2017年12月7日木曜日

自己満で終わらぬよう


「店」についてよく考える。
店のあり方。雰囲気。方向性。
店員の佇まい。言動、振舞い。距離感のはかり方。
店に行くと考える。嫌な気持ちになるとこう感じさせてはならんのだと改めて思う。
さて、ぼくはどうか?誰もを歓待できているか?

シャッターが開いたのなら、「店」は誰にでも開かれる。
間口の広さ。食べることはカヌーを漕ぐことより多くの人にとって身近だ。

「店」は来るものは拒まず、去るものも追えない。これは店というか商売か。

何かを求めて人は未知なる店の扉に手をかける。何も求めず人は出歩かない。
おっかないけれど、何かに期待してドアは開く。クマ鈴が鳴る。小さな勇気。その気持ちを汲み取ってあげられるようでありたい。これはぼくの理想。
しかし、作業中は邪魔をされたくない。未熟だ。ガンバロウ。

2017年12月5日火曜日

三冬という時間の刻み方

ぼくが氷濤制作二冬目のとき、彼は一冬目。
「一冬だけだから」と、引き気味だった。楽しくなさそうだった。


氷濤エース:どるふぃん。この顔。わはは。
作業中でも手を止めカメラ目線をくれるサービス精神たるや。
ちなみに、これが「氷濤ツナギ」。
かつてはみんな愛用していたホーマック製品である。

ぼくは二冬をここで過ごし、カフェに挑むべく、温泉街へ向かい、三冬目のカフェである。
彼は夏は姿を消したり、一緒に働いたりもしながら、冬は必ずここに帰ってきていた。
どるふぃん、四冬目の氷濤。氷濤のために生きているよね。うん。


写真右上が彼。
ぼくは現場で上にいる彼を知らない。

一日24時間という唯一の公平性。どこに、何のために使うかは誰にも強制できない。

どこに身を置くか、置きたいか。選ばれるんじゃなくて、仕方なくの消去法でなく選ぶこと。
新たな展開を拡げる可能性を孕むのは能動的選択だけ。
楽しむのも苦しむのも、自分次第。
どんな自分でありたいか、全部、自分で決められること。

楽しく働く人を見るのがぼくは好きだから、どるふぃんはじめ、今日はそんな輩を見れてまっこと嬉しい。
ぼくはぼくの土俵で踏ん張るのだ。

やるなら中途半端でなく、どっぷり関わりたい特殊な仕事である。制作こそ氷濤の神髄よな。

2017年12月4日月曜日

満月の夜とたいやきを見直した日


なおき&ほーりー、絶妙なタイミングでアポなし再会。
価値観を共有できる安心感。有り難い。



2017年12月3日日曜日

みぞれ雪、静寂、常連さん


支笏湖、未だ雪なし。


ぬくいとお化けモード。氷濤まつり後半戦的な。

気温が高い。どうにか雨(寒ーい雨ほど最悪なものもない)ではないみぞれ雪の中、「ウィインターカヌークルージング」へ出動。

「冬に来る人なんているんですか?」

『いやあ、夏に比べると少ないですよ。でも、たまに変わった人がきてくれますよ。‥ね。』

わはは。パドルクエスト語的に「ウィットに富んでいる」かは分からないけれど、冗談交わしながら他愛もない会話。
行間を読み合う。これこそがコミュニケーションの醍醐味よなあ。駆け引きと探り合い。生のコミュニケーション以外はしたくない。と言いながら毎日ブログを書く矛盾。ぼくは何だろう。思考整理術兼誰かの暇つぶしになれば一石二鳥ということで。

「本当に静かですね。いいなあ。現実に帰りたくないなあ。」

雪もない、葉っぱもない。ないない尽くしに見える今の支笏でも、お客さんが持ち帰ってくれたものは少なくないように感じる。
「何にもない」って意外と手に入らない贅沢なんだよなあ。「寂しい」って片付けるのは誰でもできるし、勿体ない。
自分なりの宝物を見つけられるかどうかは、心持次第。見つけたいと願う人だけ。

寒くても手袋は履きたくないのだが、さすがに限界だなあ。手、赤。

店に戻ると程なく、昨日来てくれたカフェのお客さまがお待ちかね。
人気者は辛いぜ。求められる内が華よね。貧乏性。

カヌーもカフェもぼくはとても楽しい。自分を殺す必要がない。今の自分にできることで稼ぐ。簡素で良い。
苦しいときもそりゃあるけれど、楽しみたくて生きている。

勿論、売上うんたらってのも無視はできないことだけれど、お金のことを考えすぎると「しなければ」という義務になる。義務を負うほどエネルギーみなぎる人もいるがぼくは逆だ。
金に思考を占領されないように。強大な宗教でそれを無視することはそうできないわけだけれど。
やらされる、やらなければならないことほど退屈なことはない。純粋に楽しむことを忘れたら遊びを仕事にする人間の先はない。発端も狙いも金じゃないのだ。金であったらそもそもカヌーを選んでいない。金が欲しいなら最も実はお高い自分の時間を街に差し出せばいい。金はあくまで社会システムに乗っ取る上での手段。金よりお高い人生なのだ。
「稼がねば」、より、「楽しまねば」という情熱こそが人を巻きこんでいくはずなんだよね。

好きなことで暮らす本当の意味を考えるには夏より断然冬なのだ。

2017年12月2日土曜日

チーズケーキとカヌーと氷濤と、人

【おいしい】の唄
おいしいっていうのは際限ない
おいしいをもっとおいしくするためには‥

楽しいっていうのも際限ない
楽しいをもっと楽しくするためには‥


ぶつくさと
あーでもないこーでもない
思考が栄養

なにができるだろう
どこまでたどり着けるだろう

誰かのおいしいを味わって拡がる世界
自分のおいしい

増やすも減らすも深めるも諦めるも
ご自由にどうぞ


舌と心が喜ぶものを取りこんだなら
なんだか新しい世界を生み落とせそうな最高の気分さ





夕日を写していると座敷童が映った。

複合的にあれこれ考えると、脳みそが止まる。キレのないふにゃふにゃ踊り。
自分で言うけれど、たったひとつのことを突き詰めさせると能力を発揮する。偏向性、狭さだけが深まるための武器である。好きだけ選んでこうなった。
なんせ、器用じゃない。

手を出すなら本気でないと。本気になれることだけ選んでやってきた。
手を抜くなら、最初から手を出さない方がマシ。
試されるよな、冬には毎度。

2017年12月1日金曜日

『川を歩いて、森へ』天野礼子

まさとし目利き書房より。

カフェが繁盛していると、読書ははかどる。カウンターから身動きがとれないときには本を読む。知的好奇心を満たすためにもいらっしゃいませ。


中央口論新社。
2017年2月。

闘うアマゴ大好きガールの人生の記録。魚が好きで、その魚のいる川が好きで、川を川でなくす輩や政策に体当たりしていくうちに、サケのように川から森へ導かれていく。
何度死にかけても川の神様に生かされてきた。
脳動静脈奇形という、10万人に一人の血管異常もなんのその。それがしかも物書きの最も大事な「言語」と「思考」にかかわるところにあるのは100万人に一人くらいの確率らしい。
タフな心はそのへんからも起因しているのかもしれない。そんなこともあっけらかんと、カミングアウト!という気もなくさらっとしちゃうあたりも、潔い。男前だ。見習いたい。

開高健さん、野田知佑さん、ニコルさん、辰野勇さん、菅直人さん、鳩山由紀夫さん‥そうそうたる登場人物たち。

『わが日本には、三万本もの川がある。‥三万本もの川を狭い国土に持つわが国は「川の国」であると言えるが、また多くの森を持つ「森の国」とも言え、四方を海に囲まれる「海の国」とも言えるだろう。』

出だしから考えた。
ぼくはいったい何本の川を知っているだろうか。

p.191『「森は海の恋人」であったが、「海もやはり森の恋人」だったのだ。川は、森と海の間をとりもつ"キューピッド"にちがいない。』
日本の自然という全体の個とをぼくは何も知らない。

2017年11月30日木曜日

一粒万倍日のご褒美はカレー屋からの夕日

ハプニングから始まる一日があってもよい。
おかげで、会いたかった人たちと久しぶりにゆっくり話す。


長沼。「シャンディーニヴァースカフェ」(やっと名前を覚えたけれど、彼らは彼らで「ペンネンノルデ」を覚えられずにいる。わはは。そうだよな。ややこしい名前仲間。)からの夕日。
中にこもっていると何とも思わないけれど、
外から見たら、支笏湖が夕日を飲み込んでいた。いや、夕日が支笏湖に飛び込んでいくのか?
あの光の中にぼくらの暮らしがある。

まさか、あんなところに穴ぼこがあるなんて。
穴があったら入りたい。これは何の性??

新たな予感はいつもカレーから。ここのカレーしか外では食べなくなっているなあ。