがなければ完成しない、一日限定特別メニューでした。



大きな南向きの窓兼入口から差し込む光。今日も東京はいい天気です。

お店・匙・人‥醸し出す雰囲気、大切にしているもの、伝えたいメッセージ‥、
すべてが自然で、決して押し付けるでもなく、でも、確かに感じるぶれない強さ。


(↑匙屋HPより写真転載)

ここの匙を使うと、他の木のスプーンが使えなくなります。優しいのです。あたたかいのです。美しいのです。



イベントもちょこちょこ行われていて、他の作り手の作品も展示されたりしています。


 忙しそうだなあと思いつつ、店主さんと少しお話をしました。

父と匙屋と僕のこと。お金のこと。

明日にでも旅立つことのできる僕を、店主さんが羨んだ。
そうか、僕の日常はみんなの日常と必ずしもイコールではないんだ。僕がこのお店を素敵だなあ、拠点があるっていいなあと思うように、自分を換金化できずにいる根無し草の僕にもいいなあと思われるモノがあるわけで、手元にあるモノをもっと大切にしないといけないのだな、と。自由な時間も慣れると、苦しみの元にしかならないから。

『やりたいことをやって生きていくのは本当に難しいですね』と、ついつい愚痴ってしまったら、
「もうやりたいことでやっているじゃないですか」と笑いながら返された。

そうか、確かに、そう言われてみたらそうか。しばらく、やりたいことしかやっていない。やりたくないことはこれっぽっちもしないで、今のところは生きてるぞ。それだけでもひとつ、才能ではないか。
「とりあえず」は、成立していて、今取り組み始めているのは、[脱「とりあえず」]というか。質の向上というか。第二ステップへの移行期間というか。似合わないかもしれないが、少し欲が出てきているというか。それはきっといい意味での変化であって。曲がりなりにも社会に適応しようと、役立つ道を、活かせる場所を模索し始めているというか。

夏の間、お客さんにどれだけ僕の暮らしを「いいなあ」と言われてもさほど感じなかった。だのに今日、店主さんに「いいなあ」と言われ、素直に受け入れている僕がいる。今日は“縁”日だ。


その後、匙屋さんで頂いた生情報を頼りに国立駅周辺を散策。
たまたま第三日曜日に開催されている「ニチニチ日曜市」(製造者直売による月に一度の日曜市)を冷やかし、
お次は、匙屋の手ぬぐいをデザインしたというフジカワエハガキへ。


匙屋→ニチニチ日曜市→フジカワエハガキ。ここにたどり着いた経緯を説明すると、「なかなかコアなルート取りですね」と認めてもらい一気に距離が縮まった。ワイファイやらのネット話から仕事のこと、国立のこと‥、ここでもゆっくりお話をして、好みのポストカードを吟味した。
お店の営業日は、「毎週金・土・日」。
普通であれば、僕は人ごみを避けて土日はあまり動かない。今日はたまたま日曜日に動いたから、このお店にたどり着くことができた。


そうして、今判明したのだが、なんと、「匙屋」さんに初めて行ったのは、‥ちょうど二年前の今日、1月20日。
何の縁だろう。スープに始まり、第三日曜だったり、たまたま続きの極め付けだ。「何かあるな」と思わずにはいられない僕は単純だろうか。


二年前は、CUBではなく自転車で。ひとりではなくふたりで。相棒のはまだくんと住所だけを頼りに宝物を探すかのようにわくわくしながら、あっちにこっちにさまよったっけか。

そうそう、あの日も、たまたま、今日と同じように、良い天気だったんだ。




“棒”ノ嶺(ぼうのみね)で、マルタイ“棒”ラーメンを食す

埼玉県飯能市に、名栗湖(なぐりこ)という人造湖があるそうな。



ここには「カヌー工房」があり、レンタルカヌー体験ができる。
フィールドとしては物足りないが、地元民によると、夜は星がめっちゃきれいだとかうんたらかんたら。

「棒の峯」詳細→【日帰り登山・棒ノ嶺(棒ノ折山)に登る!】(2007年1月情報ですが、特に変わりなし)

丹沢に行こうと思っていたのだが、先日の雪がまだ深く残っているようなので、行き先変更というわけです。

飯能人と、名栗湖南側から少々雪を気にしつつ、「帰りは走って往復三時間」という飯能野生児過去データを頼りに僕らは気軽なハイキング気分で登りだした。

遅咲き気合五分の、11:30スタート。


前半は、名栗湖を目指す水たちに逆らう形で、彼らにより添いながら進む。
夏場は混み合うこともあるらしいが、さすがにオフシーズンとあってひっそりしている。
無酸素登山家・栗城さんの真似や情熱大陸ごっこをする人、シカの鳴き声や雄叫びを上げる人たちを除けば、本当に静かな世界である。

源流部がどうなっているかは、行った人だけの秘密にしておこう。まあ、隠すほどのものでもないのだけれど。


この時期だけのアート作品があっちこっちに出てくるので、なかなか前に進まない。


氷といえば、支笏湖「氷濤まつり」=naokiさんもどうやら無事に帰ってきたようで。怒涛のかのあブログ更新が始まっています。
お帰りなさい。



まわりを見渡すと、この山には人の手が入っている形跡がそこかしこに見受けられる。
飯能人に早速質問をすると、待っていましたとばかりに自信満々でお答えいただいた。自分の住んでいるところを愛する人、愛せる人、誇りや自慢に思っている人は、やはりいいなあ。世の中一般はどうか知らないが、少なくとも僕の周りにはちゃんと基軸を意識をしている人が多く、心から羨ましく思う。

ここいらのスギやヒノキは「西川材」(にしかわざい)と呼ばれていて、かつて、江戸の西の方の川から運ばれていたため、そのような名前になったらしい。
江戸時代に比べたら、勢いは衰えているものの、今でも「西川材」は良材として頑張っている。

なるほど、「西川材」とは江戸が基点として盤石であるから生まれた言葉なんだなあ。
長い年月、中心としての役割を果たす江戸・東京はそのプレッシャーから逃げたいと思ったことはないのだろうか。人ではあるまいし、街が思考するはずがないか。でも、その街をつくり、支えているのは人だ。人の思考だ。何にしても、江戸とか東京というのは、特殊な場所である。僕だけに限らず、多くの人が何かしらの思いを抱く場所。東京という響きにはあらゆる感情がつまっている気がする。アーティストで東京について唄わない人はいない。
僕は東京で生まれた。これから先もずっと、変わらない事実。東京の、何を僕は知った気でいるのだろう。




氷のつるりん階段やらをおっかなびっくり通過していくと、林道大名栗線(登山口から1.8km、山頂まで1.5kmの地点。)に出た。中高年と思われるカラフル集団が東屋でアイゼンを装着していた。

ルートを見上げると、雪、雪、雪。今までは土、岩、沢、氷、ちょい雪程度だったが。
ついに、こいつの出番か。‥いつもより頭の冴えていた僕は先ほど、飯能駅南口山遊人(さんゆうじん)で六本爪アイゼンを買ったばかりなのだ。



「アイゼンをつけるならスパッツを付けた方がいいですよ~」とアドバイスを頂いたが、まあ僕のスーパーパンツなら大丈夫だろう。


先ほどまでの頼りない足元から一変。雪道がこわくない。むしろ、楽しいぞ。ざくざくざく。慣れないので時たま、つんのめりつつ、前を行く団体さんたちが踏み固めてくれた道を快適に進む。


話を聞くと、JTBのツアーだそうで、山岳ガイドの方が案内をしていた。



硬い氷の世界から柔らかい雪の世界へ。



天国への階段。



「木のまわりだけ雪が溶けているのはなんででしょうか?」
インタープリテーションは突然に。

「木の体温は、僕らが吸っている空気とほぼ同じだから。‥」

へー、そうなんだ。気づきもしなかった。同じ世界を歩いていても、何を切り取るかは千差万別。
今日も僕は、自分が何も知らないことを知った。(「深夜特急6」に感化されています)


カヌーの通った後と同じく、いつまでも残らないからいい。と思いつつ、いつまでも残るものを生み出したいとも思う。



「ウサギだね、あっちからきて、ここでジャンプして‥、あ、このちっちゃいのを追いかけていたんだよきっと。で、ここで、‥潜ったね。‥」
当人たちがいないのを良いことに勝手に即興物語をつくりだす。生きているのは僕らだけではないことを、街にいて感じることは難しい。傲慢になるのは自然なことだ。


 小さな仲間たちのサインを発見し、ニタニタ顔。



興奮したのか、飯能人は軽やかなステップで先を走って行きました。


 頂上が見えてきた瞬間には、実際の頂上より、うんと素敵なものがあって、僕は分からないなりに山のことを少し知った気になった。ここで、引き返すのも、また一興だなと思いつつ、足はずんずん勢いづいていくから、思考と足とのちぐはぐっぷりがおかしくて笑った。


頂上には、14時くらいに着いた。のんびり雪道、トータル2時間30分。
風なし、好天。関東平野一望。ここより人の集まる平野は日本にないわけだよね。ずらっと並んだビル群はやはり新宿、か。富士山からも見えたっけな。

標高969m。たいした高さではないけれど、沢あり岩場あり、階段あり、バリエーションに富んだ、飽きさせないルート。


ここには、まだ、誰もいなかった。


ついにお出まし、マルタイ棒ラーメン、とんこつ。チャーシュー×メンマスペシャル。
そこに山があるから‥ではなく、僕はラーメンのために、登っていたのだ。


まずは、神々に捧げよう。


そこいらのラーメンより格段にうまいのだ。



食後はココア。

のんびりしていたら15時過ぎ。

帰りはサクサクと、16:30到着。

 ツアー客以外にすれ違ったのは、五・六組程。中にはNOアイゼンの強者もいました。



【レイヤリングメモ】最高気温7℃ほど。体感、日なたは10℃とあたたか。無風。


・モンベル/ジオラインアンダーウェア薄手
・ホグロフス/なんだっけな(後日訂正)
・スマートウール靴下
・SIRIO/(〃)


・patagonia/キャプリーン1半袖
・モンベル/薄手長袖
・ホグロフス/フリース
・モンベル/ダウン(頂上のみ)

その他
・帽子
・ネックウォーマー
・薄手手袋
・六本爪アイゼン
・手ぬぐい

持っていけば良かったな
・スパッツ